最近人気の記事

2018年1月12日金曜日

文献紹介 技術革新は組織文化で決まる―あるイスラエル人の軍事組織論的考察―

技術革新(イノベーション)の重要性を主張した軍事学の文献はすでにたくさんあります。

しかし、敵が戦場で新たなドクトリン、作戦、技術を用いて奇襲してきた場合の対処法については、まだ多くの研究が必要とされています。

今回はこうした問題に取り組んだイスラエル国防軍軍人による研究を取り上げ、その要点を紹介してみたいと思います。

文献情報
Meir Finkel, On Flexibility: Recovery from Technological and Doctrinal Surprise on the Battlefield, Stanford Security Studies, 2011.

軍隊は高い適応性を維持しなければならない

著者がこの著作を通じて打ち出している主張は、軍隊が技術革新を効率的に推進する上で、柔軟性を持たせた組織文化を維持することが重要だ、というものです。

そもそも戦争には不確実な問題が多数存在しており、計画の段階であらゆる問題を予見した上で準備することには限界があります。
事前に準備ができない以上、事後的対応の適切さの方を重視しなければなりません。

この能力が最も試されるのは、戦争で敵が何か新しい技術やドクトリンを使って奇襲してきた場合であり、著者は次のように説明しています。
「不確実性は戦争で最も基本的な要素の一つであり、それはあらゆる戦闘状況に固有のものであるが、しばしば奇襲の形態で現れる。(中略)バートン・ホーエリーの古典的著作『謀略:戦争における欺騙と奇襲(Strategem: Deception and Surprise in War)』では、奇襲の要素あるいは形態が5種類に区分されている。すなわち、意図、時間、場所、戦力、そして形式である。最後の区分が教義(ドクトリン)と技術による奇襲と関係している」(Ibid.: 23-24)
こちらが予測しない時期または場所で敵が出現することも奇襲の一つですが、こちらが予測しない技術やドクトリンで敵が戦い始めることも奇襲の一形態であり、これは警戒を厳重にしていたとしても、対応が困難な奇襲です。

つまり、こうした技術的な奇襲の効果は長く持続する危険があり、こちらの技術革新が遅れると戦闘効率比が不利なまま戦い続ける事態になりかねません。
軍事組織はこうした問題を速やかに特定し、分析し、対策を講じるだけの柔軟性を備えていなければならないのです。

歴史的事例に基づく考察

著者は軍隊の技術革新を考える上でさまざまな歴史的事例に着目しており、その中には第二次世界大戦、中東戦争、ソ連軍のアフガニスタン侵攻の事例が含まれています。
分析の手法は比較であり、著者は技術や教義による奇襲を受けた際に速やかに対応することに成功した事例として、特に中東戦争におけるイスラエル軍の対応を評価しています。

1973年の第四次中東戦争でイスラエル軍がエジプト軍やシリア軍に対して高い戦闘効率を発揮できた背景には、現場の部隊に戦術上の意思決定の権限を委ねる組織文化があったと論じられています。
当時のイスラエル軍は武器や装備の多様性で不利だったものの、シナイ半島でエジプトの戦車が大挙してイスラエルに押し寄せようとした際には、有効な対戦車戦術を駆使して撃退することができたためです(Ch. 9)。

反対に失敗した事例とされているのがアフガニスタンにおけるソ連軍の作戦です。
当時、ソ連軍はアフガニスタンのゲリラから低強度紛争(low-intensity conflict, LIC)のような限定的かつ小規模な交戦の形態に直面しました。
しかし、この時のソ連軍は指揮統制の階層構造が極めて厳格であったため、現場の部隊に戦術上の判断や対応に支障がありました。結果として問題解決に時間がかかってしまい、多くの犠牲を出すことになりました。
このことは中東戦争におけるイスラエル軍の事例と対照的だと著者は考えています(Ch. 11)。

以上の事例研究から、著者は分権的な組織文化を維持することが、軍隊の適応性にとって重要な要素であると考え、結論部分で次のように述べています。
「柔軟性の費用は『高い』ものだと思われたとしても、技術、教義による奇襲に対応することに失敗した場合の費用は、柔軟性を低い水準に止めれば陸軍にとってより大きなものになるだろう。このことは、近年の紛争の事例で見てきたように、本書の理論の適用を正当化するものである」(Ibid.: 225)

むすびにかえて

ここで著者が主張していることは、ボトムアップ型の技術革新を促進するような組織文化を軍隊の中で維持することが重要だということです。
階層的な指揮系統を持つ軍事組織として、こうした取り組みにはさまざまな限界があることは著者も認めています。

それでも、組織文化として現場の創意工夫を重視することが、結果として戦時に新たな技術、教義による奇襲を受けた際の対応能力を強化するという広い視点から考えるように著者は促しています。

第一線に近い部隊指揮官の権限を強化することが戦闘効率の改善に繋がることは、19世紀にプロイセン陸軍が訓令戦術として取り組んだことがあり、現代でも一つのモデルとして認知されてきました。

本書の議論で新規性と言えるのは、訓令戦術を実践するための組織文化が、技術革新においても有効だと論じたことでしょう。
組織構造と技術革新の効率の関係に関する彼の議論の妥当性はさらに研究される必要がありますが、特定の研究拠点に研究者を集めて推進させる形とは違った技術革新のあり方を示唆していると思います。

KT

関連記事

学説紹介 ロシアの軍事学者は日露戦争をどう分析したのか
事例研究 第四次中東戦争におけるアンワル・サダトの政策

2018年1月8日月曜日

論文紹介 中国海軍の機雷は重大な脅威となり得る

軍事用語では、機雷敷設と機雷掃海をまとめて機雷戦(mine warfare)といいます。
つまり、機雷戦とは機雷を使おうとする側と、それを除去しようとする側との攻防であり、一見すると地味な活動と思われるかもしれません。
しかし、大型艦艇でも一撃で行動不能にできる大きな威力を機雷が持っていることを考えれば、これを軽視すべきではありません。

今回は機雷戦について理解を深めるため、最近の中国海軍が機雷戦に関する能力をどれほど改善させているのかを調べた研究を取り上げ、その内容の一部を紹介したいと思います。

文献情報
Andrew S. Erickson, Lyle J. Goldstein, and William S. Murray. 2009. "Chinese Mine Warfare: A PLA Navy Assasin's Mace Capability," China Maritime Studies, No. 3, Naval War College.(河村雅美訳『中国の機雷戦 人民解放軍海軍の「暗殺者の戦棍」能力』海上自衛隊掃海隊群、2010年)

中国海軍が持つ膨大かつ多様な機雷
米海軍の掃海艦ガーディアン。2013年の座礁事故で除籍解体された。
掃海艦とは、基本的に着上陸作戦などに先立って水深が浅い海域で掃海を行う艦艇であり、磁性を最小限にするなどの必要から船体の構造と素材ともに他の艦艇の設計と大きく異なっている。
この研究成果が取り組んでいるのは、中国海軍が機雷戦を非常に重視する傾向にあることを明らかにすることです。
著者らの分析を読むと、中国海軍の関係者は、海上作戦を遂行する上で、開発や運用が比較的やさしい機雷戦の能力を重視するようになっていることが指摘されています。

しかし、軍事的観点から中国海軍の機雷をどのような脅威と考えればよいのでしょうか。
まず、著者らは中国が現在保有する機雷は公表されていないものだけでも5万-10万個の規模であると報告しており、さらにより多くの機雷を隠し持っている可能性があるとも述べています(邦訳、10頁)。

中国海軍が保有する機雷は、その種類が多いことも重要な特徴であり、触発、磁気、音響、水圧、複合感応機雷、管制機雷、ロケット上昇機雷、自走機雷など、その種類は30種以上であると報告されています(邦訳、11頁、また詳細は12-15頁を参照)。

これほどの種類があるとなれば、それだけ機雷防御や機雷除去に要する装備や技術も異なってきます。機雷の脅威を解決する簡単な方法というものは存在していないのです。

抜本的な対策に限界がある以上、中国の機雷は特に大型艦艇にとって重大な脅威となる危険があることを前提として考えるべきでしょう。

例えば、中国が持つ浮遊機雷のPiao-1は敷設深度2-25m、運用寿命2年、危害半径10mとされており、漂流深度を一度設定して漂流させれば、海流に沿って移動するため位置の特定は難しくなります(同上、11頁)。

これは生産価格が安いということもあるため、大量に使用すれば海上交通を長期にわたって妨害する危険があり、大型艦艇の進出はそれだけ難しくなるかもしれません。

中国潜水艦による機雷敷設に警戒すべき

中国の潜水艦に搭載されるPMK-2推進機雷(同上、26頁)
中国海軍の機雷に対処する際に、最も確実かつ安全な方法は、機雷敷設を行う艦艇を攻撃することです。
しかし、中国人はこの問題についても周到に研究していることを著者らは指摘しています。

分析によれば、中国海軍は機雷を敷設するための手段として、水上艦艇よりもむしろ潜水艦を重視している可能性が高いと見られています(同上、26頁)。

実際、中国側の研究では、敵に支配された海域であっても潜水艦であれば、攻勢的な機雷敷設が可能であり、長期にわたって海上交通路に脅威を与えることができることが議論されてきました(同上)。
「様々な機雷敷設プラットフォームの利点及び欠点を体系的に分析した結果、中国のアナリスト達は、潜水艦による機雷敷設が攻勢的な機雷敷設任務、特に長い射程距離の場合に最適であると結論付けたようである。機雷敷設に潜水艦を用いる利点は、そのステルス性、その正確な機雷敷設能力並びに難しい目標に対しても貫徹できるその能力(恐らく自走機雷の使用による)を含んでいる。加えて、潜水艦敷設の精度及び効率が高いことから、より少ない機雷敷設で高い効果を可能とすることに気付いた」(同上、27頁)
ここで注目すべきは、中国海軍が海上優勢を敵に奪われた状態で戦うことを想定しているということでしょう。

相対的な戦闘力で劣勢な状況に置かれている中国海軍として、敵国海軍に対抗するために機雷戦が位置付けられており、その戦術は極めて攻撃的な志向を持っていると考えられます。
もちろん、地形の関係で潜水艦が進入できない海域もあり、その場合は航空機によって機雷を敷設する必要があるでしょう。

むすびにかえて

米中両国の海上戦力を比較すれば、依然として米国の方が圧倒的に優勢だと言えますが、それはあくまでも米海軍の機動部隊が東シナ海や南シナ海といった作戦地域に進出できた場合の話です。

中国は当然そうした米国の作戦を阻止する作戦計画を準備しているでしょうし、先ほど述べたように攻勢的機雷戦がその一部として組み込まれている可能性は高いと考えるべきでしょう。

日本の防衛を考えた場合、こうした中国海軍の行動について認識を深め、検討しておくことが必要になると思います。

海自に必要な掃海能力を点検することも含めて、抜本的な対策が難しい機雷の脅威にどう向き合うのかを考えなければなりません。

こうした議論を日本でさらに深める上で、この研究は恰好の資料になると思います。

KT

関連記事

論文紹介 海上優勢とは何か
論文紹介 A2/ADには海上戦争(war at sea)戦略で対抗せよ
論文紹介 自衛隊も接近阻止/領域拒否(A2AD)を重視すべきか



2018年1月4日木曜日

学説紹介 限定戦争はフォーカル・ポイント(focal point)で成り立っている

米国の経済学者トーマス・シェリングはノーベル経済学賞を受賞したことで知られていますが、安全保障学でもゲーム理論を戦略問題の分析に応用した業績で広く知られています。
シェリングが限定戦争について加えた分析は、特に核戦略の研究領域で今でも重要視されており、今日の戦略理論の理論的基礎を固める意義があったと言えます。

今回は、シェリングの研究を取り上げ、その中で限定戦争の問題がどのように考察されているのかを紹介したいと思います。

限定戦争の戦略問題とは何か

トーマス・シェリング、米国の経済学者、ノーベル経済学賞受賞者
ゲーム理論を戦略の分析に応用する研究がよく知られており、著作に『紛争の戦略』、『軍備と影響力』などがある。
限定戦争とは、交戦国がその軍事力を行使する時期、場所、方法などを制限することによって、戦争の烈度が高まる事態を避けようとする戦争のことです。
このような戦争形態は核兵器が登場して以降、ますます重要なものとして研究されるようになりましたが、それは単に核戦争を使用しないというだけではありません。

限定戦争ではあらゆる軍事行動に一定の限度を持たせることで、通常戦争が核戦争にエスカレートさせることを防止することや、戦域が地理的に拡大することを防止することも意図されており、さまざまな面で我が国と敵国との間で戦争遂行に関する調整が必要になってくるのです。シェリングはこの問題について次のように着目しました。
「限定戦争は制限を必要とする。また、戦争になる一歩手前で安定するためには、戦略的な作戦行動も制限を必要とする。しかし、制限するためには合意、または少なくとも相互の承認や黙認が必要となる。この合意をとりつけることは容易ではない。なぜなら、不確実性や利害の激しい対立が存在したり、戦時中または戦争開始前に交渉をすることが厳しく制約されていたり、敵同士が戦時中にコミュニケーションを取ることが難しかったりするからである」(邦訳、シェリング、57頁)
つまり、政治的・外交的観点から限定戦争を成り立たせるためには、相手とのコミュニケーションをとることが十分にできない状況の中で、相手と共通の認識を持つ方法を考えなければならないということです。

これは一見するとほとんど不可能なことのようにも思えますが、シェリングはこのような暗黙の合意に基づく戦略が行われる可能性はあり、それがなぜ可能になるのかについて以下のような説明を行っています。

日常生活でも使われる暗黙の調整

シェリングはこの可能性を解説するため、次のような日常的状況を取り上げています。
「離ればなれになったらどこで落ち合うか事前に話し合わないまま、ある男性がデパートで妻を見失ってしまったとする。このとき、彼らが再び出会う可能性は高い。なぜなら、遭遇するのに明白な場所をそれぞれ考えようとするからである。それは、双方にとって「明白」であることが確実である、と相手が考えることが確実だろう、とそれぞれが考えるほど、明白な場所である。どちらも相手がどこへ行くかだけを予測しているのではない。なぜなら、相手は自分が行くだろうと予想される場所へ行こうとするからである」(同上、58頁)
ちなみに、シェリングの文献は1960年に出されたものですので、携帯電話を使ってコミュニケーションをとることはできません。
こうした日常的状況は限定戦争で交戦中の二カ国の政治的、外交的環境と類似性があると指摘されており、相手と意思疎通を図れない場合、相手が自分の行動をどう予測するかについて状況の何らかの特徴を利用しなければならないのです。

こうした状況の特徴的要素のことをシェリングは「フォーカル・ポイント」と呼んでおり、これは「類推、先例、偶然の配置、対称的・審美的・幾何学的な形状、詭弁的な推論、そしてだれが当事者であり、お互いについてそれぞれが何を知っているか、といったことに依存する」と説明されています(同上、61頁)。

先ほどの例で考えると、デパートの中にある「遺失物取扱所」が一つのフォーカル・ポイントと考えられるのですが、それは当事者の想像力によって変化するものであり、何か論理的な根拠で決まるわけではありません(同上)。

ここで理解すべきことは、意思疎通ができない当事者間で利益を最大化するためには、相手の行動を予測するだけでなく、自分の行動が相手にとって予測可能なものでなければならないということです。

利害の対立があっても、フォーカル・ポイントは機能する

シェリングの議論で非常に興味深いのは、こうしたフォーカル・ポイントが、行方不明のパートナーを探すゲームにおいて機能するだけでなく、利害の対立がある国家間の状況でも成立すると考えられていることです。
「筆者は、当事者の利益が対立するゲームを多くの人々に試してみた。そのなかのいくつかは、当事者の一方がより多くの利益を得るようにバイアスをかけたものであった。その結果は、全体としてみれば、純粋な協調ゲームにおいて得られるものと同じであった。(中略)これらすべてのゲームに共通する面白い特徴は、競争しているどの当事者も相手を出し抜くことで利益を得ることができないという点である。つまり、自分の行動についての相手の予測通りに自分が行動しない限り、お互いに損失をこうむってしまうのである」(同上、64頁)
この考察を戦略環境に当てはめて考えれば、核戦争を避ける上で重要な示唆が得られます。
つまり、コミュニケーションが不完全な状況において場当たり的に成り立っているフォーカル・ポイントには極めて大きな戦略的価値がある、ということです。
フォーカル・ポイントがいったん失われたら、同様の状況に戻ることは非常に難しいだけでなく、結果として関係する当事者の利益が等しく損なわれる結果になると予測されるのです。

限定戦争が起きている状態とは、いわば暗黙の調整に成功し、フォーカル・ポイントを双方が見出せている状態です。
しかし、どちらかが相手を出し抜こうとフォーカル・ポイントから外れた行動をとれば、情勢は急激に不安定化する危険があることを認識しなければなりません。
シェリングはこの危険性について、「このように侵略者の行動が示唆する制限が受け入れられないような場合、相互に認識可能な戦争の境界線を探りだす作業はさらに難しくなってしまう」と述べています(同上、81頁)。

むすびにかえて

シェリングの議論から学ぶべきことは多くありますが、その一つとして限定戦争の指導に当たっては、暗黙の調整で導き出されたフォーカル・ポイントを正しく認識し、欺騙や謀略を仕掛けて相手に対して優位に立とうとしたり、出し抜こうとすることには十分慎重になるべきということです。

こうした兵力の段階的、限定的な使用を推奨する戦略思想は、兵力集中や短期決戦を志向した『孫子』やナポレオンの思想に見られない要素ですが、核兵器の存在を前提とする現代の戦争を指導する上では欠かすことができないものになっています。
シェリングの議論は現代の戦略学にとって重要な理論的基礎を与えてくれるものであり、よく研究する価値があるものだと思います。

KT

関連記事

参考文献

Thomas Schelling, The Strategy of Conflict, Harvard University Press, 1960.(邦訳、シェリング『紛争の戦略 ゲーム理論のエッセンス』河野勝監訳、勁草書房、2008年)

2017年12月27日水曜日

時事評論 米国による北朝鮮への武力攻撃の確率は16%

今年2017年は北朝鮮の問題が大きく動いた一年でした。
北朝鮮は核弾頭、運搬手段の研究開発を進展させ、米国は北朝鮮の非核化を目的とする武力攻撃を示唆するなど、緊張状態が高まっています。
このことを受けて我が国でも朝鮮有事に関する議論が活発になっており、一部では米国による北朝鮮への武力攻撃があるのではないかという見方も出ています。

今回は情勢判断の参考資料の一つとして、米国の政治学者Bueno de Mesquitaの期待効用モデルと呼ばれるモデルを使い、武力攻撃の確率を見積もり、そこから簡単な予測を試みたいと思います。(モデルの詳細については末尾の補足を参照)

(注意喚起:政治情勢の予測モデルはまだ科学的に確立されたとは言えない段階にあります。予測結果が将来の出来事を確証するものではなく、また以下の内容の正確性について筆者が一切の法的責任を負わないことに同意する場合にのみ読み進めて下さい)

モデルと入力した情報について

期待効用モデルはゲーム理論を基本にしたモデルです。
各国は最も望ましいと考える政治的立場に他国を引き寄せようとしながら、周囲の政治的立場から判断される政治的実現可能性に応じ、自国としても譲歩を行う多国間交渉を分析することができます(モデルの詳細は補足の文献を参照して下さい)。

モデルに入力する情報としては、各国が持つ能力、各国がとる立場、そして関心の程度の三つとされており、それぞれを1から100までの間で評点します。
ここでは分析を単純化するために米国、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、日本の6カ国に限定して考察します。

また、各国の能力は今回の問題に関して各国が使用可能な影響力のことを意味します。
そこで軍事力(軍事要員数と軍事予算額を掛けた値が、6カ国全体で占める比率)と経済力(それぞれのGDPが6カ国全体の合計値に対して占める比率)の平均値を使用することにします。
具体的な数値としては中国が28.0、北朝鮮が0.5、韓国が2.0、日本が6.0、ロシアが3.0、米国が58.0を用います。

さらに立場についても分析のために各国の立場を単純化して処理します。
つまり、武力攻撃を実施してでも北朝鮮を非核化すべきという立場を1~20、非軍事的手段で北朝鮮を非核化すべきという立場を21~40、外交交渉によって双方が譲歩すべきという立場を41~60、北朝鮮に対する非軍事的圧力に非協力的な立場を61~80、北朝鮮に対する軍事行動があれば軍事的手段でこれに対抗する立場を81~100と便宜的に分けます。
この判断基準に沿って中国を80.0、北朝鮮が100.0、韓国が55.0、日本が45.0、ロシアが70.0、米国が10.0と評点します。

最後の関心は各国がどれだけ本気でこの問題に対応しようとしているのかにかかわってきますが、これは各国がいずれも秘匿している情報であり、不明確な点が多いため、理論的な操作で数字を求めることはせず、乱数化したいと思います。

分析結果の概要と考察

このモデルで分析することによって、将来的に各国がどのような立場に移行するのかを予測することができます。試行回数50回で分析した結果をまとめると以下の通りです。
50ケースごとに米中露日韓朝6カ国の立場をプロットしたもの。
縦軸の値が各国がとる立場を示し、横軸の値が何回目のケースなのかを示している。
青色が中国、赤色が北朝鮮、灰色が韓国、黄色が日本、青色がロシア、緑色が米国を表す。
結論から先に述べると、非軍事的圧力を受けたにもかかわらず、北朝鮮が自国の立場を維持し、かつ米国が武力攻撃に踏み切るべきだと判断したケースは、試行した50回のうち8回で確認されました。つまり、16%の確率と見積もることができます。
試行回数を増やせば数値も若干変化するでしょうが、米朝戦争のような事態に至る確率はそうならない確率に比べて比較的小さくなると思われます。

結果の全般的特徴として特に注目されるのは、現在の東アジア地域で優勢な米国が、一貫して自分の立場を主張し続ける確率が64%と高いことです。
逆の視点で言えば、米国が自国の立場を大きく修正する確率は36%と見込まれることになります。この際、中国やロシアが重要な役割を果たすことになるでしょう。
日本、韓国は米中露の立場に対してちょうど中間の立場に位置するので、政治的に見れば有利な立場を占めるのですが、能力不足のために大きな影響を及ぼしているように見えません。

またモデルの結果によると、北朝鮮は周辺諸国に比べて現在の自国の立場を維持することが極めて難しい態勢にあり、米国と何らかの妥協を図る公算が大きいと判断されます。
とはいえ、北朝鮮のリスク志向性の高さには注意する必要があることをモデルは示唆しています。
これは分かりやすく言えば、北朝鮮が劣勢を挽回するために一か八かの行動に打って出る傾向が強まっているということです。

先ほどのグラフにおいても北朝鮮が選択可能な立場についてモデルがかなり大きな変動幅を予測していることも、こうしたリスク志向性の強さが影響しているものと考えられます。

むすびにかえて

モデルで計算した結果、米国による北朝鮮への武力攻撃の確率は16%と見積もられました。
これは戦争の勃発を確実視できるほど高い値と認めるには小さすぎる数値です。今後の予測として、引き続き緊張状態が維持され、外交努力が重ねられる可能性の方が高いと思われます。

ただし、16%というのは戦争のリスクを完全に無視できるような値でもありません。
戦争のリスクについては最低限の注意を払うべき局面にあることを認識しておくべきでしょう。

KT

補足

期待効用モデルはゲーム理論を使って戦争を分析する研究から生まれたモデルであり、Bueno de Mesquita, B. 1981. The War Trap. New Haven, Conn.: Yale University Press.でその原型が初めて示されました。
その後、予測モデルとして改良が重ねられ、政治的意思決定を予測する目的で使用されています。この記事では乱数を部分的に使用したが、これはBueno de Mesquita, B. 2002. Predicting Politics. Coloumbus: The Ohio State University Press, Ch. 4.の方法を参考にしています。
このモデルの基本的な概念はTed Talkのプレゼンテーション「Bruce Bueno de Mesquita: A prediction for the future of Iran」で紹介されたこともあり、サブタイトルに日本語翻訳も含まれているため、概要を把握する上で参考になると思います。

2017年12月23日土曜日

文献紹介 軍事史における通信技術―戦場における電話の歴史を中心に―

戦場において情報が正しく伝達されなければならないことは当然のことですが、問題はそれだけにとどまりません。
敵にこちらの情報が漏洩することを防止したり、敵の攻撃や戦闘の混乱でも確実に伝達することも求められるためです。

そのため、古来より軍人は通信手段の研究と開発を積み重ね、さまざまな技術や手法を確立してきました。
今回は、その成果を知ることができる文献を取り上げてみたいと思います。

文献情報
David L. Woods, A History of Tactical Communication Techniques, New York: Arno Press, 1974.

長い歴史を持つ軍事通信

この著作の特徴は、古代から現代までの軍事通信を幅広く取り上げていることです。

例えば、古代の軍事通信の事例としてアレクサンドロスの時代からトランペットやファイフのような楽器、そして軍旗がファランクスの部隊行動を統制する手段として使われていたこと、ポエニ戦争でハンニバルがアフリカとスペインに遠隔地から送信される松明の信号を受けるための通信塔を建設していたことなども紹介されています(Woods 1974: 7-8)。

しかし、著者は基本的に時代ごとに使われた軍事通信の歴史を調べるアプローチはとっていません。
その代わりに通信手段を腕木通信、信号旗、伝令、手旗信号、パイロテクニクス、電信、音響信号、光信号、軍事気球、有線通信、無線通信、航空通信のように形態ごとに分類し、それぞれの歴史的変遷を辿っています。

結果として、本書はさまざまな軍事通信の技術的変化を包括的に知る上で優れた研究資料となっています。
以下では、本書の具体的な内容を紹介するため、現代の通信においても重要な電話に関する記述に注目してみましょう。

電話の発明と軍事利用の始まり

1892年に電話の試験を実施する工学者ベル、以降の通信技術の発達に大きな影響を与えた。
Gilbert H. Grosvenor Collection, Prints and Photographs Division, Library of Congress.
現代の私たちが電話として親しんでいる通信手段を技術的に確立したのは米国の工学者ベル(Alexander Graham Bell、1847年 - 1922年)の功績とされており、彼は1875年に音響電信を開発したことで科学技術史に名前を残しています。
ところが、著者の調べたところでは、軍事通信として電話を最初に使ったのは米軍ではなく、1882年にエジプトで反乱の鎮圧に当たった英軍だったという研究報告があるようです(Ibid.: 187)。

ただし、これはあまり確実な記録ではないと著者は指摘しており、現在のパキスタンに当たる地域で1879年12月に英軍が使用した記録や、1877年12月にやはり英軍がパキスタンでの戦闘で電話を使用した記録が残されているためです(Ibid.: 188-9)。
これらを総合すると、電話は開発されてから数年も絶たずに軍事通信として利用され始めたと推測できます。

ただし、電話は通信網を構成するために作業、時間を要する制約があるだけでなく、いったん通信基地を設営すると部隊の移動を妨げるという問題もあり、軍人の間でその価値に疑問を投げかける見解も一部にあったようです(Ibid.: 190-1)。
しかし、電話の軍事利用という動きは広がり続け、米軍でも1889年から本格的に検討を始め、1896年に英軍からの技術移転を受けながら運用を開始しました(Ibid.: 191-2)。

第一次世界大戦で直面した諸問題

研究開発を通じて改良された電話は、1914年に第一次世界大戦が勃発してから、さまざまな技術的試練を受けることになりました。
当初、英軍で電話が特によく使用されていたのは旅団―大隊間の通信でしたが、1915年以降に第一線の部隊が砲兵が緊密に連絡をとる必要が生じ、電話線をより前線近くまで引く必要がでてきました(Ibid.: 194-5)。

しかし、線を第一線部隊の陣地にまで延伸することで、さまざまな通信障害が引き起こされることになります。
著者は1916年に英軍が刊行した『戦場における野戦電話の利用(The Use of Field Telephone in the field)』というパンフレットで掲載された18項目の注意事項を紹介することで、当時の電話に関する問題を示しています(Ibid.: 195)。ここではその一部を取り上げます。
「(1)急ぐとかえって時間をとられる。注意深く電話線を構成すれば結果として時間は節約される。(2)電話線を乱暴に扱うな。断線の原因となる。(3)戦闘の最中に前線と後方を電話で結ぶ際には、それが固定的な通信であり、数分間で修理ができたり、移動できるものとは考えるな。(4)前進する場合、電話は置いていけ。後で回収する時間はある……」(Ibid.: 195)
まだ戦術的な通信手段として電話の運用をめぐって、現場でさまざまな問題があったことが、こうした記述からも伺われます。

重要性を増した通信科の役割

1942年、第二次世界大戦のガダルカナルの戦闘で電話をかける米軍兵士
Hammel, Eric, Guadalcanal, Zenith Press, 2007, p. 142.
当時、敵であるドイツ軍の砲兵が道路に対して行う砲撃で断線が頻発したことも、英軍で大きな通信障害の原因となっていました。
これを避けるため、電信柱や道路脇に線を引くことを避け、交通壕の中に線を走らせることも広く行われたのですが、今度は部隊が交通壕の中を移動する時や、交通壕の拡張工事を行う時に断線が起こることになります(Ibid.: 195-6)。

戦場における通信の問題がますます大きくなる中で、英軍における通信部隊の規模は拡張されています。
ボーア戦争の頃に24名の士官と350名の下士官・兵卒だったところが、1914年には士官58名、下士官・兵卒1978名にまで急増し、この傾向は戦争が終わるまで続きました(Ibid.: 196)。

戦間期に入ると無線通信が登場しますが、それは有線通信と置き換えることができるものではなく、第二次世界大戦、朝鮮戦争でも電話は広く戦術通信のために使用されました。
電話交換機、ファクシミリなど、その過程で現代の我々が知る多くの装備が導入されたことにも触れられています。

むすびにかえて

この著作は技術史に関する多くの文献と同じく、軍事通信の技術的詳細について多くのことを語っています。
しかし、著者はそうした技術の紹介だけに専念せず、それを軍隊がどう活用しようとしたのか、という運用的側面にも考慮し、バランスのとれた記述を心がけています。

結果として、通信技術の専門家ではない読者であっても、興味深い情報が多く盛り込まれており、少し古い文献であるものの、関連する写真が多く掲載されており、それだけでも興味深い内容になっていると思います。
新たな情報技術が次々と登場する現代ですが、最新の技術を学ぶだけでなく、こうした歴史研究を通じて長期的観点を持っておくこともまた重要なことではないかと思います。

KT

2017年12月20日水曜日

学説紹介 激しい戦争が、長い平和をもたらす―ルトワックの考察

エドワード・ルトワック(Edward Luttwak)は戦略の研究で有名な研究者ですが、人道的介入と呼ばれる活動が本来の意図と逆の効果をもたらすと主張し、論争を巻き起こした人物でもあります。
つまり、戦争を防止し、その被害を抑制する目的で実施される軍事的、非軍事的手段による戦争への介入は、かえって戦争を促進し、その被害を拡大するなどとルトワックは論じたのです。

今回は、ルトワックがどのような理由に依拠してこのような議論を主張しているのかを検討し、その妥当性について考えてみたいと思います。

戦争の被害が大きいほど、その後の平和は長く続く

エドワード・ルトワック、ルーマニア出身の研究者、業績に『戦略論』など。
ルトワックの戦争の論じ方は大半の平和主義者の立場から全く受け入れがたいものです。
というのも、ルトワックは戦争を究極的に防ぐ力となるのは、戦争それ自体が持つ破壊力に他ならないと論じているためです。

もちろん、ルトワックの意図は戦争を称賛することではありません。戦争のメカニズムを理解するためには、戦争に逆説的な効果があることを理解すべきである、というのが彼の基本的な立場です。
「戦争は巨大な悪かもしれないが、大きな美徳もある。戦争の継続に込要な物質的、精神的な資源を消費し尽くし、破壊することで、戦争はそれ自体の継続を妨げる。それどころか、戦略の逆説的領域における他のあらゆる行動と同じように、戦争は、極限点を過ぎた後に最終的には反転する。その反対とは、単なる静かな無抵抗かもしれない。または、交渉による平和や休戦あるいは一時的停戦ではなく、無意識の非戦状態かもしれない」(邦訳、ルトワック、97頁)
この議論に従うと、戦争が終結し、平和に移行する基本条件は、一方の勢力が勝利することか、もしくは双方の勢力が消耗し尽くし、戦闘が停滞することになります(同上、98頁)。

ルトワックの議論で特に興味深いのは、平和が長く維持されるためには、あらゆる戦力を使い果たし、相互に莫大な損害を被る必要があることを一つの可能性として示唆していることであり、もし戦争が徹底的に行われないまま中断されると、間もなく当事者はその猶予期間を利用して軍事力を回復し、時期を見て軍事行動を再開すると述べています(同上、99頁)。

平和維持活動が逆に戦争を長引かせる理由

以上に述べたことを踏まえて、ルトワックは国際連合による平和維持の努力が、こうした戦争の力学を妨げる問題があると指摘しています。
そのような活動が平和につながることはなく、かえって戦争を恒久化させる要因になっているとして、次のように論じています。
「1945年以来、小国間の戦争は、自然な経過をたどることを滅多に許されなかった。代わりに、平和の前提条件を確立させるために戦争のエネルギーを使い果たすよりも前に、戦争は中断されることが普通であった。停戦を命じることにより、小国間の戦闘を直ちに止めることが国連安保理常任理事国のお決まりの仕事となった。停戦直後に和平交渉を促すように外交的介入が行われない限り、停戦は単に戦争疲れを和らげ、交戦当事国の再建と再軍備を助長し、停戦が終わるや戦闘の激化と長期化をもたらすことになる」(同上、100頁)
この議論が当てはまる事例としてルトワックが取り上げているのは中東戦争です。
国連は創設当初からイスラエルと周囲のアラブ諸国との間の中東戦争に関与しており、平和維持のために和平の仲介や人道援助を行ってきましたが、未だに平和からほど遠い状況にあります(同上)。

ルトワックは建国当初のイスラエル人がアラブ人に対して非常に厳しい戦いを強いられたことを考慮し、第一次中東戦争で国連安保理が2度にわたる一時的な停戦を実現させていなければ、この地域の戦争は数週間で終わったかもしれないと述べています(同上)。
つまり、国連の停戦実現に向けた外交的活動が、軍事的に劣勢なイスラエル人の勢力を支援し、アラブ人の勢力と拮抗させる上で効果を発揮したということです。

難民キャンプが武装勢力に基地機能を提供する

ルトワックの考察でもう一つ注意を要するのは、難民キャンプに対する国連の支援に関する議論です。
そこでルトワックは国連の難民支援、特に国連パレスチナ難民救済事業(UNRWA)がその意図とは裏腹に、中東における反イスラエル闘争の継続を可能にする効果があるとして次のように論じています。
「UNRWAは現在に至る半世紀以上の活動期間中、1948年時と同じ新鮮な怒りと当初の復讐感情を持続させながら、パレスチナ難民国家を恒久化した。そこでは若者たちが、新しい生活に向けた独自の道を見出すことは許されなかった。その代わり、彼らは挫折した年長者の管理下に置かれ、幼少時代からUNRWAが資金援助した学校で、復讐と再征服の義務を教え込まれた。UNRWAは地元社会への統合を思い止まらせ、域外への移民を禁じている。それに加えて、キャンプでパレスチナ人が集住していること自体が、イスラエルや仲間内で戦う武装組織への志願または強制入隊を常に促進してきた」(同上、106-7頁)
このルトワックの議論は見過ごされがちな難民キャンプの軍事的側面について述べたものだと言えます。
戦地から逃れた難民を一定の地域に収容して国連の保護下に置き、医療や食料を継続的に提供し、次世代のための教育を施すことができれば、軍事的に優勢な敵対勢力も手出しができず、軍事作戦の準備が可能となるということです。

むすびにかえて

今日の安全保障環境において国連の果たしている役割は決して小さなものではありません。ただし、その役割は戦争を防ぐ役割として解するべきではなく、むしろ戦争を長引かせる役割として理解しなければならないとルトワックは考えました。

ルトワックの議論だと、現代ではあらゆる地域戦争は国連安保理の決定に基づき介入を受ける可能性があり、その結果として戦争の原因となった問題は恒久化し、安定的な平和を構築するための決定的勝利を上げることは困難ということになります。

以上がルトワックの議論であり、非常に興味深い議論ではありますが、一方でその妥当性がどの程度なのかについては慎重に考える必要があるでしょう。
確かに、平和維持や人道援助が特定の状況で一方の勢力の戦争遂行に寄与する可能性や、激しい戦争の後に長い平和が訪れる場合もあるでしょう。

しかし、戦争が常に平和の条件になるかのような議論になると、それは行き過ぎた単純化に陥るでしょう。戦間期の戦後処理のように方法を誤れば、どれほど激しい戦争で相手の軍事力を壊滅させたとしても、平和維持には寄与しない恐れも十分考えられるためです。

ルトワックのは平和の問題について一般的な視点とは別の角度から考える必要性を示すものとして意味があると思いますが、戦争と平和の関係については、より実証的な観点から考察することも必要だと思います。

KT

参考文献

Edward Luttwak, Strategy: The Logic of War and Peace, Revised and enlarged edition, Belkknap Press of Harvard University Press, 2001.(邦訳、エドワード・ルトワック『エドワード・ルトワックの戦略論 戦争と平和の論理』武田康裕、塚本勝也訳、毎日新聞社、2014年)

2017年12月15日金曜日

学説紹介 19世紀フランスの軍事学者はクラウゼヴィッツを理解したのか

クラウゼヴィッツの研究業績がフランスで広く知られるようになったのは、1880年代以降のことです。
この歴史的背景には、1871年に普仏戦争でフランスがプロイセン(ドイツ)に敗れた経緯がありました。

フランス人はドイツ人の強さの源泉となっている軍事学について詳細に調査研究するようになり、その過程でクラウゼヴィッツを「発見」しました。
しかし、その理解の程度は決して高いものではなく、単純化された解釈がフランス陸軍で一般的になってしまっていたことが指摘されています。

今回は、1880年代から20世紀初頭にかけて、フランス陸軍におけるクラウゼヴィッツ研究の動向を調べたフランスの政治学者レイモン・アロンの研究を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究

カール・フォン・クラウゼヴィッツはプロイセン陸軍軍人、1780年7月1日生まれ、1831年11月16日に死去。
著作『戦争論』は国内外の研究者から注目を集め、プロイセンだけでなくフランスでも研究された。
アロンの調査によれば、クラウゼヴィッツがフランス陸軍でクラウゼヴィッツに関する先駆的な研究に着手したのはリュシアン・カルド少佐とされています(アロン、30頁)。

カルドは1885年に陸軍大学校でクラウゼヴィッツの『戦争論』に関する講演を行っていますが、これは陸大として初めて取り上げられたテーマでした。
その翌年の1886年から87年にかけてド・ヴァトリ中佐によるフランス語訳が出版されると、クラウゼヴィッツはフランスで広く読まれるようになり、影響はさらに広がります。

アロンはこの時期からクラウゼヴィッツが一部の批判を受けながらも、フランス陸軍の首脳部を構成する人々の思想に影響を与えたと指摘しています。
「1885年から1900年にかけてクラウゼヴィッツは、今世紀初頭に参謀本部の計画を作成し、1914年にフランス軍を指導した日墓地との思想形成に貢献した。勿論クラウゼヴィッツ流の思想が広まるにつれて、これに対する反対者も現れた。例えば、H.カモンは、B.H.リデル・ハートのそれに近い論法を用いて、クラウゼヴィッツはナポレオンの方法の本質をつかんでいない、と批判した」(同上、31頁)
ただし、フランス人がクラウゼヴィッツに対する関心を抱き始めたものの、その内容を完全に消化するまでには至らなかったとアロンは述べています。
このことを説明するため、当時のフランス陸軍で影響力があったフォッシュの著作『戦争の原理』を取り上げています。

フォッシュのクラウゼヴィッツ理解

フェルディナン・フォッシュ、フランス陸軍軍人、 1851年10月2日生まれ、1929年3月20日に死去。
軍事学の著作として『戦争の原理』などがあるほか、第一次世界大戦では連合国軍総司令官を務めた。
フォッシュは1900年に行った講演を収録した著作『戦争の原理』を1903年に出版しました。
この著作を読むと、「当時の将校たちがクラウゼヴィッツの包括的な思想を理解することができなくて、彼を戯画化し、しかも、その本質をつかんだと思いこんでいたかが分かる」とアロンは主張しています(同上、31-2頁)。
「彼は、クラウゼヴィッツの定式を取り上げて、「戦争では、戦術的結果だけが利益になる。武器による決着、これだけが有効な判断である。これによってのみ敗者と勝者がきめられるからである」というだけでなく、「最初の行動が、もっとも決定的なものであろう」と考え、また、「火器の改良は、攻撃に、懸命に指揮された襲撃に力を加えるものである。歴史がこれを証明し、水利がこれを解明する」と断ずるのである」(同上、35頁)
アロンに言わせれば、フォッシュは戦術と戦略を明確に区別することもできておらず、クラウゼヴィッツがなぜ戦略的防御と戦術的攻撃を組み合わせることの重要性を論じたのかも理解できていないと指摘しています。

フォッシュにとってみれば、クラウゼヴィッツの思想体系を包括的に解釈するということはたいして重要なことではなかったようです。
フォッシュは「兵力の経済的使用」、「行動の自由」といった自分なりの戦いの原則を擁護し、兵力の戦略的な集中とそれを遂行する司令官の精神の重要性に関する自分の主張を裏付けるためにクラウゼヴィッツを利用したに過ぎませんでした。

戦争そのものへの問題意識の欠如

ユベール・カモン(Hubert Camon)はフランス陸軍軍人、
著作『ナポレオンの戦争体系』(1923年)などの研究業績で知られていた。
アロンは、当時のフランス陸軍でクラウゼヴィッツに関する独断的、一面的な解釈が支配的だったことを指摘し、これがフォッシュの著作だけに見られた傾向ではなかったと強調しています。
「私がフォッシュの著書をここで取り上げたのは、この書がフランスのクラウゼヴィッツ関係図書のなかで特にすぐれているとか、代表的なものだとかいうわけではない。その平凡なところにかえってリュシアン・カルドに続くフランスの将校たちが『戦争論』から学んだ諸観念を、あけすけに示しているところがある、と思ったからである」(同上、39頁)
結局、当時のフランス陸軍が直面していた問題は、いかに決定的な時期、場所に兵力を集中し、敵に対して優勢を確保するかということでした。

つまるところ、当時の軍人にとって戦争と政治は本質的な問題ではありませんでした。
むしろ、戦争が勃発してから作戦部隊がとるべき機動の方式こそが重要な問題と考えられていたのです。

例えば、カモンのような陸軍の著述家が、クラウゼヴィッツを批判し、ナポレオンの戦争術に見られる戦略的包囲を再評価する研究したことも、当時の疑問により直接答える意味合いがありました。

むすびにかえて

フランス陸軍で、フォッシュのようにクラウゼヴィッツの思想に無理解な将校が主流派となって参謀本部を支配し、「1914年の敗北に一部責任のある戦争計画に加担していた」と思われることは驚くにあたらないとアロンは述べています(同上、41頁)。
それは必然的なことであり、だからこそ彼らは戦争においてフランス軍が攻勢をとるべきことを主張し続けたと思われます。

アロンは当時、一部の軍人が陸軍の首脳部と異なる立場をとり、戦略的攻撃に反対したことも紹介していますが、「彼の教えは、当局者の無理解にあって葬り去られた」としています(同上、42頁)。
特定の学派がいったん陸軍の要職を独占すると、それに反する意見を述べることはできなくなっていました。

広い視野で見れば、アロンの議論はフランス陸軍におけるクラウゼヴィッツ研究の不備を指摘するだけのものではありません。
これは健全な学術研究が硬直的な組織構造に阻害され、それが国家の防衛を危うくする一因になったことを示唆しています。

KT

関連記事

文献案内

  • レイモン・アロン『戦争を考える クラウゼヴィッツと現代の戦略』政治広報センター、佐藤毅夫、中村五雄監訳、1978年(この記事で参照している文献、ドイツ、フランス、アメリカなどでクラウゼヴィッツの思想が与えた影響を検討している)
  • Irvine, Dallas D. "The French Discovery of Clausewitz and Napoleon." Journal of the American Military Institute (1940): 143-161.(当時のフランスにおけるクラウゼヴィッツ研究の動向に関する論文であり、アロンが上記の著作でも参照している)
  • Porch, Douglas. "Clausewitz and the French 1871–1914." The Journal of Strategic Studies 9.2-3 (1986): 287-302.(フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究としてより最近の成果を知ることができる)