最近人気の記事

2016年3月31日木曜日

戦略に関心を持ち始めた人のための戦略学入門

戦場で敵と味方が向かい合いながら行う駆け引きだけが戦争ではありません。
いつ、どこで、どのように戦闘を行うのかを主導することができれば、それだけ戦場で味方は有利な条件で敵と戦うことができるためです。
軍事学では国家の安全保障のために国家の軍事力等を運用する方策のことを戦略といい、戦闘において状況に即して任務の達成に最も有利になるように部隊を運用する方策のことを戦術と区別します。

今回は、戦略に関心を持つ人が戦略の基本概念やそれらの関係について一般的に解説してみたいと思います。

戦略の世界ではどのように駆け引きが行われるのか
第二次世界大戦における東部戦線(独ソ戦)の状況図(1941年)。
赤色でドイツ軍、青色でソ連軍の部隊の配置と移動が示されているが、ここではドイツ軍の対ソ攻撃が一定期間でどこまで進展したのかが表記されている。
戦略という概念にも大戦略(grand strategy)、軍事戦略(military strategy)、戦役戦略(campaign strategy)などの分類法があります。
それぞれ重要な戦略研究の分野なのですが、ここでは戦略でも最も下位の分析レベルに当たる戦役レベルの戦略に注目したいと思います。これは研究者によっては作戦レベル(operational level)として区別する研究領域とも関係するものです(軍事学における分析レベルに関しては過去の記事「政治学者のための軍事分析入門」を参照)。

戦略の用語では戦争状態にある国家の領域の全体を戦域(theater of war)と呼びます。作戦レベルの分析ではこの戦域をさらに作戦地域(area of operation)に区分して取り扱う場合もあります。
戦域では、より積極的に敵との戦闘を求めて前進、攻撃を行う作戦の形態を攻勢、反対に受動的に敵の攻勢を待ち構えて防御し、または退却する態勢で行う作戦の形態を防勢と区別します。
便宜的にここでは攻勢を行う側の勢力を敵、防勢を行う側の勢力を味方と呼びます。

戦域で敵と味方の部隊が対峙する地帯のことを正面または単に前線(front)といいます。
敵は攻勢を行うに当たって、どれだけの兵力を使用するのか、また前線のどこで、いつ戦闘を開始するのかを一方的に決定できます。
戦闘ではより大きな兵力を持つ方が勝利を収める公算が大きくなるため、敵は我が方が希望する地点で相手よりも相対的に戦力が優勢であるように部隊を動かそうとします。

防勢に回る味方は、いつ、どこで、どのような攻撃が加えられるのかを知ることができません。
つまり、情報収集や敵情判断を行って、敵の攻撃目標がどこにあるのかを推定しなければなりません。ここに敵と味方の駆け引きが生じてきます。

そこで味方は、敵が攻撃を加えることが可能な地点の全体に警戒部隊の配置と戦闘の準備を行い、正面に沿って防衛線(line of defense)を形成します。
しかし、防勢作戦を行う場合、防衛線にすべての兵力を配置しておくと、敵の攻撃が特定の地点に集中した場合には戦力比が不利になってしまいます。これを避けるために、あえて正面から離れた後方地域に有力な部隊を拘置する場合があります。これを予備(reserve)といい、正面から予備までの距離のことを縦深(depth)といいます。

防勢に回る味方が予備がどこに配置しているのかという情報は、攻勢に出ようとする敵にとって必ずしも明らかではありません。敵は防衛線に配置されている部隊を撃破したとしても、その背後にどの程度の予備が配置されているのかを知ることができないため、安易に攻撃に出ることができなくなるのです。

攻勢、防勢のいずれの場合でも作戦線の保全は戦略上の最重要課題
(筆者作成)
この図で示しているのは、敵が攻勢に出て味方が防勢に回っているという戦況です。
敵が攻勢で使用しているのは2個軍団の戦力であり、それぞれ二本の経路から攻撃、前進していることがこの状況図から分かります。
これに対して防衛線に配置している味方の2個軍団のうち1個の軍団は退却した後に新たな防衛線に配置されていることも示されています。

敵の指揮官の立場で考えた場合、注意すべき事項の一つとして、敵の軍団が攻撃するにつれて、後方の丸で示した作戦基地から遠ざかっていることがあります。
軍団とこの基地の間にある道路は作戦線(line of operation)または兵站線と呼ばれ、これを遮断されてしまうと、前線の部隊は基地からの人員や物資を受け取ることができなくなり、戦闘力を大幅に低下させてしまいます。(外線作戦・内線作戦については以前の記事「二正面作戦は本当に不利なのか」をご確認下さい)

そのため、敵は攻勢がうまく進んでいるからといって、作戦線を無暗に長く引き伸ばすというわけにもいきません。
作戦線が長くなるほど、それだけ兵站支援の困難は増大し、また味方の部隊による後方攪乱や迂回機動を受ける危険も大きくなります。
また敵の指揮官は攻撃が上手く進行していない他の軍団の動向についても配慮する必要があります。運用する部隊の規模が大きくなるほど、幹線道路から外れた経路での移動は困難となるので、側面から支援するというわけにもいきません。

こうした諸要因が重なると攻勢は停止に追い込まれ、また場合によっては退却を余儀なくされます。新たな防衛線で敵と味方が対峙する状況に移行し、戦線が安定している間に、敵と味方はそれぞれ部隊の移動や陣地の構築などの作業を進めるのです。
こうして敵と味方の部隊は戦域で一進一退を繰り返し、その情勢の変化を受けて国家の政治指導者は戦況が自分にとって有利に進んでいるのか、不利に進んでいるのかを認識し、さらに戦争を続けるべきか、和平交渉を相手に提案すべきかを政治的に判断するのです。

簡単なようで奥が深い戦略の世界
戦争を遂行することは、戦闘を遂行することではありません。戦闘がいつ、どこで、どのように行われるのかを決めるのはさまざまな選択肢の組み合わせなのです。
攻勢に出るのか、防勢に回るのかという作戦の基本方針からはじまり、もし攻勢に出るとすれば、敵の防衛線のどこに、いつ、どの程度の戦力を差し向けるのか、防勢に徹するとすれば、敵の攻撃目標をどこだと予想するのか、それに応じた味方の予備の配置をどこにするのか、などの決定が、その戦争の様相を形作っていくのです。

今回の記事で説明したことは、近代以降の戦争でよく見られる攻勢と防勢の間の戦略的な駆け引きの部分だけですので、人によっては戦略というものは案外単純だと思われることがあるかもしれません。
しかし、クラウゼヴィッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」という言葉の通り、本来の戦略の研究では攻撃目標の選択や防衛線の配置などを定めるに当たって、国家の対外政策の目標や周辺諸国の政治情勢という厄介な要因も大いに関係してきます。
政治的側面と軍事的側面の両面から検討する必要があることが、戦略の研究をより一層奥深いものにしており、多くの研究者の関心を引き付けているのです。

関連記事
文献紹介 なぜナポレオンは強かったのか
事例研究 作戦線から見た太平洋での米軍の戦略

文献案内
戦役レベルの戦略について解説した文献で最も古典的な文献はジョミニの『戦争術概論』ですが、その他にもさまざまな研究文献が出されています。

Baron Antoine Henri de Jomini. 2007. The Art of War, Mendell, G. H., and Craighill, W. P., Trans. New York: Legacy Books Press.(ジョミニ著『戦争概論』佐藤徳太郎訳、中央公論新社、2001年)
19世紀の著作ですが、この著作の第三章「戦略」の部分は、今なお戦略研究の基本概念を解説したものとして読む価値があります。ただし、邦訳を参照する際には全訳になっていない点にはご注意下さい。

Liddell-Hart, Basil H. 1967. Strategy: The Indirect Approach, London: Faber & Faber. (邦訳、市川良一訳『戦略論 間接的アプローチ』全2巻、原書房、2010年)
リデル・ハートの著作では、さまざまな時代の戦略が検討されているため、歴史上にどのような戦略の事例があるのかを知る上でも非常に有用な文献です。ただし、リデル・ハートは戦史の研究に関して読者に相当の戦史と地理の知識があることを前提にしている部分があるので、事前に軍事史を十分に研究しておいた方が望ましいかもしれません。

Biddle, Stephen.  2004. Military Power: Explaining Victory and Defeat in Modern Battle, Princeton, NJ: Princeton University Press.
ビドルは戦役レベルの戦力運用を研究するために数理モデルのアプローチを適用しており、そのモデルを用いて戦力運用が戦力の規模や効率よりも大きく結果を左右することを示すシミュレーション分析を展開しました。非常に高い水準の軍事分析となっており、研究成果だけでなく、シミュレーション分析や事例分析の手法についても参考になると思います。

KT

2016年3月30日水曜日

論文紹介 健全な通常戦力こそ安全保障の基礎である

軍事力はその形態によって核兵器から構成される核戦力と、その他の通常兵器から構成される通常戦力に大別されます。
核兵器は通常兵器と比較にならないほど大きな威力を持っており、安全保障学の研究も長年にわたって核兵器の運用を分析してきました。
しかし、誤解すべきではないのは、核戦力を持てば無条件に国家の防衛に役立つとはかぎらないということです。核兵器の外形的な威力に目を奪われると、軍事力として核戦力には通常戦力以上の価値があると思い込んでしまいます。

今回は戦略研究の観点から、そうした核兵器の理解の仕方を批判し、通常戦力の意義を再確認すべきだと主張した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Howard, Michael. 1982/83. "Reassurance and Deterrence: Western Defense in the 1980s,"Foreign Affairs, Vol. 61, No. 2, pp. 309-324.

新冷戦で露呈した核戦力の対米依存
この論文が書かれた1980年代のヨーロッパは新冷戦の真っ只中であり、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したことを一つの契機として、西側と東側の政治的、軍事的緊張が世界中で高まっていた時期に当たります。
こうした国際情勢の変化を受けて、当時のヨーロッパ諸国では改めてソ連軍の脅威に対抗するための防衛体制を見直そうとする機運が高まっていました。そして、こうした議論は対ソ核抑止能力を強化するように、米国に強く働きかけるべきだとする議論となることが少なくありませんでした。

しかし、軍事史の研究で知られた著者のマイケル・ハワードは、こうした当時の支配的な論調に対して別の議論を投げかけています。そもそも、自国の防衛体制を外国の核兵器に依存させる考え方には根本的な欠陥があると指摘したのです。
例えば、「ヨーロッパについて限定していえば、緻密に構築された核戦力は、(東側と西側という異なる)政治的社会が対峙する現実の課題に耐えきれなくなっている。(中略)米国の核の保証が消滅すると、ヨーロッパ人の士気は崩壊することになるだろう」という彼の見解は、ヨーロッパ諸国がより独立した軍事力を持つよう促すものでした。

西欧諸国は核戦力に頼らず、通常戦力を整えよ
著者は米国に頼ることを批判しただけでなく、イギリスをはじめとする西ヨーロッパ諸国が核戦力に依存した国防政策を推進することにも反対の立場でした。

そもそも米国が核戦力の整備を国防政策として重視しているのは、米国の同盟国の通常戦力の合計が、ソ連側の通常戦力に対して劣勢であり、有事の際にはヨーロッパ正面の防衛に多大な支障を来すと予測されていたためです。
問題は通常戦力の不足を核戦力で補完しようとすることであり、各国においては自衛のための通常戦力を着実に整備することこそが必要だと著者は論じています。
「今、求められているのは米国の核の保証を強化することではなく、反対の政策である。核の保証に関する要求は米国人を苛立たせると同時に、ヨーロッパ諸国で異論が噴出するだろう。しかし、ヨーロッパは軍事的、社会的、経済的に可能な範囲で自衛力を強化することにより、米国の核戦力への依存を小さくするように努力すべきである。自衛力の強化とは、通常武器により、通常の手段で防衛する、という意味である」
米国の核戦力への依存を小さくする努力として、ヨーロッパ諸国が核戦力の増強を推進するという選択も考えられます。しかし、著者はここで通常戦力の増強をあえて重視したのです。これはなぜなのでしょうか。

領土防衛に最適なのは通常戦力である
この疑問に対して著者は、戦略目標の違いがあると説明しています。
米国の対ソ戦略においては核抑止は有用だと言えますが、それはヨーロッパ諸国にとって領土を防衛するために効果的な選択肢ではないと考えられるのです。

そもそも米国の利害とヨーロッパの利害には大きな相違点があり、それを無視すると整備すべき装備について間違った判断を下す恐れ出てきます。このことを著者は次のように述べています。
「ソ連の西ヨーロッパ諸国に対する核攻撃または核脅迫はまったく予想できない事態というわけではない。これは防止すべきことだが、政治的な可能性の一覧において高い順位にあるわけではない。ソ連の核攻撃または核脅迫の防止を基礎に置いてヨーロッパの防衛を考えるべきではない。通常戦力だけが領土防衛を効果的に遂行する基本的な任務を担う。核抑止はこの第一義的な領土防衛任務に従属させるべきであり、その逆であってはならない」
米国の立場からヨーロッパの防衛を考えるのであれば、中東やアジアなどの他の正面に配備すべき戦力の関係で、核戦力による通常戦力の補完という考え方も成り立ちます。
しかし、ヨーロッパ諸国が第一に考慮すべきは自国領土の防衛であり、それはソ連の核攻撃を抑止できればよいというわけではありません。
著者は国土の防衛に必要な装備とは、核弾頭や弾道ミサイルなどの核兵器ではなく、小銃や機関銃、迫撃砲、装甲車、戦車、航空機、ヘリコプターなどの通常兵器であるというのが著者の立場です。

むすびにかえて
核兵器と通常兵器はその形態がまったく異なる武器体系であるため、状況によってその有用性が異なってきます。その国家が置かれている安全保障環境の特性、そしてその国家が選択した戦略によって、どのような軍事力が必要となるかは千差万別です。

北朝鮮の核実験などを受けて、日本でも核武装の必要性を議論する機会が少しずつ増えてきているように思われますが、核兵器がどのような機能を持っており、それが日本の戦略にとってどのような役割を担うことができるのか、日本の核武装に周辺諸国がどのような行動を起こすのかについては、より詳細な検討が必要だと思われます。
日本の防衛政策において核兵器が無用の長物だと軽率に断定すべきではありませんが、核戦力の議論ばかりが先行して通常戦力の重要性が軽視されることは、健全な安全保障の政策論争ではないと思います。

KT

関連記事
論文紹介 通常戦力の報復攻撃でソ連を抑止すべき
文献紹介 抑止が難しい戦略もある
核戦争の恐怖と同盟国の信頼を天秤にかける

2016年3月28日月曜日

戦争で味方に休養を取らせるための戦術

戦術学において、宿営とは部隊がその戦闘力を回復もしくは充実させ、事後の行動を準備する目的で行進を停止し、長時間にわたって休養させている状態、またはその状態に至る行動をいいます。

宿営の基本的な分類は、既存の建物で行う宿営である「舎営」と野外で行う宿営である「野営」という二分法です。
しかし、後者の野営に関しては作戦天幕や携帯天幕などの装備品を展開し、部隊や装備を一時的に保護する簡易式の施設を構成する「幕営」と、それらを使用しない「露営」に細分化することもできます。
宿営の基本的な要領の多くは、趣味として広く知られているキャンプと本質的に同じですが、敵襲を想定して行う点が決定的に異なります。

今回は、戦術研究の観点から宿営を考える際に、どのような問題があるのかを説明してみたいと思います。

宿営地は本質的に野戦陣地でなければならない
ハイチで幕営を行っている米海軍の部隊。
長期にわたる作戦において宿営は重要な問題であり、特に戦時に行う宿営では兵站上の考慮だけでなく、戦術上の考慮も必要となる。
敵地に赴いた部隊をいかに安全に休養させるかという問題は、指揮官にとって切実な問題です。特に部隊の行進がもっぱら徒歩行進に頼っていた時代の戦争では、兵士が長い行進で疲れ果てると落伍してしまう恐れもあるため、戦場で本来の能力を発揮できなくなるためです。

そこで指揮官は行進の途中で宿営を実施し、戦場に到着する前に部隊の戦闘力が失われないように注意しなければなりません。
しかし、敵地を行進する味方の部隊は宿営している最中に敵の襲撃を受ける危険があります。夜襲を受けるようなことになれば、小規模な敵襲でも味方の部隊から大きな損害が出るかもしれません。
宿営地が全体として防御陣地となるように着意して構成することが指揮官に求められます。

政治学者であり、軍事学者でもあったマキアヴェリは、この問題を検討する際に、古代ローマ軍の宿営要領を紹介しています(マキアヴェリ「戦術論」233-43)。
ローマ軍を描いたレリーフ。規則的に並んでいる天幕を取り囲んで防壁が構築されている。
宿営地の防備を適切にするために野戦築城が必要なことは、いつの時代の戦場でも変わらない。
それによれば、ローマ軍は宿営地を基本的に方形に構成し地形に応じて東西南北に走る交通路と中央に集合場を準備していました。これは宿営地内部の空間を適切に区画し、緊急事態の際に部隊が速やかに戦闘陣形をとることができるようにするためのものです。

また、宿営地の四周には防壁を構築し、四方に出入口を置いて哨所を置きました。さらに防壁の外周にも乾壕、堆土、堡塁などで防備を整え、敵襲があっても短時間で宿営地にまで到達できないようにしていたのです。

敵襲に対応するため、宿営地は広く、長方形に構成する方が有利
実はマキアヴェリの著作では登場人物の一人が宿営の問題について「ちっとも面白くない」とぼやく場面があるのですが、これは宿営の戦術的問題を十分に理解していないためです。
宿営の問題は部隊の周囲を警戒を厳重にすればよいという単純な問題ではありません。なぜなら、警戒を厳重にするほど休養をとれる部隊は少なくなってしまうためです。
そもそも宿営の目的は休養をとって戦闘力を回復させることなのですから、連日にわたって厳重な警戒を敷くような画一的な対応では宿営の目的が達せられません。

指揮官は敵情を適切に判断し、いつ、どこで、どれほどの敵襲が起こり得るのかというリスクを見積り、その状況に応じた宿営の方法を選択できなければならないのです。これは戦術的な判断力を必要とする問題です。
宿営の際にとるべき部隊の配置のパターン。
敵襲のリスクが小さい場合の宿営は方形・円形に近い警戒線を構成すると、それだけ宿営地で休める部隊が多くなる利点がある。もし敵の襲撃が予想される場合には、警戒線を敵の方向に伸ばして方形にし、敵が接近する方向に強力な前哨を置くことで、最小限度の兵力のみ休養をとらせる処置をとるべきと考えられる。(筆者作成)
行進で作戦部隊は主隊を中心としながら前衛、側衛、後衛という警戒部隊が取り囲む陣形をとることが多いのですが、宿営地で警戒線を構成するのはこれら警戒部隊であり、作戦部隊の主力である主隊がそれらの中間で宿営を行います。
もし敵襲の恐れが小さい状況であれば、図で示したように円陣に近い宿営地を構成しますが、敵襲の恐れが大きい状況ならば敵に対して警戒部隊を前方に配置し、いち早く敵襲を察知するように努めます。

敵襲を早く察知するだけでなく、敵襲を食い止めるために前哨に配属する兵力を増強するなどの処置も同時に行います。
こうすれば休養をとっている主隊は警報を受けてから戦闘準備を整えるまでの時間的猶予を得ることが可能となります。

休養の重要性を戦術的に軽視すべきではない
攻勢作戦を行っている軍は行進するたびに疲労を蓄積させ、戦闘効率を低下させていきます。
最も重要な時期、場所で所望の戦闘力を発揮するためには、指揮官は宿営を適切に行うことが重要となります。しかし、敵は味方の宿営を妨害するために斥候による襲撃や住民を利用した工作を行う可能性も考えなければなりません。
しかし、だからといって警戒を万全にするばかりでは、味方は十分な休養をとることもできず、戦闘力は低下する一方です。
後方地域にまで引き下がらないと一切の休養がとれないという考え方は、敵国の領土で部隊が活動する際には現実的ではありません。状況によっては危険な場所でも休養をとっておく必要があることも十分に考えられるのです。

こうした状況において戦術の意義はリスクを一定の水準にコントロールすることにあります。
戦争でリスクがゼロになるということは決してありません。そのような不確実な状況で味方を休ませ、事後の行動の準備を行うために、戦術家はリスクを管理しながら任務を遂行しなければならないのです。

KT

参考文献
ニッコロ・マキアヴェリ『戦術論』浜田幸策訳、原書房、2010年

2016年3月27日日曜日

論文紹介 安全保障のジレンマの原因は軍備それ自体ではない

政治学、国際関係論において安全保障のジレンマ(Security Dilemma)という用語は、自国の安全を追求するために軍備を拡張すると、その軍備が相手にとって新たな脅威となって軍備の拡張を誘発するため、結果として自国の安全性が低下してしまうというジレンマのことを意味します。

安全保障のジレンマを考える際に重要となるのは、その軍備が攻撃と防御のどちらに使用されるのかいう点であり、一般に安全保障のジレンマは防御的能力を重点的に強化するように注意して軍備拡張することにより回避することができると考えられています。

今回は安全保障のジレンマの研究で有名なジャーヴィスの論文を取り上げて、その要点を紹介したいと思います。

文献情報
Robert Jervis. 1978. ''Cooperation Under the Security Dilemma,'' World Politics, 30(2): 167-214.

目次
1.無政府状態と安全保障のジレンマ
2.何によって協調がより容易になるのか
3.攻撃、防御、安全保障のジレンマ
4.四つの世界

ゲーム理論的分析の考え方

この論文の基礎にあるのがゲーム理論の考え方であり、安全保障のジレンマを理解する上でもゲーム理論の知識を踏まえておくことが必要となってきます。

そもそもゲーム理論的分析の目的とするところは、プレイヤー間の相互作用を予測することです。つまり、あるゲームのルールを設定し、各プレイヤーの最適行動を検討しなければなりません。
このゲーム理論的分析は、一般にそのゲームがどのようなルールによって規律されているのかを調べるところから始められます。

つまり、そのゲームに参加するプレイヤーの数とその可能行動、プレイヤーが利用可能な情報、プレイヤーの行動のすべての可能な組み合わせとして生じ得る結果に対する各プレイヤーの選好がこのルールとして定められます。
ルールを定義すれば、あとは各プレイヤーにとって最適な行動を分析していき、その結果としてどのような事象が生じるのかを予測することが可能となるのです。

著者は、こうしたゲーム理論の枠組みを用いるために、二カ国の国家から構成される国際システムを想定し(プレイヤーは二者)、それぞれの国家の可能行動を協調と裏切りの二種類に区分した上で(プレイヤーの選択可能な行動は二種類)、プレイヤーが持つ選好が変化することによるゲームの結果の相違に注目しているのです。

スタグ・ハントと囚人のジレンマの比較に見る利得集合の重要性

左がスタグ・ハント、右が囚人のジレンマのゲームにおけるAとBの利得をまとめた表。
この図表では各欄の右上にAの利得が、左下にBの利得が示されている。また利得は1に近づくほど大きく、4に近づくほど小さくなる書き方になっている点に注意。
(Jervis 1978: 171)
全世界を統治する主体が存在しないため、国際政治では複数のプレイヤー間の戦略的な相互作用が生じると著者は指摘しています(Jervis 1978: 167)。
これは、それぞれのプレイヤーが自分の利得を最大化しようとしますが、その利得を最大化するためには相手の行動について予測しなければならない状況に置かれているという意味です。
「国内社会においては、他者に危険を及ぼすことなく、各人とその財産の安全を確保するために複数の方法がある。(中略)しかし国際政治では、ある国家の安全はしばしば他国の安全を不注意に脅かす。戦間期における海軍軍縮に関するイギリスの政策を説明する際に、マクドナルド(Ramsey MacDonald)は『誰も日本を危険な状態にしたいと考えてはいない』と述べた。しかし、この問題はイギリスの願望に対する問題ではなく、その政策の結果に対する問題であった」(Ibid.: 170)
ここでは安全保障のジレンマが戦間期の国際社会で海軍の軍拡競争を引き起こすことになったことが示唆されています。
国際社会において国家が安全を確保するために軍備を増強すれば、他国よりも強力な軍事力を持つことに繋がりますが、それは必然的に他国が持つ軍事力の価値を相対的に低下させてしまうのです。

この問題をゲーム理論に基づいて掘り下げると、安全保障のジレンマをもたらす根本的な原因を特定することができます。
ここで著者はスタグ・ハントというゲームと囚人のジレンマというゲームについて紹介しています。
スタグ・ハントは政治学者ルソーの議論に登場する話に基づいています。
これは二人のハンターAとBがそれぞれ小さなウサギを捕まえるか、AB二人で協力しながら1頭の大きな鹿を捕まえるのかを選択する状況を想定するゲームです。
このルールだとAB二人で協力することが最適な戦略となりますが、鹿の獲得には二人で力を合わせる必要があるため、もし途中でABどちらか片方が逃亡する方が有利な状況が生じると、鹿は得られなくなってしまいます。

囚人のジレンマはスタグ・ハントのゲームと異なっているのは、AとBの利得の組み合わせです。
囚人のジレンマでは囚人AとBがそれぞれ協力して黙秘すれば刑期を短くできますが、どちらかが裏切るって自白すると他方の刑期が長くなってしまう状況を想定します。この場合、囚人AとBにとって最適な戦略は相手を裏切る以外にありません。
ただし著者も言及しているように囚人のジレンマは繰り返し行われると、必ずしも裏切りが最適な戦略ではなくなるということも分析されています(Ibid.: 171)。

これらのゲームの比較で分かることは、国際紛争を回避するためにはAとBが生起し得る状況にどのような利得を見出すかにかかっており、場合によっては「相手が協調を選択したにもかかわらず裏切りを選択する可能性がある」ことが示されていることです。
これは安全保障のジレンマに直面した国家の意思決定を理解するためには、それら意思決定の根拠となった情勢見積を理解することが重要であることを表しています。

安全保障のジレンマの原因は軍備自体ではなく「攻撃的能力」

軍事力は本来、攻撃と防御のどちらにも使用することができる能力を含んでおり、著者自身もこの定義は常に明確ではなく、多くの原因によって判断は難しいと認めていますが(Ibid.: 186-7)、安全保障のジレンマの検討で「攻撃的能力」と「防御的能力」を概念的に区別することによって興味深い知見を得ることができます。

著者は安全保障のジレンマが最も深刻になる場合は、軍事技術、地理環境、軍事教義などの要因によって防御に対し攻撃が優勢になる状況であると論じています(Ibid: 187)。
「攻撃が優位であるということは、単に他国の軍隊を撃破し、その領土を獲得することが自国の領土を防衛するよりも容易であるということを意味している。防御が優位であるということは、軍隊を保全し、領土を獲得することの方が、部隊を前進させ、敵を撃破し、領土を獲得するよりも容易であるということを意味する」(Ibid.)
「安全保障のジレンマが最も深刻となるのは、条約、戦略、または技術上の必要によって安全保障のためには領土拡張を行う他に選択肢がない時である。現状維持の立場をとる勢力は侵略者のように行動しなければならない」(Ibid.)
つまり、軍事情勢の観点から攻撃が防御よりも有利な状況が発生すると、領土拡張を必ずしも重視しない現状維持の勢力であったとしても、結果として安全保障上の理由から領土拡張を決断せざるを得なくなることです。

この軍事力を攻撃的能力と防御的能力に区別するアプローチはさまざまな国際政治上の事象に応用できますが、特に重要な意味を持つのが軍拡競争、軍備管理の分野です。
「もし防御に優位があるならば、現状維持勢力は合理的な安全保障の所要兵力を見積るので、軍拡競争を回避することが恐らく可能である。一方が軍備を拡大し、安全性を向上させたことが、他国の軍備を相対的に縮小し、安全性を相対的に低下させるとしても、前者が実現した安全性の向上は後者が受けた安全性の低下よりも大きな程度で実現されることになる。もし一方が軍備を増強しても、他方は以前の軍備の水準に対して限られた戦力規模を付け加えることにより安全を確保することが可能なのである」(Ibid.: 188)
どうしてこのようなことが起こり得るのかといえば、それは先程検討したゲーム理論的分析で述べたように、国家の意思決定は本質的に利得集合によって変化しているのであって、もし侵略によって期待される利得が防衛によって期待される利得を上回らないのであれば、協調を選択すると考えられるためです。
こうした分析から、軍事力それ自体が安全保障のジレンマを引き起こしているわけではなく、問題なのは軍事力を使用する形態として攻撃が防御よりも優位に立ってしまうことにあるのです。

第一次世界大戦がもたらした安全保障のジレンマの縮小

著者は国際政治における安全保障のジレンマという事象が、攻撃と防御の相対的な優劣の変化に応じて緩和されることがあることを、第一次世界大戦の事例を交えつつ次のように説明しています。
「塹壕と機関銃は防御に圧倒的な優位をもたらした。戦闘は硬直状態に陥り、膨大な損害を出した。血を流し、命を落とすことは戦闘員にとって何の意味もなかった。もし事前に防御の威力を知っていれば、敵国の領土へと殺到するのではなく、味方の塹壕に駆け込んだであろう」(Ibid.;: 191)
「戦間期の政治は先の戦争の記憶と将来の戦争も似たようなものであるという確信によって形作られた。政治的、軍事的教訓は両陣営にとって安全保障のジレンマを改善することを助けたのである」(Ibid.: 192)
これは機関銃や塹壕などをはじめとする軍事的革新によって戦争の形態が変化を遂げると、攻撃と防御の優劣もその影響を受けて変化し、結果として国際政治のあり方にまで影響が及ぶということを表しています。
なお、歴史的事例だけでなく、著者は弾道ミサイルの開発によって第一撃を加える側が優位になる状況が出現すると、防御の優位が低下し、安全保障のジレンマを引き起こしやすい国際情勢が生じるという現代の課題についても言及しています(Ibid.: 206)。

この研究の意義について

この研究の意義は安全保障のジレンマという問題をゲーム理論的分析の枠組みから捉え直すため、国家の行動を左右するのは生起し得る状況に見出される自国の利得の相対的な大きさであると考えました。そして、その考え方に基づけば、安全保障のジレンマは本質的に軍備自体によって引き起こされているというよりも、攻撃的能力によって引き起こされている事象であることを指摘したのです。

興味深いのは国際政治における安全保障のジレンマという事象が、攻撃と防御の軍事的な優劣の度合いに影響されるという点であり、これは攻防均衡(offense-defense balance)の理論を発展させる上で重要な理論的基礎となりました。
この研究によって軍事技術の動向が国際政治に与える影響をより詳細に説明することが可能となっただけでなく、戦争が発生しやすい軍事バランスの分析など、さまざまな方面に応用されることになりました。

KT

2016年3月26日土曜日

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。
これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。

こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与したブロディ(Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。

バーナード・ブロディとは誰なのか

バーナード・ブロディ(1910-1978)
「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。
彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。
ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。
彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。
第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。

このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。
ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。
その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。

「戦略にはドルマークがついている」

ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。
つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘したのです。
「平時における戦略はどの武器体系を選ぶのかという選択によって大まかに表されている。当然、それは棚から既製品を買うようなものではなく、重い費用と多くの利点を調整する過程で厳選されながら展開されるものである。武器体系とそれに関するレーダー警戒ネットワークのようなシステムを選定していく過程で、軍事予算は常に大きな、そして普遍的な制約である」(Brodie 1959: 361)
つまり、平時における戦略家の重要な責任は防衛予算の適切な水準を見積り、また予算の制約の中でどのような武器体系の調達が適切なのかを判断することであると考えられているのです。
この主張は有事に軍団や艦隊を運用することだけを戦略だと考えてきた研究者に対する批判でもありました。
従来の戦略研究は平時における軍事力の費用分析の問題を重視してこなかったため、この研究が発表された当時の米国では軍事的理由から安全保障のために際限のない予算の要求が積み上げられるという状況に陥っていたことをブロディは懸念していました(Ibid.: 362-3, 364)。

健全な経済こそが軍事力の基盤である

国際金融センターとして知られるニューヨークのウォール街。
ニューヨーク証券取引所は世界最大の証券市場として有名であり、米国の経済的地位を示す象徴的存在ともなっている。正式な設立は1817年であり、その長い歴史を通じて米国債の流動性を確保する役割を果たしてきた。
言うまでもなく、軍事力は経済力によって支えられており、両者は相互に関係するものです。
ブロディはこのことを「長期にわたる国家の軍事的安全保障が健全な経済を必要とすることは明白な事実であり、この健全な経済のために軍事的安全保障も負担を背負わなければならない」と説明しています(Ibid.: 367)。
このため、現代の戦略家は経済に対する深い理解が必要であり、政府支出の増加に伴う税金の増加や国債の発行、そして労働力や資本の軍事部門への投下がどのような経済的影響を及ぼし得るかを考察できなければならないのです。そして、この経済の運営と関係してくるのが政治の問題であるともブロディは指摘しています。
「米国のような国家にとって、軍事支出は経済に深刻な悪影響をもたらすのは、民間経済に対する投資が大幅に削減された時か、利己的行動を引き起こすのに十分な速度でインフレーションが進んだ時に限られるであろう。さらに加えて、もし生活水準が低下、または上昇が停滞したならば、それはもはや(経済的責任というよりも)政治的責任として認識されることになるだろう」(Ibid.: 369)
ここでブロディは経済運営の適否という視点を通じて、戦略と政治が関係を持っていることに言及しているのです。
ブロディのように、戦略学の領域を経済、そして政治の方面にまで広げて研究すれば、軍事力が経済力とのバランスを失うほどに増強されるようなことがあってはならないことが分かります。それは財政の破綻と政治の崩壊に繋がる危険な状態であり、国家の安全保障を損なう状況に他なりません。

まとめ

ブロディは平時における戦略の重要性は、適切な防衛予算の水準を定めて、それを適切に配分することで必要な武器体系を揃えることにあると考えました。
その考え方に基づけば、戦略家は軍事力と経済力の相互関係を認識する必要があると分かります。ブロディは安全保障上の必要を理由に軍事予算を増やすことばかりを要求することは、結果として軍事力の基盤である経済力を弱体化させる恐れがあることに注意を促しており、財政運営に失敗することで生じる政治的リスクについても考えていました。

こうした戦略の考え方は抑止を主眼とする核の時代における戦略研究になくてはならないものとなり、現在においても多くの戦略論争の基礎となっているのです。

KT

参考文献
Brodie, Bernard. 1959. Strategy in the Missile Age, Santa Monica: RAND.

2016年3月25日金曜日

国家の政策を支配する政治の論理

ある国家がどのような政策を選択するのかを予測する技術を政策予測(policy forecasting)といいます。
さまざまな政策課題がそのまま放置されたり、また有権者の思いとは正反対の政策が選択される事態を目の当たりにし、なぜこのような政策が決定されるのか不思議に思うことが少なくありません。
こうした問題を検討し、将来選択される政策を検討し、国民のより良い政治的意思決定を助けることが政策予測の趣旨です。

とはいえ、政策予測に関する考え方は政治学者の間でも十分にまとまっているとはいえません。
定性的判断に基づく予測もあれば、シミュレーション分析、統計的分析に基づく予測などがあるのですが(Armstrong 2005)、そもそも予測としての精度が十分に確保できていないとの指摘もあります(Tetlock 2005)。

今回は、こうした政治的意思決定に基づく政策を予測するための理論研究として支持基盤理論を取り上げ、政治体制が政策を予測する上で重要な要因であることが説明されていることを紹介したいと思います。

支持基盤理論とは何か

ナポレオンの戴冠式。支持基盤理論の最大の特徴は、権力者として生き残ることが政治家にとって最大の関心事と見なすことで、さまざまな政治的意思決定に一貫した説明を与えることができることを示したことにある。政治家は国家の繁栄のような「公益」に基づいて行動するのではなく、自らが政権を掌握し続けるために行動を起こす、という考え方は支持基盤理論が構築される以前から政治学にあった考え方であるが、支持基盤理論はその理解をさらに理論的に拡張した意味で重要であった。
支持基盤理論は、米国の政治学者であるブルース・ブエノ・デ・メスキータ(Bruce Bueno de Mesquita)、アラスター・スミス(Alastair Smith)、ランドルフ・シヴァーソン(Randolph M. Siverson)、ジェームズ・モロー(James D. Morrow)によって構築された政治理論であり、「政治的指導者はいかなる目標を達成するためにも、政権の座を維持することが必要とされる」という前提から出発し(Bueno de Mesquita, et al. 2003: 7)、そこから財政、公共事業、海外援助、反乱、戦争、民主化などさまざまな事象に一貫性のある説明を展開するという特徴があります。

支持基盤理論の基礎にあるのは、政治的指導者は自分が権力を維持し続ける上で絶対に欠かせない仲間の協力を維持することを何よりも優先して政策を決めるという視点です。
「あらゆる指導者は自らを権力者たらしめる特定の集団に報いなければならない」という原則は国家体制が独裁制であれ、民主制であれ、基本的に変わるものではありません(Ibid.)。
しかし、どのような条件で政権運営が可能であるかによって、権力者の行動には変化が生じると考えます。

支持基盤と勝利連合

テニスコートの誓い。政治を理解する上で基本となるのは支持基盤と勝利連合という二種類の集団となる。
国民全体に公民権が付与されていない場合、極めて限られた集団が支持基盤となるため、勝利連合もごくわずかであるが、民主化が進むと政治指導者はより大きな支持基盤の利害を考慮する必要が生じる。
支持基盤理論の最も重要な概念は支持基盤(selectrate)であり、これは「政府の指導者を選択するために制度的に必要とされる資質もしくは属性などの地位を有し、また政府の指導者によって一部に与えられる個人的な利得を獲得するために必要とされる人々の集団」と定義されます(Ibid.: 42)。いわば、支持基盤理論は政治指導者が権力を掌握するために考慮すべき集団なのです。

しかし、政治体制において支持基盤の全員からの政治的支持を常に確保し続ける必要があるとは限りません。
というのも、政治権力さえ掌握しておけば、自分を支持しない集団の行動を統制することができるためです。
「政治権力を掌握するためにその指導者が必要とする規模の支持基盤の下位集団」を支持基盤理論では勝利連合(winning coalition)といいます(Ibid.: 51)。

例えば、現在の日本では20歳以上の成人男女であれば一般的に投票権が付与されているため、成人でさえあれば支持基盤に含まれます。
しかし、日本で政権を掌握するために有権者の全員から支持される必要などありません。なぜなら、衆議院で過半数の議席を占めるために必要な票を選挙で集めさえすれば、あとは衆議院の議決で内閣総理大臣を指名できるためです。
つまり、支持基盤=勝利連合という極端な状況でない以上、政治指導者は国民全体の利益を考えるよりも与党の地位を維持するために必要な支持者の利益を優先して政策を決定すると予測されるのです。

政治とは社会に対する価値の権威的配分

フランス革命で成立した立法議会はフランス全土で反革命分子に対する家宅捜索を行い、収監された多数の聖職者を処刑した。この出来事は九月虐殺と呼ばれており、王党派の勢力を減退させただけでなく、彼らの財産没収も進められている。武力による抵抗が不可能となった政敵の財産は革命政府が支持基盤を固める上で重要な臨時歳入であった。
政治学者のイーストンはかつて政治を「価値の権威的配分」と定義したことで知られていますが、彼の定義の通り、権力者にとって政府の権限によって巧妙に所得を再配分することは政治の要諦といえます。
政治指導者は納税者の所得を抽出して得た歳入を駆使し、自らの政党を支持する有権者を満足させることを何よりも重視しなければなりません。この努力を怠れば政権を失ってしまいます。
支持基盤理論では、この点について「指導者は税金を上げ、また政府支出の一部分を公共財または私的財に使用することによって、自分自身を権力の座に留め置こうとする」と説明しています(Ibid.: 58)。

要するに、政権運営の能力に優れた政治家は、歳入が減少しない限度まで税金を引き上げ、政権が再配分可能な資源を確保しておくのです。
もしその国家の政治体制が民主的であるため勝利連合の規模が大きいのであれば、政府支出に占める公共事業の割合を増やして多くの人々の利益になるように政策を調整します。
反対に、独裁的な国家で勝利連合の規模が小さいならば、政府支出が提供する私的財の割合を増加させ、特定の有力者に個人的な便宜を図る方が政治的には効率的ということです。

結びにかえて

支持基盤理論は政策予測に関心がある人にとって興味深いモデルを提供してくれます。
国家の政策が国民全体にとっての利益となれば、それは最も公共政策として望ましいことでしょうが、支持基盤理論は勝利連合の規模によって政治家が選択する政策の内容は変化すると指摘し、しかも勝利連合は政権維持に必要な最小限度の有権者の数に止まるので、全体の意思が反映されることはないと考えます。

なぜなら、政治家は政策決定において次の選挙で自分の党派が与党としての地位を維持することができるか最優先で考えなければならないためです。
もし、政権運営に必要な勝利連合を構成することができなくなれば、次の選挙で敗北し、政策決定に関与できなくなるでしょう。
したがって、あらゆる政策決定で政治の都合が優先されることは何ら不思議な事象ではないのです。支持基盤理論は、政策というものに対する私たちの素朴な考え方を大いに見直す必要があることを示唆していると思います。

KT

参考文献
Armstrong, J. S., ed. 2005. Principles of Forecasting: A Handbook for Researchers and Practitioners, Nowell: Kluwer.
Bueno de Mesquita, B. B., Smith, A., Siverson, R. M., Morrow, J. D. 2003. The Logic of Political Survival, Cambridge: MIT Press.
Tetlock, P. E. 2005. Expert Political Judgement: How Good Is It? How Can We Know? Princeton: Princeton University Press.

2016年3月23日水曜日

論文紹介 広正面防御では「縦深」が重要である

長い国境を持つ国家の陸軍では、広正面防御(expanded defense)が重要な戦術上の課題となります。広正面防御とは、正面が我の戦力に比して著しく広いために、部隊間の相互支援が制限される状況で行われる戦術的防御の一種です。言い換えれば、普通の場合よりも広域に部隊を展開することになるため、広正面防御は防者にとって不利な防御の方式なのです。

今回は、師団運用の観点から広正面防御の適切な方法について考察した論文を紹介したいと思います。

文献情報
Betson, William R. 1987. The Problem of Width: Division Tactics in the Defense of an Extended Front, Monograph, Fort Leavenworth: U.S. Army Command and General Staff College.

広正面防御で「戦力の集中」を重視すべきなのか
この論文が執筆された1980年代、西ヨーロッパ防衛に当たる北大西洋条約機構の主力である米軍では、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の部隊に対して広正面防御を行う戦術を明らかにすることが求められていました。

当時の米陸軍の編制を見ると、1個の歩兵大隊は1キロメートルから5キロメートル程度の正面にわたり防御陣地を占領する能力がありました。
したがって、5キロメートルよりも広い地域に1個大隊を展開しようとすると、現場では人員不足に陥るため、戦闘力を有効に発揮できません。
そこで当時の米陸軍の教範では広正面防御においては特定の要点を防御し、他の前線に部隊を配置しないことで、戦力の節約と集中を図るように指示されていました(Betson 1987: 4-5)。
確かに、教範が示した考え方であれば、味方の戦力の集中は容易ですが、味方の防御陣地がごく一部の地域に限定されるため、敵がその弱点を突いて味方に攻撃を加えると、対応できない恐れがありました。
著者はこの点を「広正面に対して戦力を節約し、危険を冒すことが必要であるならば、敵による可能行動に作戦計画をある程度は依拠せざるをえない」と指摘しています(Ibid.: 9)。

錦江線の戦い(1950)における広正面防御の問題
ウィリアム・ディーン(1899-1981)
第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線で第四十四歩兵師団を指揮した功績を持つ。
朝鮮戦争では第二十四歩兵師団を指揮して北朝鮮軍と戦った。
この主張を裏付けるため、著者はいくつかの事例を分析していますが、朝鮮戦争におけるKun川の戦いもその一例とされています。この戦闘は米軍が北朝鮮軍に敗北した事例ですが、広正面防御で要点のみを防御する危険が示されていると著者は判断しています。

1950年、北朝鮮軍が韓国へ侵攻を開始したことを受け、ダグラス・マッカーサーは日本に駐留していた第八軍の部隊を韓国へ急行させます。その部隊の一つが第二十四歩兵師団であり、師団長だったディーン(William F. Dean)少将は退却する韓国軍を支援し、北朝鮮軍の攻撃を食い止める目的を持って、Kum川に主抵抗線を引くことを決めました(Ibid.: 10)。

第二十四歩兵師団の戦力は11,000名から成る3個連隊(6個歩兵大隊)、砲兵大隊の戦力を併せて考えても、防御正面はおよそ25キロメートルが限界と見積もられていました(Ibid.)。しかし、ディーンにとって不利なことに、戦場には北朝鮮軍が使用できる道路が二本もありました。
すでに前線からの報告で、北朝鮮軍の歩兵は路上、路外関係なく前進することが判明していたため、ディーンは広正面防御の問題に直面することになりました。
1950年7月13日の朝鮮戦争の戦略情勢。
朝鮮半島の東部から西部にわたる広い地域で北朝鮮軍が攻勢に出ている。
第二十四師団は西側から二つ目の防御陣地にあるが、ここに北朝鮮軍の二個師団が攻撃を加えていることが読み取れる。また、米軍、韓国軍の防衛線の全体の配備から見て、第二十四師団が最も南方に位置するため、敗退すれば防衛線の全体に与える影響も大きいことが分かる。
この時、ディーンは北朝鮮軍が二本の道路にそれぞれ1個師団を充て、前進してきているとの報告を受けます。この情報に基づき、ディーンは北朝鮮軍が二本の道路に沿って攻撃してくると判断し、錦江の道路沿いにそれぞれ1個連隊を配置し、残余の1個師団は予備として後方に拘置する陣地防御の戦術をとりました。

一方、北朝鮮軍では開戦から連続で戦闘を続けてきたことによる人員と武器の不足が深刻な問題となっていました。
特に東側の経路を前進していた第四師団の戦闘力の低下は著しく、人員は5,000名から6,000名、戦車は20から30両、火砲は45門しか残っていなかったので、師団の戦闘力は半減していました(Ibid.:)。そして、もう一つの第三師団もほとんど同じような状態に陥っていたのです。

したがって、北朝鮮軍と米軍の戦力比は絶対的に米軍に不利ではありませんでした。米軍は河川防御を準備していたため、北朝鮮軍が渡河攻撃を行えば、大敗する危険もあったのです。

北朝鮮軍の浸透による米軍の防御陣地の崩壊
1950年7月14日の錦江線の状況。
赤色が北朝鮮軍、青色が米軍を表しており、×と表記されている部隊は歩兵、斜線で表されているのは偵察、●で表されているのは砲兵である。
錦江線を主抵抗線として米軍が道路沿いに部隊を展開していることが分かる。
渡河攻撃を成功させるため、北朝鮮軍は米軍の陣地を偵察し、その結果から特定の防御陣地に戦力を集中させる攻撃は成功の公算が小さいとの判断に至り、より広い正面で浸透を行う方針が決められました。これは敵の防御陣地の背後にある砲兵陣地や指揮所を目標として、広い正面にわたり突撃を行わせる攻撃の一種です(Ibid.: 11)。

7月14日午前8時、北朝鮮軍は一斉に渡河攻撃を開始すると、北朝鮮軍の予想した通り米軍は防御陣地の正面に砲兵火力を集中させ、北朝鮮軍の突撃を頓挫させます(Ibid.: 11)。
しかし、ディーン少将は北朝鮮軍の攻撃があまりに広範囲にわたるため、どこに予備を投入すべきか判断が遅れました。この間に米軍の主抵抗線を通過した北朝鮮軍の部隊が米軍の砲兵陣地に到達します。
北朝鮮軍による攻勢作戦の概要。(この地図では右側が北となる)
左側に防御者の米軍、右側に攻撃者の北朝鮮軍が展開。
北朝鮮軍の部隊は米軍の防御陣地で一部壊滅したが、残りの部隊が背後に浸透し、米軍の砲兵陣地を撃破している。
(Kutson, 1987: 42)より引用。
ディーンの予想を超える速さで北朝鮮軍は米軍の防御態勢を切り崩していきました。
まず、第三十四歩兵連隊が守っていた左翼で北朝鮮軍の第四師団、第十四歩兵連隊が浸透に成功し、米軍は各地で恐慌状態に陥った部隊が退却します(Ibid.: 11)。
さらに米軍の右翼でも北朝鮮軍の第三師団の内で2個中隊が浸透に成功し、米軍の砲兵を撃破する戦果を上げました(Ibid.: 12)。
浸透に成功した北朝鮮軍の部隊の個々の規模はそれほど大きくありません。しかし、これらが一旦米軍の防御陣地の奥深くにまで浸透すると、正面の防御陣地に配置されていた師団の部隊は孤立してしまい、これに効果的に対応することができなかったのです。

北朝鮮軍が偵察に基づいて米軍の主抵抗線の弱点を突いて攻撃してきたことを考慮すると、ディーンの広正面防御が失敗した背景には、戦力の集中と節約を重視したことが関係していたことが考えられると著者は主張しているのです(Ibid.: 12)。

広正面防御で鍵となるのは縦深の大きさである
この研究ではその他にもさまざまな歴史的事例が検討されていますが、著者はそれらを総合した上で次のように述べています。
「広正面防御の問題に関してどのような結論が得られるのか。戦術を変えるべきである、というのが私の答えである。通常の正面であれば、指揮官は敵の攻撃を早期に撃退するために、最も敵が現れそうな経路に味方の戦力を集中し、現在の米軍の教義に従ってもよいが、広正面防御ではそうすべきではない。私は指揮官が敵の主攻がどこに指向されるのかを予期してはならないなどと論じているのではなく、その指揮官が第一に考慮すべきは戦力の集中であってはならないということを論じているのである」(Ibid.: 34)
ここで著者が重視していることは、広正面防御で部隊の配置に縦深を持たせることです。
縦深を持たせれば、どの方向から敵が攻撃を仕掛けてきても、それを正面で食い止める必要はないため、敵の攻撃目標を判断する時間的猶予が大きくなります。そして、敵の主攻の方向を捕捉できたならば、味方の予備を投入し、そこではじめて敵の撃退を図るのです(Ibid.: 34-5)。
もし当時のディーンが河川から距離を置いて味方の部隊を後退配備させておけば、北朝鮮軍は少数の部隊で米軍の砲兵陣地を攻撃する前に捕捉撃滅されたでしょうし、ディーンは予備を投入するために必要な時間も確保できた、とも考えられます。

確かに防御を考える時には、陣地を維持するため部隊を集中させ、敵の攻撃を陣地の手前で阻止することに意識が向きがちです。しかし、このような考え方は常に戦術的に正しいとは限りません。
著者は広正面防御のような問題に直面した時には、そうした原則に固守することの危険を指摘し、味方の部隊配置に大きな縦深を持たせ、敵を深く引き寄せながら戦う意義を説いているのです。

KT

2016年3月16日水曜日

論文紹介 日本のシーレーン防衛と陸上自衛隊の意義

日本は対外貿易のほぼすべてを海上交通に頼る国家であり、シーレーンに加えられる脅威は直ちに日本の安全保障にとって深刻な悪影響を及ぼす危険があります。
このような安全保障環境において日本が重視すべき防衛力とは、第一に海上戦力、第二に航空戦力と考えられ、陸上戦力の位置付けは第三に置かれてしまいがちです。
しかし、だからといって陸上戦力の人員や装備の充実は軽視されても良いという考え方は短絡的であり、陸上戦力が海洋国家の安全保障にとってどのような意味を持つのかを理解することが重要です。

今回は、日本のシーレーン防衛における陸上自衛隊の役割を考察した論文を紹介し、その成果について検討してみたいと思います。

論文情報
吉富望「海上交通の安全確保における陸上自衛隊の役割――海洋国家の陸軍種として――」『国際安全保障』第43巻、第1号、2015年6月、106-122頁

シーレーン防衛の重要性と陸上戦力の役割

鹿児島県志布志市にある国家石油備蓄基地。
日本では全国に備蓄基地が10カ所建設されており、官民合計で約190日分の消費量を支える水準の備蓄がある。原油輸入に使用するシーレーンが脅威を受けた場合には、経済産業大臣の権限に基づいて使用することが可能。
日本にとってシーレーンがどれほど重要なものであるかということは、すでに広く知られていますが、特にその理由として大きなものとしてエネルギー資源、特に原油資源の確保に必要であることが挙げられます。
第二次安倍内閣で策定された『国家安全保障戦略』でも、「海上交通の安全を確保するとともに、各国との海洋安全保障協力を推進する」ことが述べられていることを著者は紹介し、その防衛が日本の安全保障上の課題であることを説明しています(吉富、106頁)。

しかし、このシーレーン防衛の課題に取り組む手段を海上戦力に限定して考えることは適切ではないと著者は論じています。なぜなら、シーレーンに対する脅威は必ずしも海上作戦だけで対処できるとは限らないためです。

ティル(Geoffrey Till)の研究では、海上交通にとっての脅威に地域紛争、テロリズム、海賊、事故や災害などの不測事態の四種類があるとされていますが、著者は不測事態以外はいずれも陸上の状況に根本的な原因が存在していることを指摘しており、また海上交通路の起点と終点になる港湾施設の警備もシーレーン防衛にとって欠かすことができないと論じています(同上、107頁)。
このように考えていくと、そもそも海上交通路は航路周辺の地形や、航行のためのインフラがなければならないという事実がシーレーン防衛においても重視すべきことが浮き彫りになります。

著者は海洋戦略の権威として知られる戦略家コーベット(Julian Corbett)の「人間は海上ではなく陸上において生活しており、国家間の戦争の大勢は――稀な例を除き――領土や国民生活に対する陸軍の行動、あるいは艦隊がこうした陸軍の行動を可能にするという恐怖によって決せられてきた」という言葉を引用し、シーレーンが陸上と深く相互に影響し合う関係にあることを考えず、安易に海上戦力で防衛すべだという考え方の問題点を示しています(同上、108頁)。

日本のシーレーンに対する脅威の評価

現代の海上交通路の中でも特に集中的に利用されている航路を赤く示した地図。
日本から南シナ海を通過してインド洋、紅海、地中海へと入り、大西洋に抜ける南回り航路がはっきりと赤線で確認できる。
日本にとって重要な航路としては他にも北太平洋航路があり、将来的には北極海航路の重要性も増大する可能性が指摘されている。
日本が重視すべきシーレーンを著者は三航路に大別して検討しています。
まず日本から南シナ海、マラッカ海峡を経てインド洋に出る「南回り航路」、日本から太平洋を経て北米、パナマ運河へと至る「北太平洋航路」、そして近年重要性が高まっている日本からベーリング海峡を抜けて北極海に入り、欧州へと至る「北極海航路」、以上の三つの航路です。

著者はそれぞれの航路に対して考えられる脅威を次のように評価しています。

(1)南回り航路
本航路に対する直接的な脅威として南シナ海の資源や領有権の問題を背景とする地域紛争の脅威であり、また日本の領土とも近い台湾が中国との関係を悪化させた場合のシナリオも見過ごすことができません(同上、109頁)。
また、中国が南アジア地域で海軍基地を確保する動きを見せていることを挙げた上で、中国がインド洋でのプレゼンスを強化する活動を強めれば、中印関係が悪化する可能性があることも懸念材料とされています(同上)。

さらに南回り航路で深刻なのは船舶に対するテロ行為や海賊行為です。
2011年以降にソマリア沖やアデン湾、紅海で海賊行為の発生件数が減少する傾向にあるものの、東南アジア海域で増加する傾向が見られます。東南アジア海域で報告されている海賊行為は2010年に70件しか発生していなかったものの、2014年には141件に増加しており、東南アジア諸国の海上警備を支援する必要が高まっていることが示されています(同上)。

(2)北太平洋航路
北太平洋航路で重要なポイントとなるのはパナマ運河です。最近の報道によれば2016年4月に完成予定であり、幅49メートル、長さ366メートルの大型船が通行可能となります。このパナマ運河の拡張工事が完了すれば、北太平洋航路の通航量は増加し、特に米国産のシェール・ガスを中心に輸送量が増えるでしょう(同上、110頁)。
幸いにも、この航路に対する脅威は限定的であり、地域紛争の危険も小さく、テロ活動や海賊行為に関しても活発であるとは確認できないと著者は判断しています(同上)。

(3)北極海航路
北極海航路については、まだ本格的に使用されるに至っていない航路ですが、今後の気候変動によって北極海が航路に適した環境に変化していくと見込まれています。
著者は二つの理由で日本にとって大きな意味があると評価しています。第一に、この航路は日本と欧州を結ぶ航路を短縮し、より短時間で欧州と極東の移動を可能にします。第二に、アジア圏で最も高緯度に位置する日本は、北極海航路においてアジアのハブ港としての機能を果たせる位置関係にあり、物流の要となることが期待されます(同上、111頁)。
この航路に対する脅威も大きなものではなく、1996年に設立された北極評議会での国際協力の取り組みもあって政治情勢は安定しており、海賊やテロ活動も活発ではありません。ただ、この航路の利用が増加すると、海難事故に対する態勢を整える必要があると考えられています(同上)。

シーレーン防衛に対する陸上自衛隊の取り組みと課題

スマトラ沖大地震の際にインドネシア国際緊急援助のため陸自は230名の部隊を展開した。
ちなみに、当時の活動の経過を見ると横須賀基地から現地活動開始までに要した時間は7日、命令下達から活動開始までに要した時間は14日である。即応展開の速度をさらに追求する場合には海外拠点を置き、周辺諸国と協力関係を平素から構築する努力が必要となる。
陸自HP(http://www.mod.go.jp/gsdf/fan/photo/international/index.html)より
日本のシーレーン防衛で重点を置くべきは脅威が最も深刻な南回り航路であることが分かりましたが、この航路に脅威を及ぼす原因に対して陸上自衛隊が現在取り組んでいる活動を(1)平時におけるシーレーンが脅威が及ぶことを予防するための取り組みと、(2)抑止が破綻して有事に至り、シーレーンに脅威が及んだ場合の取り組みの二つに著者は分類しています。

陸自が比較的力を入れているのは(1)の取り組みであり、特に南回り航路と直接的に関係する活動にはカンボジアとベトナムに対して行っている平和維持活動に関する能力構築支援があります(同上、114頁)。
また、自衛隊にとって唯一の海外拠点ともいえるジブチの基地には基地警備などのために70名程度の陸自の人員が滞在しており、海自が主体となって行っているソマリア沖、アデン湾の海上交通の安全確保に協力していることにも触れられています(同上)。

しかし、全体として評価すると陸上自衛隊の態勢は南回り航路の安全確保という観点から不完全な部分が多いと著者は見ています。
その理由の一つとして、陸自の内部で海外派遣の主力となる部隊の要員を各方面隊が輪番制で提供する態勢をとっているため、高い専門性を持つ要員を長期的に育成する人事管理ができていないことが挙げられています(同上、115頁)。
著者は「専門部隊」の創設が必要となっており、シーレーン防衛に寄与する国際平和協力活動、国際緊急援助活動、在外邦人等輸送支援、外務省等の活動の支援、民間部門による開発援助支援などに幅広く対応できる態勢を構築することを提案しています(同上)。

また海外におけるプレゼンスの基礎となる基地機能を拡充することも提案として述べられており、ジブチの拠点を拡充するだけでなく、東南アジア地域に拠点を新たに置くことで、南回り航路の安全を長期的に確保できる態勢を構築していくことが期待されます(同上、116頁)。

シーレーン防衛に寄与できる陸上自衛隊

著者は最後にいくつかの研究者の説を取り上げて、状況の変化に応じた態勢の見直しが陸上自衛隊の任務遂行においていかに重要であるかを強調しています。
「自衛隊は、日本の領域及び国民の生命・財産の守護者(ゴールキーパー)であると同時に、日本の繁栄を担保する生命線の守護者(フォワード)でもある。従来、フォワードとしての役割の多くは海上自衛隊が担ってきた。しかし今後、南回り航路の脆弱性が高まり、北太平洋航路や北極海航路の重要性が増すにつれて、フォワードが守備すべき範囲は広がり、実施すべき事項は増えていく。陸上自衛隊は国土防衛の最後の砦としての本質を維持しつつも、今後の日本の生命線の変容に備えて、国益を守る新たなアプローチを見出すべきであろう」(118-9頁)
この研究の結論は日本の戦略を考える上で非常に重要な論点を提示しています。
つまり、日本がシーレーンを通じて多くの資源を手に入れる以上、日本の防衛は日本の領域の防衛で完結しえず、陸上自衛隊も日本の域外にそのリソースをより多く配分する必要があるか否かという、という論点です。

終わりに

安全保障の問題は有限なリソースをいかに配分するかという問題でもあります。
今の日本を取り巻く状況が北朝鮮軍の核開発と中国軍の近代化によって急速に悪化していることを考えた場合、シーレーン防衛を目的とした海外での基地機能の専門部隊の強化すること以上に、島嶼防衛態勢を早期に完成させることの方が戦略上の優先順位は高いのではないか、というのが私の基本的な考え方です。

しかし、著者の議論は日本の今後の戦略を長期的視野で考える際に非常に重要であり、特に東南アジア地域の基地機能の強化は真剣に検討する必要があると思います。
というのも、仮に何らかの要因で米中両国が武力衝突に至った場合、事態が早期に終結せず、長期化するというシナリオも十分考えられるためです。

詳細は省略しますが、これまで米中(中国共産党)が直接間接に戦った事例には朝鮮戦争、ベトナム戦争などありますが、いずれも短期決着が実現していません。中国が多くの犠牲を払ったことは確かですが、彼らは米国から着実に妥協を引き出し、東アジア地域における地位を向上させてきた歴史があります。

もし武力紛争が早期に決着せず、シーレーンが長期にわたって脅威を受けることになれば、日本の本土防衛が根本から成り立たなくなることは国家兵站の観点から必然的に起こり得ることです。
日本の安全保障を考えるためには、こうした地理的事実を基礎に置き、国土防衛とシーレーン防衛のバランスをとることが重要なことであると思います。

KT

2016年3月14日月曜日

文献紹介 なぜナポレオンは強かったのか

ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)は世界で最も有名な軍人の一人であり、遠く離れた日本でもその名前は広く知られています。トルストイの『戦争と平和』など文学や芸術の題材とされることが多かったことも、彼の名前を世界に知らしめている要因でしょう。

数多くの実戦で勝利を収め、同時代の敵から恐れられたナポレオンですが、彼は実戦だけでなく軍事学の研究にも強い関心を持っていました。また、生前には自分の軍事理論に関する著作を書き残そうとしていることを周囲に述べたこともあるようです。

しかし、1815年にフランス軍はワーテルローの戦いでイギリス軍、プロイセン軍に決定的敗北を喫し、ナポレオンはイギリスによってセント・ヘレナ島に幽閉されてしまいました。
そして、1821年に死去するまでの間に、彼は自分の構想を実現することなく死去してしまいました。

しかし、ナポレオンの戦争術に対する世間の関心は静まることがなく、1827年にナポレオンが書き残した文章から軍事箴言をとりまとめた著作『ナポレオンの軍事箴言集』(以下、『箴言』)が刊行されると、世界各国の軍人に読まれるようになりました。
今回は、ナポレオンの戦争術の特徴を説明し、この著作の内容の一部を紹介したいと思います。

文献情報
Napoleon. "Military Maxims of Napoleon," in Thomas R. Phillips, ed. 1940. Roots of Strategy: The 5 Greatest Military Classics of All Times, Mechanicsburg: Stackpole Books, pp. 403-441. (邦訳、ナポレオン・ボナパルト著『ナポレオンの軍事箴言集』Kindle版、武内和人訳、国家政策研究会、2016年4月予定)

ナポレオンが重視した戦いの機動と機動の方式
ウルム戦役(1805)で行われたフランス軍(青色)のオーストリア軍(赤色)に対する戦略機動。
オーストリア軍がフランス軍の陽動によりライン川沿いの黒い森に防衛線を構えたが、フランス軍の主力はオーストリア軍の正面を避けて側面に向かい戦略機動した。このことでオーストリア軍は作戦線を脅かされ、急きょ部隊の再配備を強いられることになった。
ナポレオンが戦争で見せた強さにはさまざまな要因が関係していますが、その一つとしてナポレオンが場当たり的な戦略をとらず、明確な原理原則に基づいて戦争を指導したことが挙げられます。その中でも特に重視した戦略の原則が機動にありました。

軍事学における機動という概念には、もともと策略によって敵を間違わせ、それによって味方に有利な状況を作り出すという意味合いがあります。
機動を意味する英語のmaneuverはラテン語で手を表すmanusと作用を表すoperaが合わさったものであり、技巧を用いて軍を動かす手という意味合いが込められていました(クラウゼヴィッツ、下191頁)。
つまり、機動を部隊の移動それ自体を指す概念ではないということです。部隊の移動は機動の一部ではありますが、敵の指揮官の状況認識に及ぼす影響や、そこから引き起こされる敵の間違った行動を誘致することまでが機動という概念に含まれているのです。

その一例として1805年のウルム戦役でフランス軍がオーストリア軍に仕掛けた機動は、ナポレオンの戦争術の特徴がよく示されています。ライン川の正面にオーストリア軍の注意を引き付けておきながら、フランス軍の主力を大きく北側から迂回させて側面に進出しました。
このことでオーストリア軍は作戦線を脅かされ、急きょ部隊の再配備を強いられることになったのです。

『箴言』から読み取れる機動力へのこだわり
イエナ・アウエルシュタットの戦い(1806)
当時のフランス軍の編制には軍の下位部隊として軍団が導入されており、軍団は歩兵、騎兵、砲兵から成る独立戦闘集団として行動できた。しかし、プロイセン軍では従来の軍の編制が維持されており、作戦指導でも連絡調整に時間を要した。そのためフランス軍はプロイセン軍に対して機動において大きな優位を発揮できた。
ナポレオンの戦争術の特徴はこうした機動の巧みさであり、敵の指揮官の意表を突くような大胆さをもって機動を行えば、その効果によって味方の実質的な戦力を敵よりも大きなものにすることさえできると考えていました。
箴言を読むとナポレオンが機動力の重要性を強調していたことが分かります。
「軍の強さは力学の運動エネルギーのように、速度の二乗に質量を掛けることで見積もられる。素早い行進は軍の士気によい影響を及ぼし、勝利の可能性を大きくすることができる」(ナポレオン、第9箴言)
という箴言はその代表例であり、運用する戦力の規模が小さくても、その戦力の機動力が優れていれば、それだけ敵の態勢を崩しやすく、味方が優位に立ちやすいと考えられます。砲兵士官らしい数理的な言い回しではありますが。

またナポレオンは機動力を高めるために、さまざまな工夫を凝らしていたことも知られています。その一つが行進序列に関する記述から読み取れます。
「行進している軍の隷下にある各軍団については、その位置関係と周辺地形によって、一定程度の間隔を保持するべきである」(同上、第13箴言)
当時、ナポレオンが指揮した軍の戦略単位は軍団であり、これらをいかに迅速に行進させるのかという問題はナポレオンにとって重要な問題でした。部隊の前後に間隔を設けるのも行進を少しでも早めるための処置です。
もし何らかの事故で一部の部隊の前進が停止すると、後続の部隊の行進も直ちに足止めを食らってしまい、しかもそれを別の経路で前進させるためには、今来た道を戻る動作が必要となります。このようなことで時間を失うことをナポレオンは恐れていました。

数百名程度の行進縦隊を考えると、こうした問題は些細なことのようにも思われますが、実際にナポレオンが指揮した部隊の規模は十万名や二十万名に達することもあり、一度行進が滞ると、その後の作戦計画にも深刻な遅延が生じる恐れがあったのです。

行進の方式を改善するさまざまな努力を積み重ねた結果、ナポレオンは敵に対して有効な機動力を発揮し、戦争を有利に進めることができたのです。

軍事学における『箴言』の意義と限界について
『箴言』は箴言集という特性上、それほど難解な著作ではありませんが、しかし箴言同士の関係は明確ではないため、解説が付されていても、さまざまに解釈をすることができる余地があります。
この記事ではナポレオンの戦争術でも特に機動を重視した戦略について解説していますが、戦術や兵站などの考察も含めるとナポレオンがさまざまな問題について詳細な考察を残していることが分かります。

軍事学の世界で古典として名高く、すでに多くの解説がなされている『箴言』ですが、もしナポレオンの戦争術に関して、より理論的な分析に関心があるのであれば、むしろフランス軍で幕僚としても勤務した経験を持つアントワーヌ・アンリ・ジョミニの『戦争術概論』や、プロイセン軍のカール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』の方が参考になるかもしれません。
とはいえ、彼らのナポレオンの戦争術に対する分析が、どれほど妥当性を持つのかを考える上で、ナポレオン本人の考察がまとめられた『箴言』はやはり重要であると言えるでしょう。

日本では『箴言』は決してその価値が広く認められた著作ではありませんが、ナポレオンが19世紀以降の欧米諸国における軍事学の研究に及ぼした影響を考えれば、避けては通ることができない著作だと思われます。
今後、日本においてもナポレオンの戦争術を知るための手がかりとして本書が広く知られることになればよいと思います。

KT

参考文献
クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、岩波書店、1968年
ナポレオン・ボナパルト著『ナポレオンの軍事箴言集』Kindle版、武内和人訳、国家政策研究会、2016年4月2日刊行予定(Amazonのダイレクトパブリッシングで短い解説を付けた著者による翻訳、下記リンクを参照)

2016年3月12日土曜日

論文紹介 自衛隊も接近阻止/領域拒否(A2AD)を重視すべきか

近年の東アジア地域の安全保障環境において、日本が検討すべき戦略として接近阻止/領域拒否(A2AD)を挙げている研究者がいます。つまり中国軍が対米戦略として採用している戦略を日本としても採用することにより、少なくとも中国軍の海洋への進出を手詰まりに追い込むことができるという考え方です。

今回は、戦略研究の観点から日本の戦略として接近阻止の重要性を考察した論文の内容を紹介し、その意義と限界について考察したいと思います。

論文紹介
Toshi Yoshihara. 2014. Going Anti-Access at Sea: How Japan Can Turn the Tables on China, Maritime Strategy Series, September, Washington, D.C.: Center for New American Security. http://www.cnas.org/sites/default/files/publications-pdf/CNAS%20Maritime2_Yoshihara.pdf (Accessed 2016/3/11)

近代化する中国軍の脅威
052D型駆逐艦。現在、中国海軍で配備が進められているミサイル駆逐艦。
主要な兵装はHHQ-9であり、諸説あるが射程200km、32セルのVLSが2基搭載。
近年の日中間の勢力関係について著者は、基本的に日本が不利であるという見方を示しています。
中国海軍は着実に戦力規模の拡大を続けており、2000年から2010年にかけて攻撃型潜水艦は5隻から31隻に、初の航空母艦として遼寧が配備されただけでなく、ソブレメンヌイ級駆逐艦もロシアから4隻調達しました(Yoshihara 2014: 4)。
また中国海軍の052D型駆逐艦の性能は、海自のこんごう型護衛艦に匹敵するとさえ述べられています(Ibid.)。

また戦力を整備するだけでなく、中国海軍は2008年以降に東シナ海から太平洋に向けて繰り返し航行するようになっており、2013年には初めて水上任務群が日本列島の周航を行うことにも成功しました(Ibid.)。また2013年に中国政府は一方的に防空識別圏の設定を通告し、外国の航空機に飛行計画の提出を要求しただけでなく、この防空識別圏に日本の尖閣諸島の空域を組み入れる処置をとってきました(Ibid.)。

さらに著者が懸念しているのは、中国軍が台湾有事などの際に米軍部隊の接近を阻止する能力を持つことです。中国軍の弾道ミサイルをもってすれば、嘉手納、岩国、佐世保、横須賀の基地に攻撃を加えることが可能なため、米軍は東アジア地域で作戦基盤を失う恐れが出てきます(Ibid.: 5)。つまり、中国軍は日本の基地を第一撃で使用不能にすれば、少なくとも戦争の序盤で非常に有利な立場をとることが期待されるのです。

日本の戦略構想としての接近阻止
那覇航空基地に配備される第5航空群のP-3C。
自衛隊の対潜水艦戦能力の中核を占める哨戒機であるが、有事の際には中国軍の第一撃によって那覇の基地機能は停止する恐れがあると考えられている。
さらに日本にとって都合が悪いことに、日本の現在の防衛態勢は必ずしも中国軍の戦略に対応できるものとはいないと著者は指摘しています。

その一例として、自衛隊は米軍に次いで固定翼対潜哨戒機を数多く保有していますが、それらは沖縄の那覇基地に配備されているため、中国軍のミサイル攻撃を受ければ地上で破壊される危険が大きいと考えられます(Ibid.)。
ミサイルと並んで中国海軍が重視している装備に潜水艦がありますが、潜水艦隊の規模は拡大しています。対潜水艦戦で必要とされる装備は安価なものではなく、こうした攻撃と防御の不均衡は中国にとって有利に作用しています(Ibid.)。

これらの状況判断を踏まえれば、日本の防衛にとっていかに不利な要因が出現しつつあるかが分かってきますが、著者はこうした中国軍の戦略に対抗するためには、中国軍が考える戦略を自衛隊が模倣する姿勢が有効であるという見方を示しています。
「もし抑止に失敗したとしても、(日本がそのような戦略をとれば、)それは中国はどのような沖合での紛争であれ軍事的目標の達成には欠かすことができない共有地への進出を拒否することになるだろう。日本の戦略は日中の海上対決の中心地である東シナ海内外で使用される海上および航空戦力にリスクを与える」(Ibid.: 6)
つまり、自衛隊が中国軍のように相手の接近を許さない防衛態勢を構築する戦略をとれば、中国海軍が海洋進出する動きに歯止めをかけやすくなるという考え方です。

具体的に整備すべき戦力に関する考察
中国の第一列島線、第二列島線の要図。
中国の戦略計画の成否は、対日攻撃によって米軍基地を機能停止に追い込むことに大きく依存している。
しかし、米軍基地が破壊されたとしても、自衛隊が中国軍の侵攻を拒否できれば、米本土の部隊が来援するまで中国軍を東シナ海に閉じ込めたままにすることが可能となる。
著者は自衛隊が中国軍に対して優位に立つためには、地の利を利用することが非常に重要であることを強調しています。
特に南西諸島から九州に至る列島線に配備された部隊は、中国軍の海洋進出を効果的に防ぐことが可能な要所であり、いわば日本は中国が海洋に進出するために使用する海上交通路の「門番(gatekeeper)」としての地位に立つことが可能なのです(Ibid.)。

戦力態勢を見ると、中国海軍には対潜水艦戦能力や機雷戦能力に大きな不備が見られます。そこで、海自がこの領域の戦力を増強することができれば、中国海軍は対応することができず、それだけ東シナ海から抜け出すことが難しくなると考えられます(Ibid.: 6-7)。
それに加えて、小型艦艇を駆使した海上でのゲリラ戦や沿岸地域に地対艦ミサイルを配備する取り組みも中国海軍の海洋進出を拒否するための手段として評価されています(Ibid.: 7-8)。

ここまでは海上戦力に関する考察が、著者はさらに強靭化(hardening)の必要性についても議論しています。著者はこの強靭化は日本の戦略にとって極めて重大であると強調し、また部隊の分散化を進める必要性についても述べられています(Ibid. 9)。

批判的考察の試み
この研究には日本の戦略をより効率的なものに作り替える上で興味深い指摘も見られますが、根本的な問題があるように思います。
つまり、中国は日本より長射程の武器体系を保有しており、対日攻撃の際にはスタンドオフ能力を駆使して、一方的なミサイル攻撃が可能である点が十分に考慮されていません。

そもそも接近阻止・領域拒否という戦略構想の基礎にある考え方は、戦闘地域を可能な限り国土から遠くに移動させるというものでした。東アジア地域における自国の勢力圏を安定させたい中国としては、その勢力圏の境界に当たる部分で防衛線を構成し、米軍の軍事的プレゼンスを相殺する必要があったためです。

しかし、この論文の著者が構想している日本の戦略には、戦場を国土から可能な限り遠方に持っていくための具体的な提案が見られません。従来の島嶼防衛の考え方を別の用語に置き換えただけのようにも思われます。
もし日本が中国に対して接近阻止を図ろうとしても、自衛隊と中国軍では使用可能な武器の射程と投射能力の格差があまりに大きいため、非現実的であると思われます。(イージスシステムに関する議論もありますが、ここでは割愛します)

したがって、日本がより注目すべきは接近阻止のような問題ではなく、中国軍が全力で繰り出してくる第一撃に耐え抜く能力を自衛隊だけでなく、国民全体に持たせることだと思われます。接近阻止戦略の議論を別にすれば、「強靭化」と「分散化」に対する著者の指摘は非常に有意義なものだと考えられます。

KT

2016年3月8日火曜日

論文紹介 軍事的虚構としての「フーチェル戦術」

第一次世界大戦、西部戦線に配備されたドイツ軍部隊の突撃隊。
第一次世界大戦の歴史で興味深いのは、極めて短期間の内に数々の新戦術が編み出され、戦争の様相が大きく変化したことでしょう。戦車、機関銃、航空機などが開発されると、それを運用する戦術が考案され、次に敵がそれに対抗する武器や戦術を考案し、その相互作用で戦術が飛躍的に発達したのです。

今回は、浸透という攻撃方法を体系化し、教義として確立したと考えられているドイツ陸軍軍人オスカー・フォン・フーチェル(Oskar Emil von Hutier)の歴史的影響について批判的な立場から考察した論文を紹介したいと思います。

論文情報
Alfoldi, Laszlo M. 1976. "The Hutier Legend," Parameters, Journal of the US Army War College, 5(2): 69-74.

マスメディアで劇的に取り上げられた「フーチェル戦術」
オスカー・フォン・フーチェル(1857-1934)
1918年の春季攻勢で第十八軍司令として目覚ましい戦果を上げたことで知られている。
長い戦争も終盤に入りつつあった1918年、ドイツ軍は西部戦線に展開するイギリス軍、フランス軍を早期に打倒し、米軍が来援する前にドイツに有利な条件で講和に持ち込む必要がありました。
この政治的目的を達成するため、エーリッヒ・ルーデンドルフは1918年3月21日に開始された春季攻勢を実行に移しました。

春季攻勢は西部戦線の状況を一変させるものでした。ドイツ軍とイギリス・フランス連合軍の間で塹壕、鉄条網、機関銃により保たれていた膠着状態が消滅したためです。
当時の春季攻勢に参加したドイツの第二軍、第十七軍、第十八軍は100キロメートルの攻撃正面で前進に成功し、もはや堅固な防御陣地を構築したとしても、相手の突撃を防ぐことができるとは限らないことが明らかになりました(Alfoldi 1976: 69)。

当時、ドイツ軍でも特に驚くべき戦果を上げているのはフーチェルが指揮した第十八軍でした。
初日に10キロメートルの前進を達成しただけでなく、2日目には12キロメートル、3日目には8キロメートル、4日目に再び8キロメートルも前進しました(Ibid.)。
これは従来までの戦術的な常識を大きく揺るがすものであり、最終的にフーチェルはイギリス軍の第五軍を撃破して5万名の捕虜を獲得しました(Ibid.)。

この戦闘の詳細が伝えられると、フーチェルはマスメディアからも注目される軍人となり、1918年7月に米国で発行されたNew York Times Mid-Week Pictorialという新聞で「ドイツ軍で最も優れた指揮官の一人」と高く評価されています(Ibid.: 70)。
厳密にいえば、浸透という攻撃の方法はそれ以前から存在していたのですが、英語圏で浸透という攻撃を「フーチェル戦術」と呼ぶようになったのは、こうしてフーチェルの名前が世間に広く知られた事情が関係しています。

電撃戦の研究にも影響を及ぼした「フーチェル戦術」
フーチェル戦術は第一次世界大戦が終結した後にも各国の軍人の注目を集めました。
1920年にフランスのサン=シール陸軍士官学校の教官はフーチェル戦術が東部戦線でのドイツ、オーストリアとロシアの一連の戦いから発展したことを「ロシアに対する戦闘(シレト川の戦い、リガの戦い)は軍司令のフーチェル将軍とその部下として軍の砲兵を指揮したブルフミューラー(Georg Bruchmüller)によって構築された新しい戦術的教義の実験場となった」と指摘しています(Ibid.)。
1933年、米国の指揮幕僚学校でW. H. Wilbur少佐もフーチェル戦術を検討し、「3月21日の攻勢で、ドイツ軍は新たな戦術的教義の有効性を検証し、それは大きな成功を収めた」と述べています(Ibid.)。

このようなフーチェル戦術への関心をさらに大きくしたのは、ドイツ軍による「電撃戦」でした。
第二次世界大戦でドイツ軍がポーランドやフランスに対して行った攻勢は、その前進の速度と距離が従来の想定を大きく超えるものであり、特に英語圏における軍事学の研究で、電撃戦はフーチェル戦術に起源を持つ新たなドイツ軍の戦術的教義であるという見方が示されるようになりました。

1940年に刊行された著作で歴史家のS. L. A. Marshallはフーチェルを「電撃戦の父」と位置付け、すでにリガの戦いで、電撃戦の原型となる戦術的教義の基礎が確立されていたことを指摘しています(Ibid.)。
別の研究では、フーチェル戦術がグデーリアン(Heinz Wilhelm Guderian)が戦闘団戦術(combat-team tactics)を完成させる上で非常に重要な一歩となったという指摘もあり、これもフーチェル戦術と電撃戦の関係を一つの戦術的教義の展開の中で結びつける解釈に含まれるでしょう(Ibid.: 71)。

なぜドイツ人は「フーチェル戦術」について沈黙しているのか
エーリッヒ・ルーデンドルフ
英米などではフーチェル戦術の最大の理解者として位置付けられることもあるが、1918年の春季攻勢に関する回顧でもフーチェルに関する言及はなされていない。
興味深いことに、こうしたフーチェル戦術に関する議論の大部分は、非ドイツ語圏の文献で展開されており、ドイツ語圏でこのような見解はほとんど見られないことを、著者は指摘しています。

第一次世界大戦が終結した後でルーデンドルフが1918年の春季攻勢について自らの言葉で語った際には、フーチェルの名前は一度も出てきていません。
また、第一次世界大戦の戦術の発展を分析したドイツ軍のヴィルヘルム・バルク(Wilhelm Balck)将軍はその有名な著作でフーチェル戦術に関して一切言及していません。ドイツ軍の公式な文章でも、フーチェルの戦術について特別な記述を見出すことができないのです(Ibid.)。

ただし、例外的な記述として1944年にドイツが刊行した第一次世界大戦に関する公的な戦史研究において「フーチェル将軍は連合国によって奇襲的攻撃の専門家として考えられている」と紹介されていますが、これは暗にドイツ人の立場から見れば連合国におけるフーチェルの位置付け方には問題があることを示唆するものです(Ibid.)。
つまり、ドイツ人(というよりもドイツ語話者)の研究者の間で、フーチェル戦術のようなものは実在するものではないという解釈が有力視されているのです。

浸透の有効性は以前からドイツ軍の防勢作戦で知られていた
第一次世界大戦で英独両軍の陣地を撮影した航空写真。
左側が英軍の陣地で、右側がドイツ軍の陣地。ドイツ軍の陣地が大きな縦深を持っていることが確認できる。
そもそも、フーチェルが巧みだったのは、味方の歩兵を少数の突撃隊に編成し、敵の拠点の側面を通過させ(敵の拠点の破壊は味方の第二派が行う)、敵の後方にある砲兵陣地、指揮所などを叩くことにありました。
また、この歩兵の突撃を可能にするため、砲兵には化学攻撃を行わせて無力化し、歩兵に対する火力支援も行わせ、突撃の成功率を高めていたのです(Ibid.: 72)。
それに加えて、浸透では奇襲が成り立つかどうかが成否を大きく左右するため、攻撃の時期や目標を敵に容易に悟られないような工夫も重視されていました(Ibid.)。

著者の見解によれば、これらの戦術はフーチェルによって編み出された戦術と解釈するよりもむしろ、ドイツ軍が1916年から1917年までの東西両戦線における防勢作戦を通じて研究されてきたものと解釈する方が妥当性が大きいと考えられます(Ibid.)。
その根拠となるのが、その時期にドイツ軍で作成された教範であり、そこでは西部戦線、東部戦線の経験を踏まえてさまざまな戦術的原則の見直しが行われています。そこでは浸透についての指示も見られますが、それは縦深防御(defense in depth)という戦術を構成する一要素として位置付けられています(Ibid.)。

縦深防御は味方の人的損害を抑制するため、防御陣地を放棄して柔軟に部隊を後退させ、前進してくる敵の部隊を味方の陣地帯の奥深くに引き入れた後で逆襲に転じるという防御方法であり、現代の戦術の用語でいえば機動防御とも呼ぶことができるでしょう。
このような縦深防御で逆襲時にドイツ軍が使用したのが浸透であり、いわば浸透は味方の陣地を取り戻すための手段だったのです(Ibid.: 73)。

浸透を攻勢作戦で本格的に実施することになったのは、1918年1月1日に発行された野戦教範『陣地戦における攻撃』がドイツ軍で普及してからのことだとされており、こうした教範の改訂の経緯を見ていくと、フーチェルによってこの戦術が完成されたという見方が裏付けられません(Ibid.: 73)。

結論 軍人を英雄化することは、研究の妨げとなる場合がある
著者はこのようなフーチェル戦術に関する誤解が生まれた理由として、アメリカやフランスのマスメディアが彼を軍事的英雄として取り上げ、そのイメージが軍事史の研究にも投影されたことが関係していると述べています。
また特にフランス人はフーチェルを軍事的英雄と見なすことによって、自らの軍事的敗北を当然の出来事であるかのように合理化した側面があると指摘されています(Ibid.)。
以上の考察を踏まえて、著者は「フーチェル戦術は歴史的に存在した伝説の地位にまで引き下げられなければならない」と結論付けています(Ibid.)。

この論文の考察で非常に興味深い点は、戦術という非常に専門性が高い領域であっても、マスメディアなどが宣伝するイメージによって、その研究の内容が大いに歪められる可能性があることを指摘していることです。
特にその戦争の当事者にとって軍事的敗北を合理化するために、敵がいかに優秀であったのかを宣伝することには、味方の軍事的欠点を覆い隠す上で有効な手段となる場合にはなおさらです。
これらはいずれも研究の妥当性を低下させる危険なバイアスであり、戦争を研究するすべての人が注意すべき問題を提起していると思います。

KT

2016年3月4日金曜日

事例研究 戦間期にイギリスが軍事的脅威を見逃した理由

1933年1月30日、ヴェルサイユ体制の修正を主張していたヒトラーがドイツで政権を掌握したことは、特に戦勝国であったイギリスとフランスにとって戦争のリスクをもたらすものでした。
もし、ヒトラーの下でドイツが再び国力を増強させ、戦争の準備を整えてしまえば、以前からの主張の通り、ドイツがヴェルサイユ体制で損なわれたドイツの地位を回復しようと図る可能性があったためです。

興味深いことに、当時のイギリスの政策決定者は、ドイツが軍事的脅威であるという見方をそれほど強めていませんでした。むしろ、ドイツとの軍縮交渉を進めたいイギリスとして、ドイツの政情が安定化することを歓迎する見方さえありました。
今回は、1933年から1934年にかけてイギリスでドイツの情勢をどのように認識していたのかを簡単に紹介し、その意味を考察してみたいと思います。

ナチス・ドイツを脅威として煽るべきでないとの見解
高速道路の起工式に主席するアドルフ・ヒトラー(1889-1945)
第一次世界大戦でイギリス、フランスなどを中心としたヴェルサイユ体制を打倒すべきとの立場をとっていた。
しかし、イギリスでヒトラー政権が直ちに危険視されることはなく、ドイツとの軍縮交渉に有利に働くとの見方があった。
1933年にヒトラーが政権を掌握するまでの間、ドイツの政治情勢は非常に不安定な状況にありました。当時、ドイツと軍縮交渉を進めていたイギリスは、このような政府の政治的脆弱性により、交渉がなかなか進展を見せないことを懸念していました。
そのような情勢の中で1933年1月にヒトラーが政権を掌握したことは、イギリスにとって必ずしも不利益になるとは考えられませんでした。

ドイツに駐在するイギリスの外交官フィリップスは本国の外務省に宛てて、「(ヒトラーによる政権発足の)署名は、過去におけるどのドイツ人の署名よりも、ドイツ全体を安定化させることになるだろう」と書き送っており、これはヒトラーの下でドイツの政治情勢が安定化すれば、より英独の外交交渉に進展が期待されるようになるという見通しを表すものです(Taylor, A. J. P. 1983: 73-4)。

現在のわたしたちの立場から考えれば、このような情勢判断はいかにも楽観的すぎるもののように見えますが、第一次世界大戦の記憶が生々しい中で、多くの人々が戦争の回避への強い願いが、情勢認識に大きな歪みを生じさせる、いわゆる現状維持バイアスに陥っていたと考えれば、それほど不可思議な事象というわけでもありません。
ドイツは危険ではないという見解は、少なくとも当時のイギリスにおいてそれほど違和感があるものではなかったのです。

現状維持バイアスがイギリスの対外政策の決定に与えた影響
スタンリー・ボールドウィン(1867 – 1947)
英独軍縮交渉を推進するマクドナルド政権の閣僚の一人として、ドイツ脅威論を批判する立場にあった
事実、この外交官だけでなく、ヒトラーが指導するドイツの軍事的脅威と見なすことに対して、当時のイギリスのマクドナルド政権の閣僚の一人だったスタンリー・ボールドウィン(Stanley Baldwin)は明確に拒否する立場にありました。

ヒトラーが1933年3月に全権委任法を成立させ、国内の最高権力者としての地位を固めた後、ドイツとの地理的な関係が深いフランスはイギリスに軍事援助の保証を確約するように要求しています。しかし、1933年9月22日の英仏の協議の際に当時のボールドウィンは次のような考えを表明しています。
「ドイツが再軍備していることが証明されれば、新たな情勢が直ちに生じるため、ヨーロッパはその情勢に向き合わなければなるまい。そのような情勢が生じれば、イギリス政府はそれを真剣に検討しなければならないだろう。しかし、そのような情勢はいまだに生じていない」(Ibid.: 75-6)
ヒトラーが着実にその権力基盤を固めているにもかかわらず、イギリスはヨーロッパにおいて軍事的脅威は存在しないという理由で、フランスの求める保証を与えることを拒んだのです。
単独でドイツの軍事的脅威に対抗せざるを得ない状態に置かれることになったフランスは、イギリスに対する不信感を深めました。この英仏関係の悪化はドイツにとって有利に働きました。

チャーチルの脅威認識とそれに対する批判
ウィンストン・チャーチル(1874-1965)
ドイツの軍事的脅威に対応するため、宥和的な政策を見直すことを主張する立場にあった
イギリスがこれほどまでにドイツに対して配慮していたのも、当時のイギリスがドイツとの軍縮交渉に大きな期待をかけていたことが関係していました。しかし、1933年10月にドイツは軍縮会議から離脱します。

もし、イギリスのドイツに対する情勢認識の問題が、単なる情勢分析の適否の問題であったならば、この1933年10月の時点でイギリスはドイツの脅威認識を全面的に改めていたでしょう。
しかし、驚くべきことに、イギリスはその後もイギリスは包括的な軍縮計画を推進する努力がさらに求められているという姿勢を崩そうとはしなかったのです。

ドイツが軍備増強を進めようとしていることを速やかに政府として認識し、軍備増強を推進する必要があると考えていた政治家が皆無だったわけではありません。
ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は1934年の段階でドイツの脅威を明確に認識していただけでなく、その対抗のために航空戦力の一層の充実が必須である、という先進的な考えを持っていました。
チャーチルは議会で繰り返しドイツがイギリスにとって深刻な軍事的脅威であることを繰り返し主張していますが、その反応に他の議員そして世論はほとんど賛意を示しませんでした。

当時、ボールドウィンは、チャーチルの意見がいかに「大げさなものである」かを批判し、ヨーロッパの現状から判断して、イギリスが直ちに対処すべき脅威など存在しておらず、実際に緊急事態など発生していないと主張していました(Gilbert 1991: 523)。

平和への強い思いがもたらした代償
1935年、再軍備を宣言したドイツはヴェルサイユ条約で禁止された空軍の整備に乗り出した。
ドイツ空軍は短期間の内に戦闘機、爆撃機を部隊に配備し始め、1939年のポーランド侵攻で重要な戦力となった。
結局、ドイツが再軍備を1935年3月に宣言してからも、イギリスはドイツとの包括的な軍縮合意を形成するための外交的努力に固執しました。

この外交活動の成果は1935年6月の英独海軍協定に結びつきました。この条約によって、イギリス海軍の戦力に対するドイツ海軍の戦力規模を制限することに成功します。しかし、この条約締結についてイギリスがフランスに通達することはしていません。
つまり、イギリスはフランスの直接的脅威となるドイツ陸軍の制限について考慮することをせず、ドイツ海軍というイギリスにとって直接的な脅威となりうる軍備だけを制限するだけで、ドイツとの合意を取りまとめています。

政治学の観点から解釈するとすれば、これはイギリスのバックパッシングとして説明することができます。
ドイツという潜在的な脅威と友好的関係を構築することにより、イギリスがドイツから攻撃されるリスクを低下させ、その代わりにフランスなどの他国にリスクを押し付けるという対外政策です。
つまり、イギリスは自国が引き受ける戦争のリスクを低下させるため、軍備増強による抑止力の強化ではなく、戦争のリスクを他国へと移転させようとしたと考えることができます。

結びにかえて

第一次世界大戦が有権者に与えた衝撃は大きく、戦間期にかけて世界各地に反戦平和運動団体が創設された。
当時、この運動を推進したのはイギリス、アメリカにおいては労働者階級が中心であったが、女性、知識人、学生などの間にも広がり、軍備増強による抑止力よりも軍縮と国際連盟に基づく安全保障体制に幅広い支持が集まった。
このような歴史を振り返る際に注意しなければならないのは、第一次世界大戦で生じた死傷者の多さは戦間期のイギリス国民にとって衝撃的なものであり、有権者は心から戦争の回避を望んでいたということです。
イギリスの政治家はこのような世論の動向に非常に注意深かったため、ドイツとあたかも戦争を準備するかのような政策を支持することが、政治的反発を受ける恐れが強いことを理解していました。

とはいえ、このような歴史的背景があったことと、当時の政治家の大多数がドイツを抑止する準備を怠り、国家の安全保障を脅かしたことは別の問題です。
チャーチルの情勢認識と政策提言は結果として、ドイツの軍事行動を抑止する上で重要なものでしたが、当時のボールドウィンはそれを拒否し、ドイツがイギリスにとって危険な動きを示していることを見誤ったことについては政治家としての結果責任が問われる必要があります。

このイギリスの失策は、国家が危機の最中にある時でさえ、脅威認識を共有することは決して容易なことではないことを示しています。
戦争への恐怖は普遍的な感情であり、それは人々の平和への強い希望をもたらします。注意すべきなのは、その強い希望ががかえって平和を脅かす場合があるということです。

KT

参考文献
Taylor, A. J. P. 1983. The Origins of the Second World War, New York: Atheneum.
Gilbert, Martin. 1991. Churchill: A Life, New York: Henry Holt.