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2016年3月4日金曜日

事例研究 戦間期にイギリスが軍事的脅威を見逃した理由

1933年1月30日、ヴェルサイユ体制の修正を主張していたヒトラーがドイツで政権を掌握したことは、特に戦勝国であったイギリスとフランスにとって戦争のリスクをもたらすものでした。
もし、ヒトラーの下でドイツが再び国力を増強させ、戦争の準備を整えてしまえば、以前からの主張の通り、ドイツがヴェルサイユ体制で損なわれたドイツの地位を回復しようと図る可能性があったためです。

興味深いことに、当時のイギリスの政策決定者は、ドイツが軍事的脅威であるという見方をそれほど強めていませんでした。むしろ、ドイツとの軍縮交渉を進めたいイギリスとして、ドイツの政情が安定化することを歓迎する見方さえありました。
今回は、1933年から1934年にかけてイギリスでドイツの情勢をどのように認識していたのかを簡単に紹介し、その意味を考察してみたいと思います。

ナチス・ドイツを脅威として煽るべきでないとの見解
高速道路の起工式に主席するアドルフ・ヒトラー(1889-1945)
第一次世界大戦でイギリス、フランスなどを中心としたヴェルサイユ体制を打倒すべきとの立場をとっていた。
しかし、イギリスでヒトラー政権が直ちに危険視されることはなく、ドイツとの軍縮交渉に有利に働くとの見方があった。
1933年にヒトラーが政権を掌握するまでの間、ドイツの政治情勢は非常に不安定な状況にありました。当時、ドイツと軍縮交渉を進めていたイギリスは、このような政府の政治的脆弱性により、交渉がなかなか進展を見せないことを懸念していました。
そのような情勢の中で1933年1月にヒトラーが政権を掌握したことは、イギリスにとって必ずしも不利益になるとは考えられませんでした。

ドイツに駐在するイギリスの外交官フィリップスは本国の外務省に宛てて、「(ヒトラーによる政権発足の)署名は、過去におけるどのドイツ人の署名よりも、ドイツ全体を安定化させることになるだろう」と書き送っており、これはヒトラーの下でドイツの政治情勢が安定化すれば、より英独の外交交渉に進展が期待されるようになるという見通しを表すものです(Taylor, A. J. P. 1983: 73-4)。

現在のわたしたちの立場から考えれば、このような情勢判断はいかにも楽観的すぎるもののように見えますが、第一次世界大戦の記憶が生々しい中で、多くの人々が戦争の回避への強い願いが、情勢認識に大きな歪みを生じさせる、いわゆる現状維持バイアスに陥っていたと考えれば、それほど不可思議な事象というわけでもありません。
ドイツは危険ではないという見解は、少なくとも当時のイギリスにおいてそれほど違和感があるものではなかったのです。

現状維持バイアスがイギリスの対外政策の決定に与えた影響
スタンリー・ボールドウィン(1867 – 1947)
英独軍縮交渉を推進するマクドナルド政権の閣僚の一人として、ドイツ脅威論を批判する立場にあった
事実、この外交官だけでなく、ヒトラーが指導するドイツの軍事的脅威と見なすことに対して、当時のイギリスのマクドナルド政権の閣僚の一人だったスタンリー・ボールドウィン(Stanley Baldwin)は明確に拒否する立場にありました。

ヒトラーが1933年3月に全権委任法を成立させ、国内の最高権力者としての地位を固めた後、ドイツとの地理的な関係が深いフランスはイギリスに軍事援助の保証を確約するように要求しています。しかし、1933年9月22日の英仏の協議の際に当時のボールドウィンは次のような考えを表明しています。
「ドイツが再軍備していることが証明されれば、新たな情勢が直ちに生じるため、ヨーロッパはその情勢に向き合わなければなるまい。そのような情勢が生じれば、イギリス政府はそれを真剣に検討しなければならないだろう。しかし、そのような情勢はいまだに生じていない」(Ibid.: 75-6)
ヒトラーが着実にその権力基盤を固めているにもかかわらず、イギリスはヨーロッパにおいて軍事的脅威は存在しないという理由で、フランスの求める保証を与えることを拒んだのです。
単独でドイツの軍事的脅威に対抗せざるを得ない状態に置かれることになったフランスは、イギリスに対する不信感を深めました。この英仏関係の悪化はドイツにとって有利に働きました。

チャーチルの脅威認識とそれに対する批判
ウィンストン・チャーチル(1874-1965)
ドイツの軍事的脅威に対応するため、宥和的な政策を見直すことを主張する立場にあった
イギリスがこれほどまでにドイツに対して配慮していたのも、当時のイギリスがドイツとの軍縮交渉に大きな期待をかけていたことが関係していました。しかし、1933年10月にドイツは軍縮会議から離脱します。

もし、イギリスのドイツに対する情勢認識の問題が、単なる情勢分析の適否の問題であったならば、この1933年10月の時点でイギリスはドイツの脅威認識を全面的に改めていたでしょう。
しかし、驚くべきことに、イギリスはその後もイギリスは包括的な軍縮計画を推進する努力がさらに求められているという姿勢を崩そうとはしなかったのです。

ドイツが軍備増強を進めようとしていることを速やかに政府として認識し、軍備増強を推進する必要があると考えていた政治家が皆無だったわけではありません。
ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は1934年の段階でドイツの脅威を明確に認識していただけでなく、その対抗のために航空戦力の一層の充実が必須である、という先進的な考えを持っていました。
チャーチルは議会で繰り返しドイツがイギリスにとって深刻な軍事的脅威であることを繰り返し主張していますが、その反応に他の議員そして世論はほとんど賛意を示しませんでした。

当時、ボールドウィンは、チャーチルの意見がいかに「大げさなものである」かを批判し、ヨーロッパの現状から判断して、イギリスが直ちに対処すべき脅威など存在しておらず、実際に緊急事態など発生していないと主張していました(Gilbert 1991: 523)。

平和への強い思いがもたらした代償
1935年、再軍備を宣言したドイツはヴェルサイユ条約で禁止された空軍の整備に乗り出した。
ドイツ空軍は短期間の内に戦闘機、爆撃機を部隊に配備し始め、1939年のポーランド侵攻で重要な戦力となった。
結局、ドイツが再軍備を1935年3月に宣言してからも、イギリスはドイツとの包括的な軍縮合意を形成するための外交的努力に固執しました。

この外交活動の成果は1935年6月の英独海軍協定に結びつきました。この条約によって、イギリス海軍の戦力に対するドイツ海軍の戦力規模を制限することに成功します。しかし、この条約締結についてイギリスがフランスに通達することはしていません。
つまり、イギリスはフランスの直接的脅威となるドイツ陸軍の制限について考慮することをせず、ドイツ海軍というイギリスにとって直接的な脅威となりうる軍備だけを制限するだけで、ドイツとの合意を取りまとめています。

政治学の観点から解釈するとすれば、これはイギリスのバックパッシングとして説明することができます。
ドイツという潜在的な脅威と友好的関係を構築することにより、イギリスがドイツから攻撃されるリスクを低下させ、その代わりにフランスなどの他国にリスクを押し付けるという対外政策です。
つまり、イギリスは自国が引き受ける戦争のリスクを低下させるため、軍備増強による抑止力の強化ではなく、戦争のリスクを他国へと移転させようとしたと考えることができます。

結びにかえて

第一次世界大戦が有権者に与えた衝撃は大きく、戦間期にかけて世界各地に反戦平和運動団体が創設された。
当時、この運動を推進したのはイギリス、アメリカにおいては労働者階級が中心であったが、女性、知識人、学生などの間にも広がり、軍備増強による抑止力よりも軍縮と国際連盟に基づく安全保障体制に幅広い支持が集まった。
このような歴史を振り返る際に注意しなければならないのは、第一次世界大戦で生じた死傷者の多さは戦間期のイギリス国民にとって衝撃的なものであり、有権者は心から戦争の回避を望んでいたということです。
イギリスの政治家はこのような世論の動向に非常に注意深かったため、ドイツとあたかも戦争を準備するかのような政策を支持することが、政治的反発を受ける恐れが強いことを理解していました。

とはいえ、このような歴史的背景があったことと、当時の政治家の大多数がドイツを抑止する準備を怠り、国家の安全保障を脅かしたことは別の問題です。
チャーチルの情勢認識と政策提言は結果として、ドイツの軍事行動を抑止する上で重要なものでしたが、当時のボールドウィンはそれを拒否し、ドイツがイギリスにとって危険な動きを示していることを見誤ったことについては政治家としての結果責任が問われる必要があります。

このイギリスの失策は、国家が危機の最中にある時でさえ、脅威認識を共有することは決して容易なことではないことを示しています。
戦争への恐怖は普遍的な感情であり、それは人々の平和への強い希望をもたらします。注意すべきなのは、その強い希望ががかえって平和を脅かす場合があるということです。

KT

参考文献
Taylor, A. J. P. 1983. The Origins of the Second World War, New York: Atheneum.
Gilbert, Martin. 1991. Churchill: A Life, New York: Henry Holt.

2 件のコメント:

  1. 衝突が避けられそうでない場合に無理に衝突を避けようとすることはより悲惨な結果に繋がりますね。別に国際政治に限ったことではなく、恋愛や経済でもそうですが。
    こういったときにやはりリアリストは必要とされるのでしょう。

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    1. コメントありがとうございました。ご指摘の通り、善意による軍縮交渉であっても、その結果として世界大戦のリスクを引き寄せたことは、ヨーロッパ全体にとって大変な悲劇となりました。これは大きな教訓として私たちが受け止めておく必要があると改めて考えさせられます。

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