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2016年4月14日木曜日

論文紹介 軍隊の作戦を下から支え続けた下士官の歴史

兵士の階級を大別すると、士官、下士官、兵卒の三種類に分類できることは、広く知られています。しかし、下士官が士官と兵卒の中間においてどのような役割を果たしているのかは、それほど広く知られていません。
下士官の歴史は1445年にシャルル七世が創設したフランス王国の常備軍にまでさかのぼることができます。
当時は各中隊に先任下士官serjeantが置かれましたが、その指揮の下に下級下士官が末端の部隊に配属され、現場で兵卒を取りまとめていました。現代の軍隊でも兵卒の指導を行うのは下士官の役割として引き継がれています。

今回は、長い歴史を持つ下士官の役割を理解するため、下士官というテーマで米軍の歴史を調査した研究について紹介したいと思います。

論文情報
Arms, L. R. 2009. "The NCO: A Short History," NCO Journal, 18(1): 14-20.

創設期のアメリカ軍における下士官の位置付け
米国の歴史で下士官の重要性を最初に明確にされたのは、1778年にシュトイベン(Friedrich von Steuben)が『合衆国軍の組織と規律に関する規則(Regulations for the Order and Discipline of the Troops of the United States)』で下士官の任務が整理されたことがきっかけでした。

元プロイセン陸軍大尉だったシュトイベンはヨーロッパで就職活動をしていましたが、最終的にアメリカ独立戦争でイギリス軍と戦っていたアメリカ大陸軍に入隊を果たし、ワシントンの部下として訓練計画や教範作成に従事しました。
この業務を通じてシュトイベンは自分が教育訓練を受けたプロイセン軍にあって、創設間もないアメリカ軍に決定的に欠けているのは下士官であることを認識します。

先述した著作は当時では単に「青本(Blue Book)」と呼ばれていましたが、「青本」でシュトイベンは下士官の階級を伍長(Corporals)、軍曹(Sergeants)、曹長(First Sergeants)、需品軍曹(quartermaster sergeants)、先任曹長(sergeants major)に区別した上で、それぞれの任務を次のように規定しました(Arms 2009: 14)

・先任曹長 連隊付の副官の業務を補佐し、部隊の名簿を管理し、部隊の内情を掌握し、連隊の対内的な管理や規律に関する問題を処理する。
・需品軍曹 連隊の需品科士官の業務を補佐し、適切に所要を見積り、行進における連隊の物資の輸送を監視する。
・曹長 部隊において規律を保ち、任務の遂行を確実にする。また部隊の名簿を管理することや、中隊長に早朝の報告を行うこと、中隊ごとに管理されている兵士の氏名、年齢、伸長、出生地、以前の職業などを記録した文書を作成し、管理すること。
・軍曹、伍長 新兵に対する訓練においてあらゆる必要な指導を行うこと(Ibid.)。

シュトイベンは連隊長や中隊長が現場の状況を把握するため上で、優秀な兵卒を下士官に取り立て、彼らに適切な権限を与えることの意義をアメリカで最初に解説した人物となりました。アメリカ独立戦争が起こるまで正規の常備軍を持たなかったアメリカ人にとって、「青本」に示された下士官の役割は、その重要性を認識する契機となりました。

下士官の役割と規模の拡大
アメリカ独立戦争で勝利を収めた後も、アメリカ軍では体系的な下士官の選抜、訓練というものは行われていませんでした。その理由は当時のアメリカがそれほど大規模な軍隊を保持しない政策であったためですが、1825年になるとアメリカ軍でも下士官の最初の選抜試験が行われる必要が認められ、新たな教育訓練の制度が整備され始めます(Ibid.: 14-5)。

その教育制度の整備で特徴的なのは、下士官に一定の戦術知識を付与することでした。
1829年に刊行された『歩兵戦術概論(Abstract of Infantry Tactics)』は下士官に対する教育訓練で教範として使用されたものですが、下士官に正しく兵士を行進、射撃を行わせる能力を付与することが意図されていました(Ibid.: 15)。
当時はまだ士官が戦術上の意思決定を下し、下士官はそれを兵卒に実行させるという役割分担が明確ではありましたが、下士官に戦術的な知識が必要な役割を担う機会は増加していました。

実際に南北戦争が勃発すると、下士官は少数の兵卒を指揮して散兵戦を遂行することが求められるようになり、その活動領域を大きく拡大させました。しかし、下士官の不足が徐々に深刻な問題となっていきました(Ibid.: 16)。
南北戦争が終結すると、アメリカ軍は下士官不足の経験を踏まえて、下士官のための学校を設置し(Ibid.)、また専門技術を持つ下士官に関しては給与の見直しを行うなど、問題に対応していきました(Ibid.: 17)。

19世紀から20世紀初頭にかけてアメリカ軍が下士官の規模を拡充する体制を整えていたことは、第一次、第二次世界大戦で大いに役立つことになります。
当時の戦場では分隊ごとの部隊行動を指揮、統制できる要員が大量に必要となったために、下士官が分隊長を務めるようになりました。
そのため、第二次世界大戦の最中、アメリカ陸軍では歩兵分隊の定員を8名から12名に拡充し、1942年までに分隊長に伍長を充てる分散統制の体制をとりました(Ibid.: 18)。現代陸軍の標準的な編制では下士官が分隊を指揮するのは一般的ですが、アメリカ軍でこの体制が完成したのはこの時のことだったのです。

むすびにかえて
この論文の著者は『下士官の歴史(A History of the NCO)』という本の著者でもあり、この論文はその文献で述べられた研究成果を要約したものになっています。
この記事でもアメリカ軍における下士官の歴史をごく一部しか紹介できませんでしたが、その時代の要請に応じて下士官が戦争でだんだんと活動の場所を広げていったことが伺われると思います。

戦争の歴史で名前を残すのはごく一握りの将軍や提督ですが、戦争で実際に身を挺していたのは無数の下級士官、下士官、そして兵卒でした。その中でも下士官が負っていた責任は時代が下るにつれて一層大きなものとなる傾向にあり、それは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など現代の戦争においても変わっていません。

KT

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