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2016年5月5日木曜日

フラーの機甲戦思想と戦車の戦略的重要性

研究者は第一次世界大戦に実戦投入された戦車が、その後の戦争の歴史を大きく変えるだけの影響を持っていたことを(程度の差はありますが)広く認めています。しかし、この影響はしばしば戦術的レベルしか理解されていません。
今回は、戦車が戦略的レベルでどれほどの影響を及ぼしたのかを考察したフラー(J. F. C. Fuller)の学説を紹介し、それを説明したいと思います。

機甲戦の可能性を予見したフラー
J.F.C. フラー(1878-1966)
第一次世界大戦でイギリス軍の実験的な戦車部隊の運用研究で重要な成果を残したものの、戦後の予算縮小や戦車に批判的な立場を取る勢力との対立に直面したことなどから、次第に戦車から遠ざけられて退役した。機甲戦に関する学説は現在でも世界的に知られている。
フラーは、近代以降における軍事学の研究に貢献したイギリスの軍人であり、戦車の運用研究に寄与したことで知られています。
彼は第一次世界大戦で新設された戦車軍団で本格的な戦術研究に着手し、史上初の機甲戦とも呼ばれる1917年のカンブレーの戦いにも参加しています。その後、幕僚大学校で教官となった後に1930年に退役し、軍事学の著作を数多く発表しました。

フラーの学説の特徴は戦車が次世代の戦争を考える上で見過ごすことができない重要な武器体系であることを予見し、まだ戦車の技術的発達が十分でなかった頃から機甲戦の意義を主張していたことにあります。
彼の学説では確かに戦場における戦車の戦術的運用が中心的な課題とされていますが、しかし戦争における戦車の戦略的運用についても大きな関心を寄せてもいました。
「戦術は戦場で兵士を動かす技術であり、それは使用する武器と輸送手段によって変化する。新しい武器や改良された武器または移動方法は戦争術において適切な変化を必要とするものであり、現代においては戦車の導入が戦争術における抜本的な変革を求めている」(Fuller 1936)
ここでも戦車は単に塹壕戦の問題を解決する一手段ではなく、戦争の歴史において一つの画期と見なすべきであると考えていたことが分かります。フラーは戦車を広い戦争史の文脈に位置付けて理解していたのであり、その導入によって戦術だけでなく戦争術全般が変化する可能性を指摘していました。

戦車の特性とその戦略的重要性
戦争における戦車の影響についてフラーは、次のような影響があると指摘しています。
(1)戦車は筋力を機械力に置き換えることで運動性を向上させる。
(2)戦車は弾丸をはじき返す装甲を使用することによって安全性を向上させる。
(3)戦車は兵士が自らの武器を運搬し、軍馬が兵士を運ぶという必要から解放することによって攻撃力を向上させ、より多くの弾薬を携行することで破壊力を倍加させることができる(Ibid.)。
機動、防護、火力これら三点はフラーが考えた戦車の最も重要な特徴であったと言えるでしょう。
これら諸要素はいずれも戦闘力の基礎であり、戦車が配備された部隊はそれを持たない部隊に対して優位性を保持できることが示唆されています。

戦車が戦略に与える影響についてフラーは次のように記しています。
「戦略は連絡線によって紡がれるものであり、つまり道路、鉄道、河川、運河などが重要となる。現在、路外機動を想定したガソリン駆動式機械である戦車または牽引車が導入されたことにより、連絡線は少なくとも戦域の75%にまで延伸され、我々が知る連絡線よりも拡張されてきた。動物の耐久力という制約もなく路外において武器と弾薬を移動させ、補給を維持する可能性が出てきたことは、戦争の歴史においてまったく新しい問題である」(Ibid.)
ここで述べられているように、戦車という武器体系が従来のそれと大きく異なっているのは、その影響が戦術的レベルだけに止まらず、戦略的レベルにまで及ぶことが関係しています。
それまでの戦略家は戦域で地上部隊を移動させるには、昔ながらの徒歩行進を行うか、それとも柔軟性と融通性に乏しい鉄道に頼らなければなりませんでした。
しかし、フラーは戦車の路外機動能力を駆使すれば、それまでの戦争では考えられなかった戦略でも実行可能になるのではないかと考えたのです。

物質的要素ではなく、精神的要素への打撃
1940年のドイツ軍によるフランス侵攻では、戦車の通過は困難と考えられていたアルデンヌ高原の森林地帯が前進経路として使用されたことにより、フランス軍は予定した地点よりも遥かに背後にまで攻撃の手が及んでいると知り、大幅な作戦の見直しを迫られた。フラーが理想とする戦車の戦略的運用が現実のものとなった事例と言える。
戦車を活用した戦略としてフラーが考えていたのは、敵の頭脳である指揮機能を破壊する戦略であり、言い換えれば敵の戦闘機能を破壊することを避ける戦略でもありました。
この戦略の基本的な考え方はフラーの次の説明で理解することができます。
「戦争を第一に成り立たせるのは敵の兵士の殺戮、傷害、捕獲、そして武装解除であり、これらはいわば肉体の戦いである。第二に戦争を成り立たせているのは、敵の指揮能力を機能不全にすることであり、これはいわば頭脳の戦いである。一人の人間を例とすれば、第一の方法は敵が死に至るように次第に出血させる傷を負わせ続けるものと言えるが、第二の方法は頭部への短い一撃である」(Ibid.)
ここでフラーが軍隊の頭部として想定するのは司令部のことです。前線に展開する部隊と司令部の接続を遮断してしまえば、その後は自然と部隊の全体が機能を停止せざるを得ません。フラーはこの司令部機能に打撃を加えるために戦車を活用すべきだと考えていたのです。
「現在の我々の理論は人員を破壊することであるが、新しい理論は指揮を破壊することであるべきであり、しかもそれは敵の人員は分裂されてしまった後ではなく、敵の人員が攻撃を受ける前になされるべきである。そうすることで、攻撃を受ける際には完全な混乱状態に陥らせることが可能となる」(Ibid.) 
フラーの学説によれば、戦車の価値は敵の防御陣地に突撃する際に発揮されるのではなく、敵の防御陣地を避けて迅速に敵地奥深くに前進し、その司令部に脅威を及ぼして指揮機能を停止させる際に発揮されるのです。

むすびにかえて
戦略の原則は時代や地域を超えてほとんど変わることがありませんが、問題はその応用方法であり、それは時代や地域の特性に応じてさまざまに変化してきます。
フラーが予見したように、戦車の登場はその後の戦争の歴史を大きく変えました。司令部の指揮機能を優先的に破壊するという考え方自体は第一次世界大戦の経験からすでに形成されつつありましたが、フラーはこれに戦車の優れた火力、機動、防護を利用するという発想を加えることで、その後の「電撃戦」に通じる理論を構築したのです。

これほど先進的な学説を提唱したフラーですが、イギリス軍の中で必ずしも主流派ではありませんでした。もしイギリス軍が戦間期から戦車の戦略的重要性を認識し、その研究を推し進めていたならば、第二次世界大戦が勃発した際にイギリス軍の戦い方はまったく異なったものになっていたのかもしれません。

KT

参考文献
Fuller, J. F. C. 1936. Memoirs of an Unconventional Soldier, London: I. Nicholson and Watson.

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