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2016年6月2日木曜日

論文紹介 敵地攻撃能力から考える日本の防衛

現在、日本が戦略として採用する基本的な考え方は専守防衛に依拠しています。
政府の公式見解によれば、専守防衛とは相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する自衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢と規定されます。
そして、戦略より下位の作戦、戦術はすべてこの戦略に基づいて組み立てられるのです。

今回は、この専守防衛を採用する日本が弾道ミサイルの脅威に対応する上で必要とする敵地攻撃能力の意義と限界を、戦略的観点から考察した論文を紹介したいと思います。

文献情報
高橋杉雄「専守防衛下の敵地攻撃能力をめぐって――弾道ミサイル脅威への1つの対応――」『防衛研究所紀要』第8巻第1号、2005年10月、105-121頁

敵地攻撃と国土防衛は矛盾しない
正規空母「ロナルド・レーガン」の飛行甲板。洋上から固定翼機を発進させることができる正規空母は、攻撃的能力を強化する代表的な装備と見なされていることから、現在の日本では整備されていない。
専守防衛のような受動的な防衛戦略を宣言しているのは、必ずしも日本だけではないのですが、著者は攻撃的能力の保持を厳格に自制してきた点に特異性があると見ており、「他国に対する攻撃性を極小化した防衛力を構築してきた」と述べています(高橋, 106頁)。

これは攻撃的能力に該当する装備として、射程や航続距離等から大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機、航空母艦等を保持しない方針を日本が堅持していることを意味しますが、これらの装備は必ずしも国土防衛の考え方に矛盾するわけではありません。
そもそも攻撃的能力を持つことが侵略的意図を持つことを必ずしも意味せず(同上)、現に多くの国家が侵略的意図を持つことなくこうした装備を運用しているためです(同上、107頁)。

純粋に自国の防衛だけを追求した戦略であっても、単に防御を固めるばかりではなく、状況によっては攻撃に移行する必要があることを、著者は次のように説明しています。
「相手が自国を攻撃するのを防ぐために、自ら敵地を攻撃して敵の軍事力を撃破することは、『攻勢防御』あるいは『積極防御』と呼ばれる防御的な軍事戦略の1つである。また、純粋に防御に徹しているだけでは、ある程度の打撃を侵攻側に与えたとしても、侵攻側はまた自らの策源地において戦力を回復し、再攻撃を行うことができるわけだから、純軍事的な観点から言えば、自国防衛の観点からも、何らかの形で攻撃力が必要となる局面を想定することもできる(3)。であるからこそ、多くの国が、侵略的意図を必ずしも伴うことなく、攻撃的軍事力を保持しているのである」(同上、106-7頁)
憲法との関係を考えても、この攻撃的能力の保持は可能であると従来から政府は一貫して主張してきたことを著者は指摘しています。
1956年に首相の鳩山一郎が、やむを得ない場合に一定の制約の下で敵地に攻撃を加えることは自衛の範囲に含まれると述べており、このような理解はその後の答弁でも繰り返されていることからも分かります(同上、107-8頁)。

つまるところ、攻撃的能力の不保持は憲法問題として制約されていたのではなく、政策判断として整備されなかったのです(同上、108頁)。

ただし、敵地攻撃の効果を過信すべきではない
湾岸戦争で米軍が直面した脅威の一つがイラクに配備されたソ連製の短距離弾道ミサイルであった。
1957年にソ連が最初に配備したR-11はその後も改良が重ねられながら、東側陣営に普及し、イラク軍にも導入された。
NATOではR-11を基礎に開発、配備されたミサイルを「スカッド」と識別していたため、その名称で知られている。
1998年8月に北朝鮮が行った弾道ミサイルの発射実験は日本に敵地攻撃の必要を突き付けるものでした。
2003年に衆議院では前原誠司議員が、参議院では山本一太議員が敵地攻撃に言及したことからも分かるように、専守防衛という日本の従来の戦略方針を残したまま、敵地攻撃能力の強化を進めるべきという主張が出されるようになったのです(同上、108-9頁)。

こうした議論の変化を踏まえて、著者は日本が攻撃的能力を保持したとしても、それによって弾道ミサイルの脅威が解消できると安易に考えるべきではないことを指摘しています。
現代の弾道ミサイルは発射装置が移動式が採用される場合があるため、これに航空攻撃を加えようとすると、目標の捕捉、撃滅にさまざまな技術的課題が生じてくるためです。

湾岸戦争は、移動式の発射装置を航空攻撃で撃破する難しさを示している興味深い事例です。
この戦争でイラク軍は弾道ミサイル「スカッド」を使用し、イスラエル、サウジアラビアに脅威を及ぼしてきました。
そこで米軍は迎撃ミサイルを配備してこれに迎撃に努めると同時に、敵地に配備されたミサイルを地上で破壊するための大規模な航空作戦を行っています。
しかし、その効果は限定的でした。イラク軍からの弾道ミサイル攻撃はほとんど間断なく続き、戦争の最後の1週間も1日平均で2基のミサイルが飛来してきたと報告されています(同上、111頁)。

この作戦で問題とされたのは出撃した航空機が移動目標の所在を確認できないことでした。
空爆を繰り返すことによる制圧効果は認められましたが、より戦果を拡大するためには、情報通信能力を強化する必要があることが認識されるようになったのです。
そこで2003年のイラク戦争では「軍事における革命(Revolution in Military Affairs)」に基づく情報化が推進されることになりました(113頁)。
この改革によってより短時間に移動目標を捕捉することが可能となり、攻撃的能力が大幅に向上しました。
依然としてミサイル発射自体を阻止することは困難でしたが、イラク戦争で米軍はイラク軍の弾道ミサイルの55%を破壊したとされています(同上、114頁)。

敵地攻撃で何を達成しようとしているのか
著者は専守防衛における敵地攻撃の意義と限界の両方を考察した上で、これを日本の戦略として検討するためには、敵地攻撃能力で達成すべき戦略的目標を明確にし、適切な組み合わせ方を模索することが重要であると論じています。

この論文では一般的に考えられる戦略的目標として次の三つが挙げられています。
(1)弾道ミサイル発射後に相手の政経中枢に報復を加える報復的抑止
(2)第一撃による相手の弾道ミサイル攻撃能力の破壊
(2)弾道ミサイルに対する防衛システムの一要素として発射前迎撃

著者は(1)に関しては相手国に対都市攻撃を加える選択肢であるため、少なくとも現行の専守防衛の解釈から最も大きく逸脱する恐れがあり、また実効性を確保するためには核兵器の整備が必要になると説明しています(同上、115頁)。
もし通常兵器で対都市攻撃が可能なだけの威力を確保できたとしても、結果として相手が核兵器を使用する危険が考えられるため、それを抑止するために核武装の必要が出てきます(同上)。

さらに(2)の選択肢においては、我が国が先制攻撃で相手国のミサイル発射装置を完全に破壊できなければ、残存したミサイルで攻撃を加えられる危険があること、もし完全に破壊できるだけの高度な攻撃的能力を保有することで、かえって相手国に先制第一撃を発動することを促進する恐れがあると考えられるため、結果として危機的状況における安定性を損なうことにも繋がりかねません(同上、116頁)。

最後の(3)は、敵地攻撃と迎撃を組み合わせて弾道ミサイルに対抗することであり、「制圧効果を発揮して相手の行動をせいやくして飛来する弾道ミサイルの数を減らすこと、攻撃作戦を反復することで相手のミサイルランチャーに消耗を強いることである」と述べられています(同上)。
こうして発射される前に弾道ミサイルの数を制限することができれば、より確実に迎撃することが期待されるのです。

もし日本が敵地攻撃能力を取得すれば、それだけ戦略上の選択肢は拡大します。しかし、ここで著者が示しているように、その能力を何のために使用するのかという問題が重要となります。
この論点に関しては、国民全体で十分に議論しておき、戦略上の考え方として整理しておくべきでしょう。

むすびにかえて
この論文で著者が目指しているのは、専守防衛の姿勢を維持した上で、敵地攻撃能力の問題に関する議論を発展させるための足掛かりとなる議論を提出することです。
つまり、どのような戦略が最も日本にとって適切なのかという判断を下しているわけでは必ずしもありません。

ただし、著者は日本が敵地攻撃にまで踏み込んだ戦力を整備するためには、米軍との連携についてより詳細な検討を進める必要があるという点に関しては強調しています。
「このような形で敵地攻撃を追求するには、これまでと比べてはるかに密接な日米防衛協力に基づいた役割分担を行う必要がある。ところが、これまでの憲法解釈上、敵地攻撃は「他に適当な手段がない場合」に限定されており、米軍は「他の適当な手段」に含まれるとされているわけだから、このような形で日米が協力して敵地攻撃に当たる場合にはこれまでの解釈との整合性を検討する必要があろう。それらの問題を整理できれば、日米が共同して対弾道ミサイル脅威に備えた敵地攻撃作戦の役割分担が定められていくことが可能になる」(同上、119頁)
また、著者はこのような敵地攻撃における日米防衛協力を推進する際には、弾道ミサイル脅威への対処だけに限らず、より広い協力関係に発展させることも視野に入れるべきとも論じています(同上)。

全般として著者は、日本が直ちに攻撃的能力の整備を加速させるべきとは考えておらず、より慎重な検討が求められるという立場に立っています(同上)。
しかし、安全保障で必要な能力はその時の状況によって刻々と変化するものです。従来の日本の防衛体制についても攻撃的能力の是非という基本問題にまで立ち戻って議論することも、今後はますます重要になってくることでしょう。

KT

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