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2016年9月23日金曜日

事例研究 第二次世界大戦におけるヒトラーの外交と戦略

結果的にアドルフ・ヒトラーはドイツを敗北に導きましたが、その政治的手腕を一概に否定することはできません。

戦間期におけるオーストリアの併合やチェコスロヴァキア危機の処理においてヒトラー政権はイギリスやフランスから譲歩を引き出し、国益を増進することができたためです。

今回は、米国の政治学者シュウェラー(Randall L. Schweller)の研究に基づき、第二次世界大戦のヒトラーの政策について考察したいと思います。

対米戦を見据えたヒトラー
1944年、ノルマンディーに着上陸する連合軍。ドイツが大国としての地位を固めるためには、ヨーロッパでの勢力圏を確固としたものにするだけでなく、対米戦争で持久戦を遂行できるだけの国力がドイツに必要と考えられた。
ヒトラーの対外政策の特徴としては、武力を背景とした威嚇や攻撃を駆使し、ドイツの領土、勢力圏を短期間の内に拡張したことが挙げられます。

シュウェラーの見解によれば、ヒトラーはいくつかの段階を踏んでドイツの勢力を拡大しようと図っていました。

第一にドイツの再軍備とイギリス、イタリアとの外交関係を強化する段階があり、そこで少なくともイギリスの中立的立場、可能であれば協力的立場を得ます。

第二に軍備によって周辺諸国に短期決戦を挑み、各国の軍事的、経済的資源を獲得していく段階があります。

これは地理的に最も近接する大国であるソ連と戦い、短期間で決着をつけることで米国が介入してくる事態を回避する段階の準備でもあり、最後にヨーロッパにおけるドイツの大国としての地位を確固としたものするために、予想される米国のヨーロッパ進攻に抵抗する段階がきます(Schweller 1998: 93)。
「1925年に『我が闘争』で打ち出された「段階的計画(Stufenplan)」というヒトラーの構想の起源は、ビスマルクとヴィルヘルムの時代にまでさかのぼることができる。19世紀後半まで、ドイツ人の地政学研究者はドイツが世界で大国としての地位を得るために二段階の計画を提案してきた。それは、第一に大陸で拠点を構築し、第二に海を渡って植民地を拡張する、というものである。この二段階に加えて、ヒトラーは第三の段階を付け加えた。それはヨーロッパ大陸と北米大陸との覇権戦争であり、これがドイツの世界支配を終わらせることになったのである」(Ibid.: 94)
さらにシュウェラーはヒトラーが1939年1月の時点で「米国と戦うことになれば、我々ができる最善のことは、最後の瞬間まで抵抗し続けることである」と述べており、これら一連の政策がすべて対米戦で持久戦を成功させるためだったと考察しています(Ibid.: 96)。

しかし、ドイツに準備するとなれば、ドイツが確保すべき勢力は極めて大規模となるため、他国の資源を奪ってくる以外に方法はありえません。

それゆえ、ヒトラーは当初から攻撃的な政策を採用したとも考えられています。

同盟によって分断し、電撃戦で征服する
ヒトラーの対外政策では同盟が重要な役割を果たしていたが、それは潜在的な敵国を外交的に孤立させる目的で使用されていた。対ドイツの仏ソ同盟が構築されていたのに対して、ドイツは日本とイタリアとの間で同盟関係を形成し、対ソ封じ込めに利用した。これはドイツの西方進出にソ連が介入することを防止する上で重要な措置だった。
さらにヒトラーが採用した対外政策の特徴を分析すると、現状打破を成功させるために、第三国の介入を防ぐことを外交的に重視していたことが分かります。

先ほど述べたような段階を踏んでドイツの勢力を拡大しようとしても、現状維持の立場に立つ国々が一致団結してしまえば、ドイツはそれだけ苦しい戦いを強いられることになります。

したがって、可能な限り多くの現状維持の国々を外交的に孤立させ、我が方の行動の自由を拡張し続けることが重要となってきます。

そのためヒトラーとしてはハンガリー、ブルガリア、イタリア、そして何よりも重要なソ連との間で外交関係を強化することを重視していました(1939年の独ソ不可侵条約)。

シュウェラーはこれらの国々の政策がジャッカル型(つまり、優勢な勢力に追従しながら自国にとって有利な形で現状打破を狙う政策)のバンドワゴニングだったと判断しており、これらの国々の力がなければヒトラーの政策は行き詰まっていたとされています(Ibid.: 103)。

つまり、この同盟はヒトラーの「分断と征服」の戦略を表しており、現状打破の古典的な戦略をヒトラーが採用していたことを示唆しています。
「修正主義の国家Aが国家B、C、D、Eと別々に取引をすると想定しよう。それら取引によってAは5単位の利得を獲得し、Aと友好関係を持つ国々はそれぞれ7単位の利得を得るとする。個々の協力関係において、Aは相手に対して自国が2単位だけ少ない利得を得ることになる。しかし、全体として見れば、Aは絶対的な利得を20単位も増進させることになる。もしAが他国同士が取引してAを疎外することを防ぐことができれば、Aは他のそれぞれの友好国に関しては13単位の相対的な利得を得ることになり、さらに協力関係をまだ持っていない他の国々(F、G、Hなど)との取引によって20単位の利得を得ることにもなる。これは分断と征服(divide-and-conquer)という古典的な戦略である」(Ibid.: 103-104)
また著者はドイツはこの種の攻撃的同盟を貿易によって構築していたことも述べており、特に東ヨーロッパ諸国に対するドイツ系資本の進出はドイツの対外的影響力の拡大に寄与していました(Ibid.: 104)。

むすびにかえて
ここで示した著者の見解が妥当ならば、ヒトラーの対外政策は単に軍事力で相手を圧倒するだけのものではありませんでした。

攻勢に出る前に相手を外交的に孤立させておくことの重要性をヒトラーなりに認識していたと思われるためです。

対外戦争によって敵を一つずつ排除する慎重さと、第三国が軍事的介入を行うリスクを最小限に抑制する用心深さがありました。

少なくとも第二次世界大戦におけるヒトラーの政策は政治的、外交的観点で見れば一定の合理性があったと認められます。

しかし、ドイツが当初から予見していた対米戦を遂行するには、西ヨーロッパ地域をドイツの勢力圏に完全に組み入れ、かつソ連を早期に打倒することが必要でした。
1941年の独ソ戦の行き詰まりによって、この条件が満たせなくなった時点で、ヒトラーの計画は破綻していたといえます。

KT

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参考文献
Schweller, Randall L. 1998. Deadly Imbalances: Tripolarity and Hitler's Strategy of World Conquest, New York: Columbia University Press.

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