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2016年10月29日土曜日

モーゲンソーが考える国力の九要素

国際政治を理解する際には、ある国家と別の国家のどちらが優勢なのかを判断することが重要です。ここを間違えてしまうと、どちらの国家から軍事行動を仕掛ける恐れがあるのかを予測することもできず、また外交交渉によって衝突を回避する場合、どの程度の譲歩が必要なのかを検討することもできません。相対的な勢力関係を見積ることは、こうした問題を考える上で役立ちます。

しかし、国際政治において国家が持つ力は必ずしも単一の要素だけで成り立っているわけではありません。国力は非常に複雑な能力であり、政治的、経済的、外交的、軍事的要素などを考慮する必要があります。今回は、こうした国力に対する理解を深めるため、国際政治の分野で大きな業績を残した政治学者ハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau, 1904-1980)の説を取り上げてみたいと思います。

(1)地理
モーゲンソーの著作『諸国民の政治(Politics among Nations)』(邦訳、『国際政治』)においては、国力の要素として第一に地理が取り上げられています。一言で地理と言っても、国土の面積や形態などさまざまな側面がありますが、モーゲンソーはその一つの例として、地球上のどこに立地しているかによって、その国家が有する能力が決まると考えました。
「国家の力を決定する諸要素のなかで、明らかに地理が最も安定した要素である。例えば、アメリカの大陸領土が、東に3000マイル、西に6000マイル以上の広がりを持っている水域によって他の大陸から隔てられているという事実は、世界におけるアメリカの地位を決定する永続的な要因である」(モーゲンソー『国際政治』120頁)
地理的要因の重要性は輸送手段の発達によって低下したという見方もありますが、技術(例えば、航空機、ミサイル)がどれほど発達したとしても、国家の位置関係に関する重要性が低下していると断定すべきではないというのがモーゲンソーの立場でした。
その見解によれば、アメリカの置かれた地理的環境は確かに変化していますが、だからといってその孤立性がなくないと明確に述べています(同上)。これはアメリカがヨーロッパとアジアから切り離されているという地理的事実が持つ意味合いが多少変化したからといって、アメリカの対外政策を恒久的に制約する要因としての地理を軽視してしまうと、国力を正しく捉えることができない恐れがあるためです。

(軍事地理学から見た国土の地理的条件の意義については過去の記事「国土防衛を考えるための軍事地理学」でも取り上げています)

(2)天然資源
モーゲンソーの分類方法によると、天然資源は必ずしも鉱物資源やエネルギー資源だけではなく、(少し奇妙な言い回しかもしれませんが)食料のような生活必需品も含まれています。ここでは食料と原料の二つについて取り上げたいと思います。

政治学者が国力の一要素として食料に対して関心を寄せる最大の理由は、それを自給自足できることが緊急事態における国民の生存を保証してくれるためです。
第二次世界大戦を控えたイギリスの食料自給率がおよそ30%であったため、戦時中においても船舶輸送によって海外から食料を調達する必要があり、これが潜水艦や航空機によって脅かされれば、イギリスの食料が枯渇する危険に直面したことがあります(同上、123頁)。
このように、食料の供給能力に問題がある国家は、他国からの輸入に依存することになり、その依存は戦争において敵に突かれるかもしれません。

国力の一要素としての原料の重要性は、産業革命以降において軍需産業が稼働するために減量を管理することが不可欠になったことが関係しています。
モーゲンソーは1936年に行われた研究において、軍事目的の工業生産で必要となる鉱物の割合が石炭40、石油20、鉄15、銅4、錫4、マンガン4、硫黄4、亜鉛2、アルミニウム2、ニッケル2と見積られていたことを紹介しています(同上、125頁)。

ただし、それぞれの原料が持つ価値は技術の進歩とともに変化するものであり、第一次世界大戦以降の石油や、核の時代におけるウラニウムのように突如として戦略資源として計算される対象となる鉱物が出てくることにも注意を促しています(同上、126頁)。国家の国力を評価するためには、どのような原料が産業的に重要であるかを知っておくことが必要なのです。

(3)工業力
先ほど述べた天然資源をいくら豊富に持っていたとしても、それを国家が活用するためには土地、資本、労働力という生産要素がなければならないことは明らかです。
例えばモーゲンソーはインドは石炭や鉄鉱石の埋蔵地域としてアメリカやソ連に伯仲していると評価されているものの、豊富な原料を処理するための近代的な製鉄工場が建設されておらず、またインド人の大部分もそのような産業を成立させるための労働力を提供できないため、国力として活用されていないと指摘しています(同上、127頁)。
「現代の戦争のための輸送およびコミュニケーションの技術は、重工業の全面的な発達ということを国力の不可欠の要素にしてしまった。現代の戦争における勝利は、高速道路、鉄道、トラック、船舶、飛行機、戦車、さらには、魚雷網および自動小銃から酸素マスク、誘導ミサイルに至るあらゆる種類の装備と武器の質と量によって決まる。そのため、力をめぐる諸国家間の競争は、より大型の、より優れた、より多くの戦争手段の生産競争へと大きく変質している。工業施設の質および生産能力、勤労者の知識、技術者の技能、科学者の発明能力、官吏組織など、これらすべてが一国の工業力を、したがって国力を左右する要因なのである」(同上、128頁)
モーゲンソーの見解によれば、現代の国際政治の特徴は、大国としての地位を得るために要求される工業力の水準が飛躍的に向上したことであり、これは大国と中小国との格差がますます広がり、さらに固定化される傾向をもたらしています。

古代や中世の国際政治とは異なり、近代以降の国際政治では国家間の競合で用いられる軍事力は高度な知識や技術に裏付けられた工業に基礎を置いています。モーゲンソーはソ連が大国として台頭できた経緯について、「1930年代に一流工業国の地位に仲間入りして初めて、事実上の大国となった。またソ連は、50年代に核戦争を遂行できる工業力を獲得して、ようやくもうひとつの超大国の地位を得てアメリカの対抗国となったのである」と述べています(同上、128頁)。
その国家の産業構造が変化し、工業の比率が増大することは、経済学的に見れば経済発展の一段階に過ぎませんが、政治学的に見れば大国として台頭する準備段階でもあるのです。

(4)軍備
軍備は国力の中心的要素であり、それは国際政治の力学を形作るものです。モーゲンソーは「地理、天然資源、工業力などの諸要因が、国家の力にとって実際上の重要性を持っているのは、これらの要因が軍備の関係があるからである」として、軍備の重要性を強調しています(同上、129頁)。

軍備を構成する要素として最初に取り上げられなければならないのは科学技術です。科学技術は軍備と独立した要因と考えることもできますが、モーゲンソーの説では軍事技術としての側面が重視されています。なぜなら、科学技術こそ強力な武器の使用を可能にする前提であったためだと考えられているためです。

ヨーロッパの列強が15世紀から19世紀にかけて世界各地で勢力を拡張することができたのは、伝統的な武器に取って代わる火器が登場したためであり、これが騎兵や城塞の優位を覆していきました(同上)。こうした変化は20世紀においても健在であり、代表的な革新としては、潜水艦、戦車、航空機、そして核兵器とその運搬手段が挙げられています。その中でも核兵器が国際政治にもたらした影響は格別のものであったと言えます。

科学技術が軍備の重要な要素であるとしても、それを効率的に運用できなければなりません。モーゲンソーは軍事的リーダーシップを軍備の一要素と見なし、この要素についても考察しています。
「18世紀におけるプロイセンの力は、主としてフリードリヒ大王の軍事的天分と、彼が採用した戦略および戦術面での革新とを表すものであった。戦争術における変化は、1786年のフリードリヒ大王の死と、ナポレオンがプロイセン軍―それ自体は20年前と同様に当時も優秀で強力であったが―を破った1806年のイエナの戦いとの間に起こった。しかし、より重要なことは、フリードリヒ大王の死後も繰り返し彼の戦略・戦術を採用して戦いを行っていたプロイセンの指導者の中に、軍事の天才がいなかったということである」(一部訳文修正、同上、131-2頁)
モーゲンソーのこの言葉を解釈すれば、軍事的リーダーシップの優秀性を維持するためには、軍隊を運用する能力を持った指導者が必要であるということになります。そうした優れた人材が国家にいれば、軍隊の能力を引き出す上で有利になるということになります。

最後に軍備を規定する要因として重要なのが、軍隊の規模と効率です。その国家に何名の兵士が必要なのか、配備された武器や装備はどの程度の数が適当か、それら武器や装備はどの程度の性能であるべきか、これらは基本的な問題ではありますが、やはり国家の防衛の根本にかかわる問題でもあります(同上、133頁)。
これらの問題に対して装備が劣悪でも大規模な軍隊をもって対応するのか、それとも高性能な装備を持つ少数精鋭の軍隊で対応するのかは国家によってさまざまであり、モーゲンソーはここにその国家の個別の事情が反映されるものと考えていました。

(5)人口
モーゲンソーにとって人的資源の問題は量的側面と質的側面の両方と関係していますが、モーゲンソーが考える国力の要素としての人口の問題はまず量的側面でした。
総人口の大きさがそのまま国力を決定するわけではないのですが、モーゲンソーはその国家の人口の規模がある程度大きくなければ、近代戦争の遂行に必要な産業を動かすことも、戦闘部隊に人員、武器、弾薬を補充することもできないと述べています(同上、133-4頁)。

とはいえ、あまりに人口が膨張すると、それが国家の成長を抑制する場合もあることについても考慮しなければなりません。
「したがって、国力の物的な手段を作り出したり、それを利用したりするのに十分な人口がなければ、国家は一級国にはなりえないということは明らかである。他方で、ある国が多くの人口を持つということは同時に、その国力に極めて否定的な影響を及ぼすこともあり得る、ということが最近になって初めて明らかになった。こうしたことは、インドやエジプトのようないわゆる低開発国において起こっている。これらの国々の人口は死亡率の減少によって大きく減少したが、その食糧供給は人口増加に追いついていかなかった。これらの国々は絶えず飢饉の脅威に直面し、また多数の栄養失調および病気の人々の面倒を見なければならなかった」(同上、135頁)
このような形で人口が国力と関係していることを踏まえて、モーゲンソーは単に各国の人口の総数を把握するだけでなく、その年齢分布に注目することの重要性にも触れました。その説明は次の通りです。
「所与の人口における年齢分布は、力を算定するときの主要な要素である。他の事情がすべて等しい場合、軍事や生産に関する目標に取って最大限の潜在的な有効性を発揮するような人口(だいたい20歳から40歳の間の年齢)を比較的多くもつ国家は、その人口構成で老年層が優位を占めている国家よりも力に置いて優位に立つことになろう」(同上、136頁)
つまり、国力としての人口を検討する際には、総人口よりも労働力人口に注目しなければならないということになります。
この労働力人口をある程度確保するために重要なのが出生率の水準であり、モーゲンソーは政治家はこれを注意深く見極め、必要があれば対策を打ち出すべきだと論じており、また「我が国が世界のリーダーシップにおいて高い地位を保持し、また、外圧に対して自国を守ることができる大国として生存しようとするならば、わが国民はあらゆる手段で家族の人員を増やすよう励まなくてはならない」というチャーチルの言葉を紹介することで、国際政治における国家の地位がこの出生率と関係があることを紹介しています(同上、137頁)。

(6)国民性
先ほどの人的資源の問題との関係で重要なのが、国民性そして国民士気という二つの質的側面です。モーゲンソーはある国民の文化や慣習が長期間にわたって維持されていることに関心を持っていました。国民性は決して定量的に分析できる対象ではありませんが、繰り返し示される態度や傾向のようなものとして考察することができます。

モーゲンソーが国民性に関する考察して紹介しているものに、プロイセンの宰相として知られるオットー・フォン・ビスマルクの回顧録の一節があります。
かつてビスマルクは外交官としてロシアのサンクト・ペテルブルクに駐在していたことがありましたが、ロシアの皇帝は早春になるとポール宮殿とネヴァ川の間にある庭園を散歩する習慣がありました(同上、139頁)。
ある日ロシア皇帝が散歩していると、芝生の真ん中に衛兵が立っていることに気が付き、なぜそこに立っているのかを問いただしました(同上)。すると衛兵は命令に従っているだけで、自分がそこに立たなければならない理由は知りませんでした。そこで皇帝は上官に問い合わせ、原因を探ることにします(同上)。しかし、冬も夏もそこにずっと警衛として立ち続けなければならないという命令が誰から出されているのか誰も知らず、しかもそれが何のための命令なのかも分かりませんでした(同上)。

しばらくして、この話題が宮廷に広まると、一人の老従者が自分の父親から聞いた話を報告します。それによると、かつてエカチェリーナ女帝がその場所でスノードロップが早く咲いたことに気が付き、これを摘み取らないように命令を出したことがあり、その命令を実行するために以降は一年中衛兵がその場所に立つことになったという経緯でした(同上)。ビスマルクはこの話を紹介した上で次のように評しています。
「こうした話によって、われわれは一方で興味を持ち、また他方で非難をしたくなる。だが、この話は、ロシア人の性質の強さの原因となっている根性と忍耐―これは他のヨーロッパ人に対するロシア人の態度のなかにみられる―を示すものである。この話から1825年のサンクト・ペテルブルクで起こった洪水のときの番兵と、また1877年のシブカ山道における番兵のことが思い出される。二人とも救出されず、前者は溺死し、後者はその場で凍死したのである」(同上、139-40)
このような形で浮き彫りになる国民性は、その国民が戦時または平時に国家のために行動を起こし、政策を支持し、世論を形成する上で影響力を持っているとモーゲンソーは考えました。しかし、モーゲンソーの著作でもこの要因については曖昧さが伴うことに注意しなければならないと繰り返し述べられています。

(7)国民士気
国民性と同じように観察、測定が難しい国力の要因として国民士気があります。モーゲンソーが述べている国民士気とは決して軍事行動だけでなく、農業生産、工業生産などあらゆる国民の活動領域に作用するものです(同上、144頁)。とはいえ、やはり戦争の遂行に対する影響が重要な意味を持っています。

そもそも士気という用語は軍隊を構成する兵士が進んで戦おうとする気持ちを意味します。モーゲンソーは国民の士気が国力の要素である理由について「それは一部は国民の士気が軍事力に及ぼすと思われる影響力のためであり、また一部は、対外政策を追求しようとする政府の決意に対して国民の士気が及ぼす影響力のためである」と論じています(同上、147頁)。したがって、戦争を遂行する能力が国際政治における国家の地位を決めるという考え方はここでも一貫しています。

モーゲンソーは国民士気という国力の要素が非常に不確かなものであるという見方に同意していましたが、それが強化される場合と弱化される場合とは、政府と社会の分断の程度によって判断できると考えてもいました。
「国民の士気の質がどんなに予測不可能な者であろうとも、とくに重大な危機の場合、国民の士気が高まりそうな明白な状況がある。ところが、ある一定の異なった条件の下では、国民の士気の低い状態が有利な場合もある。一般にいえることは、国民が自己の政府の行動と目標とに一層密接に同一化すればするほど―もちろん、とくに対外問題においてであるが―国民の士気が高まるチャンスは一層多くなり、また、それとは反対に同一化が密接でなくなればなくなるほど、その士気高揚のチャンスはますます少なくなるのである。したがって、18、19世紀の独裁国のイメージによって現代の全体主義国家を誤ってみてしまう人々だけが、ナチス・ドイツでは国民の士気がほとんど最後まで高かったということに驚嘆するのである」(同上、149頁)
つまり、政府と社会の関係が一体的であるほど、国民士気は高まりやすいということになります。そのため、モーゲンソーは国内が階級的、人種的、宗教的に対立している事態を政府が解決できない場合に国民の士気は低下する傾向にあり、例えば第二次世界大戦の前のフランス国内にはこうした傾向があったと述べました(同上、150頁)。

(8)外交の質
外交の質は国力の要因として極めて大きな意義があると考えらえています。ここに問題があれば、これまで述べてきた国力の要素の優位も消失してしまう恐れがあるためです。このことについて、モーゲンソーは次のように警告しています。
「外交の質以外の、国力を決定する他のあらゆる要因は、いわば国家の力を構成する素材である。国家が持っている外交の質は、これらのいろいろな要素を、統合的な全体へと結びつけ、それぞれの要素に方向性と価値を与え、そしてこれらに現実的な力の息吹をかけることによって、その眠っている潜在力を揺り動かすのである」(同上、150-1頁)
この記述で興味深いのは、モーゲンソーが国力が単なる人的、物的資源の集合体ではなく、国際情勢に応じて適切に使われることが必須だと考えていた点です。
これは広大な領土、豊富な資源、先進的な経済力、効率的な軍事力、多数かつ有能で、士気も盛んな人的資源をいくら抱えていたとしても、それらを駆使して国際社会における自国の地位を維持または増進することができないのであれば、その国家の実質的な国力は大したものではないということを意味します。
「外交とは、ちょうど国民の士気が国力の精神であるように、国力の頭脳であると言ってかまわないだろう。もし外交のヴィジョンがぼけてしまうなら、もし外交の判断に欠陥があるなら、そしてもし外交の決断力が虚弱であるなら、地理的位置、食料・原料・工業生産物の自給自足能力、軍備、さらには人口の規模と質といったあらゆる利点は、結局は国家にとってほとんど意味がなくなるだろう。これらすべての利点を誇ることのできる国家は、それにふさわしい外交を行えないような場合でさえも、本来もっている財産だけの重みによって一時的な成功は収めるであろう。しかし長期的には、そうした国家は固有の財産を、事故の国際的な目標のために不完全に、ためらいがちに、また無駄に使用することによって、浪費してしまうのである」(同上、151)
モーゲンソーが理想的モデルと見ていたのはイギリスでした。イギリスの歴史を調べると、チェンバレンのように対外関係を巧妙に処理できなかった時期も一部に見られますが、全体として見ればイギリスを支配してきた貴族階級はイギリスの勢力を全世界にわたって拡張することに成果を上げており、その優秀性は一つの制度としてイギリスの中に確立されていたと高く評価しています(同上、153頁)。

(9)政府の質
最後にモーゲンソーが国力の要素として挙げているのは、政府の質と呼ばれているものであり、これは三つの観点から評価できると論じられています。第一に、国力を形成する各種資源と政策のバランスを保持しているかどうか、第二に運用する物的、人的資源の間のバランスを保持しているかどうか、第三に追及されるべき対外政策について国民の支持があるかどうか、以上の三点です。
「第一に、良質の政府は対外政策の目的および方法を選択する場合、それらを最大限首尾よく支えるために利用できる力を考えていかなければならない。国家の視野を極めて低次元におき、自らの力の及ぶ範囲内で対外政策を設定する国家は、諸国家からなる会議で果たすべき正しい役割を放棄することになる。アメリカは戦間期にこの過ちを犯した。ある国家はまた、その視野をあまりにも高次元におきすぎて、利用できる力をもってしてもうまく実行され得ないような政策を追求するかもしれない。これはアメリカが1919年の平和交渉において犯した過ちであった」(同上、155頁)
言い換えれば、これは達成すべき目標とそのために使用できる手段の間の均衡を保ち、実行可能性のある政策を立案する能力と考えることができるでしょう。
また、どのような手段が利用できるのかを考える場合にも、国力のさまざまな要素をバランスさせることを同時に行わなければならず、モーゲンソーはこの点について「郡の要求と民間の要求との間でバランスをとらなければならない」と説明しています(同上、156頁)。こうしたトレードオフの問題を解決できなければ、政府は決定した政策を完遂することはできないでしょう。

こうした資源配分の問題に勝るとも劣らないのが国民の支持という問題です。これは民主主義を採用する国家にとって特に処理が難しい課題であり、モーゲンソーはその理由について次のように解説しています。
「政府は、その対外政策に対する自国民の承認と、国力の諸要素―これが政策を裏付ける―を動員するためにもくろまれる国内政策への国民の承認とを獲得しなければならない。このような作業が困難なのは、ある対外政策に対する民衆の支持が得られる条件が、対外政策を首尾よく追及できる条件と必ずしも同一ではないからである」(同上、157頁)
このような状況で政府に要求されることは、国民の世論をそのまま政策に反映させることではない、とモーゲンソーは論じています。というのも、国民は政府と異なる視点を持っており、より短期的利益を追求し、非妥協的な姿勢で問題に当たる傾向があるためです。
「民衆の気持ちは、政治家の考えが優れた特性を持っているのだと、ということに気付かず、たいていの場合、絶対善とか絶対悪とかいった単純な道義主義的かつ法万能主義的な観点からものを判断している。政治家は長期的な見方をとり、ゆっくりと遠回りして進み、大きな利益を得るために小さな損失を支払わなければならない。すなわち政治家は、曖昧な態度をとったり、妥協したり、よい時機を待ったりすることができなければならない。民衆の気持ちは早急な成果を求める。すなわち、今日の表面的な利益のために明日の本物の利益を犠牲にしようとするのである」(同上、158頁)
したがって、政府は重要ではない問題については妥協しなければなりませんが、重大な国益を実現するためであれば、社会の反発を乗り越えてでも政策を実行しなければなりません。
モーゲンソーの考える優れた政府とはこうした判断を下すことができるものです。このような考え方から、別の箇所においては「政府は世論の指導者であって、その奴隷ではないということを自覚する必要がある」とも述べられています。

むすびにかえて
これら国力の九要素の相互関係についてですが、モーゲンソーは地理のような安定した要因の上に国民士気のような不安定な要因があり、相互に影響し合いながら変化すると考えていました。しかもそれは、一カ国の内部で変化するだけでなく、二カ国、または数カ国の相互作用によっても変化するものであり、また時間の経過によっても影響を受ける性質があります。
こうした事情から、国際政治における各国の勢力を厳密に測定することは大変困難です。

結局のところ、数理モデルのようなアプローチで国力を数値化し、それを比較するという作業には技術的にさまざまな問題があり、モーゲンソー自身もそのようなモデルを構築するには至っていません。このことが国家間の勢力関係の優劣についても矛盾する見解が出てくる原因にもなっています。このことに多少の失望を覚える方もいるでしょうが、それでもモーゲンソーの研究は今なお国力に関する最も包括的な考察であり、政治学者が考慮すべき要素が軍備や外交だけであってはならないと明確に指摘した意義はやはり大きなものがあります。

また、ここで取り上げた国力の九つの要素は、国家が長期的に取り組むべき基本的な政策課題でもあります。モーゲンソーの説によれば、これらのいずれかの要素が損なわれる事態が生じると、それは国力に負の影響をもたらす可能性があると考えられるためです。このような観点から見れば、国力の九要素は政策論争において個々の課題の優先順位や全体の政策構想を考えるためのチェックリストとしても活用できるでしょう。

KT

参考文献
Morgenthau, Hans J. 2005(1948). Politics among Nations: the Struggle for Power and Peace, 7th edition. New York: McGraw-Hill Humanities.(邦訳、モーゲンソー『国際政治 権力と平和』現代平和研究会、福村出版、2008年)

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