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2016年11月19日土曜日

アメリカ社会が移民を拒絶する理由―トッドの人類学的考察から

2016年アメリカ大統領選で勝利したドナルド・トランプ(1946-)
選挙戦で国境管理の強化や不法移民の排除を公約に掲げた
2016年のアメリカ大統領選で最も重要な争点の一つとなったのが移民の問題でした。さまざまな議論がありましたが、結局アメリカ社会で移民を排除すべきという見解が大きな支持を得たことは、日本で驚きを持って受け止められました。これは、アメリカは民主的な政治体制を採用しており、自由と平等の観念が広く社会に普及しているのだから、移民に対しても寛容な姿勢で対応するはずである、というイメージによるものだと思います。

今回は、現在のアメリカ政治で大きな問題となっている移民への対応を理解するため、エマヌエル・トッドの著作『移民の運命』(1994年)の分析の一部を紹介し、アメリカの白人社会が人種間の差異をいかに重視しているのかについて考察してみたいと思います。

家族構造の相違がもたらす普遍主義・差異主義
フランスの国立人口研究所の人類学者、政治学者のエマヌエル・トッド(1951-)
人類学者の立場から著者は、家族が人間の意識を形成する上で大きな役割を果たしていると主張しています。つまり、人々が生まれ育った家族の構造によって、社会生活でも大きく異なった行動を選択する傾向があるということです。

家族システムの構造にもさまざまな特徴があるのですが、著者が特に重要だと見ているのは兄弟間の平等性です。もし兄弟間の平等性が高い家族システムの中で育てば、その構成員は普遍主義とも呼ぶべき価値観を当然のものとして受け入れていきます。そのような人々は自分たちと異なる人種の移民と接触しても、次第に彼らの身体的、文化的な差異を受け入れる傾向にあります。

しかし、兄弟間の不平等性が高い家族システムで育った人々は、差異主義と呼ぶべき傾向を持っており、異なる人種の移民と接触することによって、かえって強い憎悪を向ける傾向が見られるのです。善し悪しは別として、著者はこのような人類学的要因によって、その社会の移民に対する態度が大きく異なってくるということを説明しているのです。
「人類の単一性に対する信仰は、ある種の人間集団の特徴をなしているが、意識的イデオロギーの層よりも深い層に根差しているようである。この地中深く埋もれているが安定的な態度の上に、さまざまな意識的な形式化が生まれては死に、次々と現れては消えて行く。この視点からするとフランスのケースは模範的である。何故ならその国土の上には、ローマ的普遍主義、カトリック普遍主義、そして大革命の普遍主義、さらにはある程度、共産主義的普遍主義も―何しろプロレタリア国際主義が二世代にわたってパリ盆地の労働者たちの心をとらえたのだから―、次々に去来したからである。このような普遍主義の強力な噴出は、人類学的な本性を持つ隠れた要因の存在を示唆している。逆にこれとは反対の特徴である差異主義を背負っているように見える人間集団もある。われこそは他の者には模倣できっこない無比の本質を持つと主張し、人間の等価性と諸国民の融合という観念そのものに敵意を示す、そういう人間集団もあるのである」(邦訳、42-3頁)
家族における兄弟間の平等性を判断する上で重要なのが遺産分割制度です。これを調べてみると、二人以上いる兄弟が父親の財産を平等にして相続できる場合と、男系長子制のように長男だけが相続人となることが認められている場合とがあります。前者は古代ローマ、スペイン、ポルトガル、フランス、ロシア、中国、アラブの社会で支配的な家族構造です(同上、51-2頁)。ちなみに、アラブ世界においては相続権が男性に限定されており、女性の子供には親の財産を相続する権利が認められていません(同上、52頁)。これは普遍主義の考え方が適用される範囲がアラブ社会においては男性に限定されているためであり、普遍主義の現れ方にもいくつかの相違があると指摘されています(同上)。

差異主義の意識をもたらすとされる後者の男系長子制についてですが、著者の調査によれば、この分類に該当する社会にはギリシア、イスラエル、ドイツ、日本、バスク地方、シーク教徒のパンジャブ、イングランド、ドラヴィダ・インドが挙げられています(同上、52-6頁)。著者はこのような家族構造が発展した社会では、親の遺産をすべて相続できる長子とそれ以外の地位が明らかに不平等なため、それ以外の子供は他の家族の跡取りと結婚するか、軍人や聖職者などの専門職を目指さなければなりません(同上、52頁)。そのため、このような社会では特定の専門職が過剰に供給されることが一つの指標であるとも述べられています(同上、53頁)。もちろん、子供の間で遺産が分割されたとしても、さまざまな非金銭的特権を長男だけに与えるという場合もあるため、差異主義にもさまざまな形態があることが考慮されなければなりません。

アメリカに根付く差異主義の影響
アメリカ独立戦争の最中、ヴァージニア植民地代表の提案により大陸会議で独立が決議され、ジェファーソンを含めた5名の手によって独立宣言が書かれることになった。
著者の見方によれば、アメリカはイングランド的な家族構造の影響が見られる事例であり、兄弟間の不平等性が大きい点に特徴があります。これは差異主義の観念を人々に根付かせる構造的な要因となり得るものです。

17世紀にアメリカ大陸へ移住したイングランド人は、本国の慣習である長子相続制それ自体は排除していますが、平等な相続を認めたわけではありませんでした。ニュー・イングランドでは、遺産の可分性と長子が二倍の配分を受ける制度が聖書の記述によって正当化されていました(同上、70頁)。ただし、長子は優遇されているものの、末子が家族の不動産を相続する場合もかなり頻繁に見られる点でイングランドの家族システムとの相違も見られ、アメリカの家族システムにおいて「子供は自由だが、平等ではない」と定義されています(同上)。こうしたことから、アメリカの入植者は家族の中で序列があることを当然の制度としていたと考えることができます。

1776年のアメリカ独立宣言は、一見すると人間の普遍的な平等の理念が高らかに掲げられていましたが、著者はその宣言ではインディアンを野蛮人と見なす記述があり、「暗に白人という観念と人間という観念を交換可能なものとみなしている」と指摘しています(同上、79頁)。このように考えれば、アメリカ全体の黒人奴隷の40%を所有していたヴァージニア出身のジェファーソンが平等主義と民主制の意義を主張したことは、論理の矛盾を招くものでは決してありませんでした(同上、79-80頁)。著者は1860年から1890年までに25万人のインディアンが身体的、社会的に抹殺されたことを紹介した上で、次のように述べています。
「人類学的分析を施したところ、導き出された結論というのは、人種的偏執はアメリカ民主主義が完成に達していないために残っている不備なのではなく、アメリカ民主主義が拠って立つ基礎之一つなのだ、ということである。この解釈を以てすれば、アメリカ民主主義のいくつかの独特の特徴、とくにそれが経済的不平等を受容している点を理解することが可能となる」(同上、82頁)
未だに力を失っていない人種的隔離
1950年代後半から1960年代前半にかけて、黒人公民権運動が活発化すると、アメリカ各地で暴力事件が発生する事態に発展し、治安維持上の問題が生じた。写真はミシシッピ大学で連邦保安官の移動を支援している陸軍の車列。
このような差別はその後のアメリカで変化し、弱まっているという見方も一部にはあるでしょう。著者はこうした見方を否定しています。確かに1840年代からイングランド以外のヨーロッパから移民が来ており、さらに第二次世界大戦後のアメリカで黒人、インディアン、アジア系に対するヨーロッパ系の国民の意識は変化しています。このことから人種間の融和が進んでいるかのようにも思われますが、著者は実際の行動を見ると、人種的な隔離がアメリカで根強く残っていることを次のように議論しています。
「黒人が白人の居住地域および学校にやって来ると、世論調査の解答で身体的外見を異にする人間の平等という原則を主張する当の白人が、そこから逃げ出すという事態は相変わらず続いている。大都市の中心にはゲットーが存在し、もしくは再び形成される。今や黒人に門戸を開いた公教育は、白人中流階級の子弟が人種の混交を逃れて私立学校に通うようになったため崩壊する。白人の子供と黒人の子供は、住居においても学校においても接触しようがないのである。実際の生活において親交のない状態が保たれているために、白人と黒人の若者たちは互いに知り合うこともなく、結婚する機会もない。近所付き合い、学校、結婚というものは、本質的に人類学的変数であり、これらのものの組み合わせによって個人の具体的人間関係の場が決定される」(同上、126頁)
人間はその人格の初期形成において、家族システムの影響を強く受けることになります。その影響は世代を超えるほど根強いものがあり、著者としては戦後のアメリカ社会においても一貫して人種の隔離が依然として行われていると判断しています。

近年のアメリカについても、「大学における黒人学生の数はかなり多いが、白人学生と黒人学生の人間関係の水準はかなり低く、アラン・ブルームによれば日常の礼儀の規則の遵守だけに限られ、白人学生と黒人学生の間の友情は例外的現象とみなさなければならない。1990年前後には、アメリカの黒人の80%は中等教育をうけたが、こうした大衆的動向が黒人の結婚および住居に関わる隔離を断ち切ることにはならなかった」ことが紹介されています(同上、130頁)。アメリカ社会における人種間の隔離は強固なものであり続けているのです。

むすびにかえて

著者の研究によれば、アメリカ社会は多文化的な特徴を持つものではありません。アメリカの白人社会では人間が持つ身体的、外見的な差異を極めて重視する傾向にあります。それは異人種を差異に基づいて隔離すべきという信念によって強化されていますが、決して個々人の民主的な意識という個別の要因によるものではなく、建国当初からアメリカの民主政の一部でした。この影響は現在まで続いており、それは社会の基本単位である家族システムの構造が維持されていることからも伺われます。表面的に見ればアメリカは積極的な差別是正の取り組みが進められていますが、白人集団において内心では旧来の人種的観念を捨て去ってはいないということを理解する必要があると示唆されています。

移民を排除しようとする背景として、アメリカ社会を形作る家族システムの特徴があるという議論が妥当であるとすれば、私たちはアメリカの移民の問題が今後も繰り返し政治問題化する可能性が大きいものと予期する必要があります。選挙についてはさまざまな要素が関連するため、人類学的考察だけで全てが説明できるわけではありませんが、アメリカが政治的に団結し、その本来の国力を発揮することを阻害する要因の一つとして考慮することは必要だと思います。

また、家族システムから移民の受け入れ能力を考えることは、日本にとっても参考になる部分があるかもしれません。著者は日本で支配的な家族システムは、普遍主義よりも差異主義にとって有利に作用すると紹介しています。このような場合、異なる人種間の接触が増加していくと、かえって身体的、文化的な差異に対する憎悪が助長される可能性が考えられています。それゆえ、日本社会はもし移民を受け入れるとしても、その数を統制することによって、不要な軋轢を回避することに役立つかもしれません。この論点に関してはさらに検討が必要ですが、いずれにしても移民政策を研究する際には、受入国の社会の特徴を十分に考慮しておくことが重要であると思われます。

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参考文献
Emmanuel Todd, 1994. Le destin des immigrés : Assimilation et ségrégation dans les démocraties occidentales, Paris: Seuil.(邦訳、エマニュエル・トッド『移民の運命 同化か隔離か』石崎晴己、東松英雄訳、藤原書店、1999年)

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