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2016年6月24日金曜日

軍事学において制海権は何を意味するのか

制海権(もしくは海上優勢, command of the sea)は海軍の運用を考える上で重要な意味を持つ概念であり、それゆえ現在の軍事学の文献でも広く使用されています。
しかし、制海権が概念的に何を意味するのかという点に関しては、研究者によって微妙に意見が異なる部分もあり、議論の余地があります。

今回は、代表的な戦略研究の学説をいくつか参照し、制海権の概念を理解した上で、それがどのような条件を満たした場合に獲得されるのかを考察したいと思います。

マハンの戦略理論における制海権の理解
アルフレッド・セイヤー・マハン(1840-1914)
米国の海軍軍人であり、『海上権力史論』等の著作で海洋戦略の基礎研究に貢献した。
近代的な海軍の戦略と戦術の研究で最も重要な参照点とされる研究者にマハン(Alfred T. Mahan)がいます。制海権という概念を戦略研究に本格的に導入するようになったことは、彼の研究の影響によるところが少なくありません。しかし、マハンは必ずしもその意味を明確に定義しておらず、さまざまな歴史的事例からその重要性を示唆しているに過ぎません。

ただし、1911年の論文で比較的明確にその意味に説明したことがあり、それがマハンの制海権に対する理解を表しています。要するに、制海権とは海上における軍事力の優勢と位置付けられているのです。
「これらの国家的、国際的な機能は明らかに制海権によってのみ理解できるものである。海域を管制する大規模な艦隊が配備された太平洋、大西洋、カリブ海、そしてプエルトリコ、グアンタナモ、パナマ運河地帯、ハワイもこの制海権に依拠している。そして、制海権を代表するのが海軍であり、その意味において艦艇と艦隊はいわば(制海権の)独立変数である。確固とした結論を簡潔に記そう。海軍では制海権の問題に対する関心が年々高まっている。この問題はその用語の厳密な意味において海軍に止まるものではない。それは国家政策、国家安全保障、そして国家目標の一部なのである」(Mahan 1911: 512)
ここで重要なことは、制海権の「独立変数」として「艦隊と艦艇」を位置付けたことです。
独立変数とは、ある因果関係を示す数式において、原因に位置付けられる不特定の数という意味です。ちなみに、独立変数の対義語は従属変数であり、この場合だと制海権は「艦隊と艦艇」の従属変数と言い換えることもできます。

このマハンの制海権の概念化は誰にとっても理解しやすいものであり、近代以降の海軍が目指すべき目標をモデル的に示しました。しかし、マハンは、どれほどの「艦隊と艦艇」があれば制海権が得られるのか、どのような装備や運用が求められるのか、という点を明確に説明できていません。そのため、研究者は制海権を獲得する方法について長い論争を展開することになりました。

その後の制海権の意味とその獲得方法の考察
米海軍の第5艦隊の揚陸艦アシュランドの乗組員が漁船を臨検している。
コーベットの理論によれば、制海権を確保した艦隊はその海域の海上交通を管制することが可能となる。ただし、それは全ての海上活動を完全に規制できることを意味するわけではないことについてもコーベットは配慮している。
マハン以後に海上戦力の運用を考察した戦略理論は急速に発達しました。
その発達に貢献した研究者の一人にイギリス人の研究者ジュリアン・コーベット(J. Corbett)がいますが、彼は制海権という概念をより明確に概念化しました。
彼は制海権を一般的に「商業的、軍事的目的の如何を問わず海上の交通を管制すること」と説明しており(Corbett 1911: )、さらに「制海権は戦争状態においてのみ存在する」と規定することで、制海権をより明確な概念として規定し直しました。

コーベットの研究によって制海権という概念が明確に定義されただけでなく、それを確保したとしても全ての海上の活動を規制できないことが理解されるようになったので、これを獲得する方法に関しても研究が進歩しました。
例えばフリードマンは制海権を獲得する方法は、決戦によって敵の戦力を撃破するか、敵の資源に対して攻撃を加えるかの二つの方法に区別できると考えました。
「制海権を獲得するために戦力を投射する方法とは二つの戦術を組み合わせたものである。すなわち、決戦または資源に対する攻撃である」(Friedman 2001: 83)
これは味方が制海権の獲得するためには、敵の軍艦または商船に攻撃を加える必要があるという議論と言えます。これに類似しますが、攻撃目標として敵の海上部隊だけでなく、それを支援する基地を考慮すべきという見解がヴェゴの研究で示されています。そこでは敵の基地または沿岸部で軍事活動を支援する鍵となる要素を獲得または破壊することが制海権の獲得に寄与すると論じられています(Vego 2003: 147)。

フリードマンとヴェゴの研究は、いずれも制海権を獲得するために攻勢に出ることが必要であるという点で共通していますが、さらに広い視点から制海権を得る方法を考察したのがティルの研究です。
ティルは制海権を獲得する方法については、次の三種類があると論じています。
(1)クラウゼヴィッツ的な手法で敵の主力艦隊を物質的に撃滅するという、かつてネルソンが「近接的そして決定的な戦闘」と呼んだ戦闘を追求することで制海権を確保する方法。
(2)優勢な可能性がある敵との交戦を回避することによって戦略的優位を求める現存艦隊(fleet in being)としばしば呼ばれる、いくつかの形態の海上防勢によって制海権を確保する方法。
(3)戦おうとしない敵を無力化し、もしくは戦闘を強制すること、いずれかを求める優勢な艦隊によって行う艦隊封鎖(fleet blockade)によって制海権を確保する方法(Till 2013: 157)。
ティルの研究によって現在では制海権を獲得する方法は必ずしも攻勢だけでなく、防勢によって確保することも考えられると理解されるようになりました。

むすびにかえて
制海権と聞くと、いかにも軍事学の難解な概念と思われるかもしれませんが、その意味するところはここで示した議論によっておおむね理解することができます。
重要な点は、海という空間を軍事力で支配するということは、陸と大きく性質が異なってくる、ということを制海権の議論が私たちに示していることです。

当初、マハンはこの分野の先駆者として制海権という概念の重要性を多くの人々に印象付けましたが、より分析的な意味で制海権が理解されるようになったのはコーベットの研究によるところが大きく、少なくとも制海権は完全な意味で海上交通を規制するような意味が含まれていないということを明らかにしました。
このことを踏まえた上で現在も多くの研究者が制海権の獲得のためにどのような戦力運用が考えられるのかを検討していますが、特にティルの研究で示された通り、制海権の確保は必ずしも攻勢を仕掛けることを必要とせず、防勢によって確保できる可能性があると考えられるに至っています。

日本のような海洋国家にとって制海権の確保が安全保障上の重要事項であることは論を待ちません。制海権の意味を知ることによって、改めて海洋の問題に対する国民的理解を深めることは、今後ますます求められるものと思います。

KT

参考文献
Corbett, Julian. 1911. Some Principles of Maritime Strategy, London: Longmans, Green and Co..
Friedman, Norman. 2001. Seapower as Strategy: Navies and National Interest, Annapolis, Naval Institute Press.
Mahan, Alfred T. "The Importance of Command of the Sea: For an Adequate Navy, and. More," Scientific American, Vol. 105, No. 24, December 1911.
Till, Geoffrey. 2013. Seapower: A Guide for the Twenty Fist Century, 3rd ed. New York: Routledge.
Vego, Milan N. 2003. Naval Strategy and Operations in Narrow Sea, London: Frank Cass.


2016年6月21日火曜日

事例研究 新冷戦でレーガン政権が重視した海上戦力

冷戦の歴史で最も重要な役割を果たした兵器は核兵器であったことは間違いありませんが、米国が戦略を展開する上で通常兵器が果たした役割も決して小さなものではありませんでした。
ソ連が1979年以降に勢力拡大の動きを見せ、米ソ両国が新冷戦の時代に突入した際に、レーガン政権が通常戦力を強化したことは、核の時代においても通常兵器が不必要になったわけではなく、独自の有用性を保っていたためです。

今回は、1983会計年度の国防報告を参照しつつ、当時のレーガン政権がどのような戦力を整備しようとしていたのかを紹介し、その意義について考察したいと思います。

新冷戦で必要とされた通常戦力の増強
1979年12月、アフガニスタンにソ連が侵攻することを決定したことは、米ソ関係にとって大きな打撃となった。
レーガン政権が強硬な対ソ政策を採用したことにより、ソ連軍に対抗し得る能力を米軍として整備することが要求された。
国防総省の報告書(Department of Defense Annual Report to the Congress)は、米軍の取るべき態勢について米軍がどのように考えているのかを知ることができる重要な資料です。
1982年に国防長官ワインバーガー(Caspar W. Weinberger)の名前で発表された報告書の冒頭の部分を読むと、ソ連の敵対的行動を念頭に置いて「残念ながら、われわれの過去の期待の多くは裏切られてきた」と述べられており(U.S. Department of Defense 1982: I-9)、ソ連に対して米国がそれまで取ってきた友好的、妥協的な姿勢を見直すことの必要性がはっきりと論じられています。

さまざまな分野が見直しの対象とされていますが、興味深いのは対ソ戦略の一環として「通常戦力の拡充と近代化」に高い優先順位を設定されている点であり、報告書では次のように述べられています。
「われわれの通常戦力の戦闘準備と支援能力を改善することはレーガン政権にとって高い優先順位を保持するが、しかしわれわれは明確に増大する脅威に対応するため通常戦力を近代化し、また拡充しなければならない。(中略)1981会計年度の補正予算と昨年2月に提出された1982会計年度の修正予算で始めたように、レーガン政権は通常戦力のための装備品に関する投資を継続的に増加させた。私はこの投資を現在の予算でも継続することを要請し、また次の5年間にわたって通常戦力に対する大規模な投資計画を継続するように提案する」(Ibid.: I-29-I-30)
ここから、レーガン政権において核戦力と通常戦力を総合した米軍の全般的な能力向上を図る姿勢が読み取れます。通常戦力の整備には一般に核戦力の整備よりも多額の経費を要するため、この報告書においてレーガン政権として通常戦力の拡充のために国防予算の増額を必要とすることを主張する必要がありました。

特に重視された海軍の攻撃的能力
レーガン政権の下で近代化改修を経て1984年に再就役した戦艦「アイオワ」(基準排水量48,500t)
1943年に初めて就役してから第二次世界大戦、朝鮮戦争にも投入された長い歴史を持つ。
報告書では、具体的に改善すべき事項がいくつか示されていますが、ワインバーガーが特に気にしていたのは海軍でした。
「レーガン政権によって提案される最も重要な戦力拡充は海軍に関するものであり、特に攻勢的な任務を遂行するための要素に関するものである。1990年までにレーガン大統領が計画する艦艇の合計はカーター政権が計画したそれよりも約15%は超過するであろう。われわれの計画では2隻の新しい原子力航空母艦が1990年代初頭までに老朽化している「ミッドウェイ」級航空母艦に置き換わることが可能になるだろう」(Ibid.: I-30)
このような記述が報告書に盛り込まれた背景として、1980年代にソ連海軍の活動が北大西洋、地中海、日本周辺、ペルシャ湾、インド洋で活発化していたことが挙げられます。ヨーロッパ、極東、中東等、どこに部隊を展開するとしても、海上交通路が頼りとなる米軍にとって、これは深刻な脅威となっていました。
そのため、レーガン政権はカーター政権が計画していた2倍の規模となる160隻の艦艇を調達することを目指すことになったのです。

また、単に海上戦力を増強しただけではなく、一貫して攻撃的能力を強化しようとしていたことも重要な特徴でした。レーガン政権は海上から攻勢を加えるために必要な水陸両用戦のための艦艇を強化する方針を次のように示しています。
「カーター大統領はわれわれの水陸両用艦隊を近代化する有効な計画を持っていなかったため、水陸両用部隊を輸送する能力は1980年代に大いに減少した。レーガン政権が計画する10隻の水陸両用艦艇は1990年代にわれわれの水陸両用輸送艦を脅かす戦力の陳腐化に対抗する上で良い出発点を与えるだろう」(Ibid.)
それだけでなく、米海軍が攻勢に出る能力を確保するため、レーガン政権として4隻の改修した戦艦を現役に復帰させ、4個の水上戦闘群の中核とすることも述べられています(Ibid.: I-30-I-31)。
米海軍が攻撃的能力を保持することができれば、ソ連海軍が有事に重要海域で防衛圏を構成しても、積極的に打破して制海権を獲得することが期待されました。

むすびにかえて
軍事的観点から見れば、レーガン政権は米海軍の態勢を大幅に拡充させ、ソ連に対する抑止をより盤石なものにしようとした意味で、その後の国際情勢の展開に大きな影響を与えたと評価できるでしょう。
レーガン政権がソ連との新冷戦に備えるに当たって、海軍の攻撃的能力を重点としたことは、戦略的観点から見て二つの意義があったと考えられます。

第一に、ヨーロッパ、中東、東アジアという広い地域に部隊を展開する際に必要な海上交通路を保全し、ソ連軍がどの正面で行動を起こしたとしても、迅速に所望の地点に確実に部隊が接近できるようにしたことです。これは特に米国本土から見て部隊を展開しにくい中東地域への接近経路を確保することに寄与しました。

第二に、単に既存の海軍の能力を強化するのではなく、攻勢作戦を遂行するために必要な装備を重視したことにより、ソ連海軍がもし有事の序盤で防衛圏を構成したとしても、これに突入して制海権を奪取できる態勢を整えることができたことです。
ソ連の立場から見れば、これはただでさえ遠洋での戦闘能力が貧弱なソ連海軍の戦略的運用に制約を課すことであり、重要海域における制海権を固守するという米国の姿勢を明らかにすることにもなりました。

レーガン政権が通常戦力、特に攻撃的能力を持った海軍を増強することで、大陸に拠点を置きながら海洋進出を続けるソ連にバランシングを図ったことは、海洋戦略の研究における一つの参照点として知られるべきでしょう。

KT

参考文献
U.S. Department of Defense. 1982. Department of Defense Annual Report to the Congress, Fiscal Year 1983, Washington, D.C.: Government Printing Office.

2016年6月17日金曜日

国家が脅迫を成功させるための四条件

脅迫(blackmail)とは武力を背景としながらも、それを相手に直接行使せずに我が方の意思を相手に強要する戦略であり、平和を維持しながら現状を打破できるという意味において、非常に優れた戦略と言えるでしょう。

これは決して珍しい戦略ではなく、国際政治において一般的に使用されてきたものです。
最近の事例から少しさかのぼると、2015年のイランによる欧米6カ国の核開発能力の保有に関する承認の確保、1939年のドイツが主導したミュンヘン会談とその後のチェコスロヴァキア併合、1853年のアメリカ海軍の軍事的圧力を利用した日本の鎖国解除など、その手法はさまざまですが、脅迫は紛れもなく国際政治で最も頻繁に使用される戦略の一つです。

今回は、この脅迫を成功させる上で注意すべき事項について考察した政治学者ウォルト(Stephen Walt)の学説を紹介し、その要点を説明したいと思います。

弱小な勢力でも相手の弱点を知れば脅迫は可能
北朝鮮の最高指導者である金正日は核兵器の開発を米国との交渉の材料として利用してきた。
ウォルトは北朝鮮のこうした外交を脅迫の代表的な事例として紹介している。
まずウォルトは脅迫を定義する際に、「脅威、もしくは圧力によって奪い取られた報酬、その他の利得」という辞典の定義を紹介しており、相手に恐怖を与えることで、自分に利益をもたらすことが脅迫の本質であることを示しています(Walt 2002: 152)。

つまり、国際政治で脅迫を行う場合、狙うべき利得は相手国の領土であったり、また自国にとって有利な条件で締結された何らかの条約となります。
これらの目標を達成しようとしても、相手の出方によっては自国が望まない戦争に巻き込まれるリスクがあります。そうなると、脅迫者は常に戦争が勃発しても対応できる程度の十分な軍事力の優位がなければ実行不可能なのでしょうか。

ウォルトはそうではないと述べています。脅迫が成功するための条件は必ずしも軍事的能力で優位に立つことを必要としません。
米国に対する脅迫を想定した上で、ウォルトは次のように脅迫の成功要因を説明しています。
「米国に『支払い』を強制するためには、潜在的な脅迫者は複数の要件を満たさなければならない。第一に、脅迫する国家は米国が危険ないし脅威と見なす何らかの行動を取る能力がなければならず、言い換えれば、脅迫者は米国の国益を脅かす能力を持っていなければならない」(Ibid.: 152-3)
ここで重視されているのは、脅迫の成功に必要なのは米国と全面的に対決して勝利するための軍事力ではなく、米国にとって見過ごすことができない弱点に対して何らかの影響を及ぼす能力である、ということです。
ウォルトは軍事力、経済力の両方で劣後する北朝鮮が核開発によって多くの経済的利得を獲得した事例として、1994年初頭に日本、韓国、米国の三カ国が燃料や食料を含む経済援助に加え、軽水炉の核施設を北朝鮮に無償で提供することを認めたことを紹介しています(Ibid.: 154)。
これは弱小な国家でも脅迫を成功させることは可能であることを示す一例です。

相手の信用を得なければ、脅迫は成立しない
1958年、中国の毛沢東は台湾が支配する金門、馬祖両島に44日間にわたって断続的に47万発移譲の砲撃を実施した。これは米国の台湾支援が中国にとって内政干渉である、との立場を米国に認めさせる意図があったと分析されている。
脅迫とは戦争と全く異なる戦略であり、脅迫者は戦闘よりも交渉を重視し、交渉を上手く進めるためには相手との間に信頼関係を構築しなければなりません。

脅迫者にとって最も不都合なことは、相手が自国の言葉を信用しないことに他なりません。もし自分がある行動を取ろうとしていると宣言したとしても、相手が実際にそのような行動を取ることはないだろうと判断してしまうと、脅迫者は実際にそうした行動に出ないと交渉を進めることができなくなります。
これでは戦わずして勝ち取るという本来の脅迫の戦略を展開できません。
「第二に、その脅威には信頼性がなければならない。つまり、米国の指導者が、もし従わない場合には、脅迫者はその脅威を米国に及ぼす合理的な可能性があると信じさせなければならない。もし脅威を及ばせれば米国だけでなく脅迫者にも同等の損害が生じる場合、その脅威の信頼性は低下し、また実効性も低下する。それとは対照的に、脅迫者が米国が何をするかに関係なく、脅威を及ぼすことが脅迫者の利益であるならば、その脅威の信頼性は向上し、米国から譲歩を引き出しやすくなる」(Ibid.: 153)
このウォルツの考察は、脅迫を受ける相手国が状況をどのように認識、判断するかにかかっていることを示しています。
より具体的に言えば、脅迫は相手国に対してどのような不利益が生じる可能性があるのかだけでなく、そのことで脅迫者に生じる利益を理解させ、脅迫者が取ろうとする行動に現実味を持たせることが必須なのです。

相手が対抗不能な方法で脅迫せよ
イラクのフセイン大統領は1990年にクウェートを武力で占領したが、この既成事実を米国に受け入れさせる能力がイラク軍には欠けていたため、1991年の米軍侵攻を軍事的、外交的に阻止できず、クウェート撤退を強いられた。
先ほどの条件は脅迫が成功するために必要な相手国の心理的状態を規定するものであったのに対して、次の条件は相手国の物質的状態を規定するものと言えるでしょう。
「第三に、その脅迫は米国が簡単に防止できるものであってはならない。恥知らずな写真(例えば名誉を傷つけられる写真)を世間に拡散すると脅迫された被害者は、その写真自体を盗んで取り戻すことも可能であり、この戦略が成功すれば脅迫者の優位は消滅する。これと同様に、脅迫者が脅威を及ぼす事態を防止する能力を取得することが可能であり、また脅迫者の要求がそれよりも容易かつ安価でないのならば、米国は譲歩しなくてもすむであろう」(Ibid.)
ここでウォルトが述べた能力は、戦略の研究では抑止力(deterrence)、特に拒否的抑止(deterrence of denial)という概念で理解されているものです。
要するに脅迫者が脅威を及ぼすために使用する能力に対抗し、その影響を最小限に食い止め、また無効化する能力を持つことによって、相手がその能力を行使しても優位に立てなくするのです。

ここで重要となるのが戦力の規模や内容であり、脅迫者が持つ能力が本格的な侵攻が可能な陸上戦力を基礎とするのか、海上封鎖が可能な海上戦力を基礎とするのかで、どのような戦力を対抗策として整備すべきかが変化してきます。
こうした問題を突き詰めて考えていくと政治学の研究が軍事学の研究と近い位置関係にあることも理解できます。

恐怖を与えた後で、安心を与えよ
ドイツのヒトラーはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテン地方がドイツに帰属することをイギリスに認めさせるため、これ以上の領土要求を行わないことをフランスとイギリスに対して約束したが、これが脅迫の成功に寄与した。
脅迫を成功させるためには、恐怖を抱かせるだけでは十分ではありません。つまり、自分の選択次第によっては恐怖から逃れ、安心を手にすることができると考えさせることが必要だからです。
「最後に、脅迫者は米国の指導者に対して自らの要求を受け入れれば、脅威は消滅するものと確信させることができなければならない。潜在的な被害者が脅迫者に一度譲歩すれば、これからも繰り返し脅迫を受けることになると考えれば、要求を拒否してその脅威に苦しめられるよりも、譲歩することが魅力的ではなくなってしまう」(Ibid.)
よい脅迫者とは、脅迫者が本心として平和を望んでおり、相手が賢明な選択を下したならば(つまり譲歩の姿勢を示せば)、それを心から歓迎し、二度と危害を加える行為はしないと伝えてくるものです。
相手に恐怖を与える究極的な目標は、つまるところ相手に安心を与えるのと引き換えに譲歩を引き出し、自国が目標とする領域の取得や条約の締結に至ることに他なりません。

その際に相手がこのような事態は二度と繰り返さないように求めてくれば、脅迫者はその要望に対して好意的に配慮し、相手に疑いを持たせないように最大限の注意を払わなければなりません。その場で確実に譲歩を獲得しておき、将来的に相手の立場を低下させることができれば、次の脅迫の機会が訪れた際にはより有利な条件で脅迫を仕掛けることも可能ですので、相手の状況を判断しながら確実に脅迫することを優先すべきと言えます。

まとめ:脅迫者に立ち向かうために
ウォルツの学説によれば、脅迫が成功するための条件とは、第一に相手が脅威だと感じる能力を持っていること、第二にその能力に対抗する手段が相手にはないこと、第三に相手が受諾可能な範囲内で最大限の要求を提示すること、第四に要求を受け入れれば脅威がなくなると信じさせること、以上の四つです。これらの条件を満たすことに注意すれば、より効率的に脅迫することが可能となるでしょう。

ここで立場を変えて考えると、国際政治の常套手段である脅迫の犠牲者にならないためには、然るべき対策を講じることが必須である、ということが分かります。
ここで重要なのはウォルトが述べた第二の条件です。脅迫者がどのような能力を強化しつつあるのかを注意深く観察し、我が方としてこれに対抗する際にどのような能力が必要となるのかを検討し、また実際に整備することができれば、それだけ脅迫者は四つの条件を満たすことができなくなり、脅迫者の側もそもそも大きなリスクを抱える脅迫を企図すること自体が躊躇われるようになると考えられます。

脅迫は国際社会の平和と安定を脅かす行為ですが、国際政治の実態として、脅迫はどのような国家も受ける可能性があります。そうした事態を当然のこととして想定し、準備することを怠れば、いざとなった際には脅迫者に大幅な譲歩を強いられることになる恐れがあります。

KT

関連記事
論文紹介 なぜ抑止は(時として)失敗するのか
国際政治の基本原則を考える

参考文献
Walt, Stephen M. 2005. Taming American Power: The Global Response to U.S. Primacy, New York: W. W. Norton & Company.(邦訳、スティーヴン・ウォルト『米国世界戦略の核心』奥山真司訳、五月書房、2008年)

2016年6月12日日曜日

変化する戦闘様相と諸兵科連合大隊の必要

諸兵科連合(combined arms maneuver)とは、任務を遂行するために、兵科・職種の区別を超えて味方の戦闘力を斉一的、同時的、総合的に発揮することをいいます。現在の自衛隊では諸職種連合と呼ばれますが、指揮、近接戦闘、火力戦闘、対空戦闘、戦闘支援、後方支援の機能を兼備して、各職種の部隊の能力を有機的に総合発揮することであると考えられています。

今回は、諸兵科連合部隊の理解を深めるため、米陸軍における諸兵科連合大隊(Combined Arms Battalion)の編成と運用について説明したいと思います。

諸兵科連合大隊の編成

諸兵科連合大隊の組織的特徴について米陸軍の教範では次のように述べられています。
「諸兵科連合大隊の指揮官は通常、大隊の任務を遂行するため、隷下の中隊を機甲部隊と歩兵部隊を混成した戦闘団として編制する。この中隊戦闘団は戦車、ブラッドレー戦闘車、歩兵、支援部隊を含む隷下部隊の相乗効果を増大させる効率性を持った組織である。これらの部隊は幅広い種類の能力を保持するが、多数の脆弱性を持ってもいる。諸兵科連合部隊として中隊戦闘団の効率的運用は戦闘団の隷下部隊の戦力を増大させ、その一方で各々の限界を最小限にするものである」(ATP 3-90.5: 1-9)
つまり、諸兵科連合大隊の指揮官は大隊長という地位にもかかわらず、それぞれの兵科の専門的領域を超えて複数の兵科の利害得失を組み合わせるという能力がなければなりません。米陸軍の諸兵科連合大隊の指揮官の場合、歩兵と戦車を連携させる方法について高度な運用が求められるのです。

諸兵科連合大隊の任務組織は極めて柔軟性が重視されており、大隊本部の下で機械化歩兵中隊と戦車中隊が置かれているため、任務に応じて柔軟に必要な戦闘力を発揮できるように考慮されています。
諸兵科連合大隊における歩兵中隊の編成。
中隊本部に機械化歩兵小隊3個で構成されている。(Ibid.: 1-10)
諸兵科連合大隊における戦車中隊の編成。
中隊本部に戦車小隊3個で編成されている。(Ibid.)
諸兵科連合大隊における本部中隊の編成。
大隊の斥候小隊、迫撃砲小隊、衛生小隊、通信班、狙撃班は本部中隊の下に置かれている。
(Ibid.: 1-11)
諸兵科連合大隊で特徴なのは、通常なら歩兵部隊の一部とされるべき迫撃砲が、本部中隊の指揮を直接受けることになっている点でしょう。これは機械化歩兵中隊と戦車中隊の両方に対して柔軟に火力支援を提供するための工夫の一つと言えます。

諸兵科連合部隊の戦闘要領

戦術の基本でもありますが、諸兵科連合大隊は部隊を警戒部隊、主隊、予備の三つに区分し、警戒部隊を主隊の前後左右に配置し、周囲を警戒させます。主隊には戦闘力の中核を担う部隊を充てますが、敵と接触するまでは戦闘展開しません。さらに主隊にも加えずに残した部隊は予備となり、これは敵の逆襲を撃退する目的や、戦機が訪れた際の戦果を拡張する目的で使用するための戦力です。

諸兵科連合部隊の運用の特徴とは、これら警戒部隊(前衛、側衛、後衛)、主隊、予備にそれぞれ異なる兵科の部隊を使用することができるということです。

諸兵科連合大隊の攻撃要領の一例。
敵の部隊(菱形の部隊符号)が占領する陣地に対して味方の戦車中隊1個が迫撃砲小隊1個等と連携して正面から射撃を加えつつ、機械化歩兵中隊2個が側面攻撃を行っている。
後方には予備として味方の戦車中隊が拘置されており、また戦闘地域の外部から敵が進入する事態を防ぐため、経路を警戒させてもいる。(Ibid.: 4-24)
ここで示した諸兵科連合大隊の攻撃要領の一例から、諸兵科連合部隊の運用の強さを見てみます。
この状況図を見ると左手に味方が、右手に味方が展開していますが、敵には2個の機械化歩兵小隊と1個戦車小隊があるだけです。したがって、優勢な戦力比を利用して正面攻撃を仕掛けることも不可能とまでは言えませんが、敵の正面に障害が構成されており、これに容易に接近することができません。

そのため諸兵科連合大隊は迫撃砲と戦車の火力を使用して敵を制圧し、その間に味方の機械化歩兵中隊2個を側面に移動させ、敵を二方向から攻撃する包囲の態勢に移行するという戦術が有効となります。
正面における味方の戦車小隊の動きで敵の戦車小隊を正面に引き付けることができれば、確実に味方の歩兵はより安全に側面から攻撃が可能となります。
さらに味方の予備にはまだ戦闘に使用していない戦車中隊が1個を温存しているため、敵の態勢が崩れた後でも徹底的に撃滅することが期待されるのです。

むすびにかえて
諸兵科連合大隊の編成は、複数の戦闘兵科の部隊が大隊の中に小規模ながら組み込まれている点に特徴があります。
そのため大隊長は大隊の任務遂行の際に、機甲部隊、歩兵部隊を戦闘団として編成し、自在に運用することが可能となります。これは大隊レベルにおける戦術の幅を大きくすることに寄与します。
同時にこれは大隊長に求められる能力も高くなることを意味します。機甲部隊と歩兵部隊の特性をよく理解し、双方の利点が欠点によって損なわれることがないように運用することが必要となってくるため、諸兵科連合に基づく戦術を駆使する能力が必要です。

このテーマを広く捉えると、現代における個々の地上戦闘の様相が以前よりも高い柔軟性を必要としていることが示唆されています。
大隊レベルの戦術で、これだけの諸兵科連合の努力が必要なのか、特定の兵科ごとに集中して運用した方が合理的ではないかという意見もあるでしょうが、現代では戦闘が同時に進行する多数の交戦の集合ではなくなっており、個々の交戦がより独立した性質を持つようになっていると考えられます。
この傾向が今後も続くのであれば、陸軍の組織は大規模な部隊を一つの構想の下に効率的に動かすための編成を見直し、現場で動く部隊の自主的な判断をより重視する編成へとますます変わっていくことになるでしょう。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2016. Army Techniques Publication 3-90.5, Combined Arms Battalion, Washington, D.C.: Government Printing Office.

2016年6月10日金曜日

論文紹介 沖縄に基地を置く軍事的理由

なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか、という疑問に端的に答えるならば、それは南西諸島が持つ戦略的価値が東アジア地域において極めて大きいためであると言えます。
しかし、より具体的にその理由を理解するためには、安全保障の観点から見て、その地域の特性がどのようなものであるのかを評価する必要があります。

今回は、日本の南西諸島にどのような戦略的価値があるのかを説明するため、マハンの戦略理論を適用して見せた米海軍大学校の研究論文を取り上げ、その内容を紹介したいと思います。

文献情報
Eric Sayers. 2013. "The "Consequent Interest" of Japan's Southwestern Islands: A Mahanian Appraisal of the Ryukyu Archipelago," Naval War College Review, 66(2): 45-61.

戦略とは政治的目的を達成するために軍事的手段をどのように運用するのかを指示する構想または計画を言います。つまり、ある地域において保持すべき戦略陣地はその国家が遂行しようとする政策によって変化する性質があるのです。

著者が紹介しているように、19世紀の海洋戦略の研究で権威とされるマハン(Alfred Thayer Mahan)は、かつて米国の安全保障に直接関係する海域としてメキシコ湾、カリブ海を取り上げ、その地理的環境について検討しました(Sayers 2013: 45)。
しかし、現代の米国が重視する海域は太平洋、インド洋であり、その大きな理由はやはり中国の政治的、軍事的な勢力拡大です(Ibid.)。
中国は海上戦力の整備を進めながら、海洋進出を活発化させており、日本の尖閣諸島に対して領有権を確立する動きも見せています。
日本の南西諸島の地図。第二次世界大戦以降、米国が沖縄を長らく占領統治してきたが、1972年に日本に返還。
九州の南端から台湾の北端にまで島嶼が分布しており、東シナ海とフィリピン海を隔てる位置にある。
(Ibid.: 48)
南西諸島は東シナ海とフィリピン海を隔てる島嶼群であり、その中央には沖縄諸島があり、その北東には奄美諸島等が、その南西には宮古列島等が位置しています。いずれも中国の勢力圏に近接していることが分かります。
先ほどのマハンの学説によれば、これらの島嶼の戦略的価値を判断する際には、第一にその島嶼が海上交通路に対して占める相対的な位置関係、第二にその島嶼を防衛する用意さ、そしてその島嶼に存在する資源の状況という三種類の基準が適用されなければなりません(Ibid.: 49)。

これらの基準を沖縄に当てはめて考えてみると、沖縄は中国がその海上戦力を東シナ海から進出させる際に使用する海上交通路を遮断できるだけでなく、他の作戦地域や軍事基地に移動する上で有利であることが分かります。
「沖縄:南西諸島で最大の面積と人口を持つ島嶼である沖縄諸島は中国沿岸部の側面にあり、日本列島から南西諸島、台湾、フィリピン、ボルネオから形成され、黄海、東シナ海、南シナ海を包括する『第一列島線』と一般に呼ばれている線を打破しようとする中国軍の野心にとっては天然の障害となっている。また沖縄は宮古海峡に戦略的に並ぶ位置にあり、ルソン海峡にも近い。もし過去10年以上にわたる中国の水上艦艇の活動が前兆であるならば、中国海軍は宮古海峡をより重視し、それは沖縄の重要性を増大させる。最後に、太平洋の米軍部隊にとって主要な軍事基地として沖縄は軍事力の防波堤であり、またグアム、朝鮮半島、南シナ海の間の中継地点でもある」(Ibid.: 50)
また著者は台湾有事が発生すれば、沖縄に配備した部隊を直ちに出動させることが可能となるため、米国の立場から見れば台湾防衛の上でも有利であると指摘されています(Ibid.)。
これらの事情を総合すれば、相対的な位置関係から見れば中国に対する戦略を遂行する上で沖縄には大きな価値があるという判断が導かれます。
1945年、沖縄戦に参加した米海軍の戦艦「アイダホ」の艦砲射撃。
連合軍は沖縄本島の攻略に先立ち、その周辺に位置する慶良間諸島等の島嶼を攻略し、そこに砲台を設置している。
次に島嶼の防衛と戦力の配備という観点から見てみます。
著者は1945年の沖縄戦で米軍が沖縄本島に着上陸するため、数多くの小島を攻略し、そこに砲兵部隊を配備しなければならなかったことを紹介しており、現代の日本も沖縄本島の防備を固めるために、沖縄本島の周辺に点在する小島を活用することが可能であると述べています(Ibid.: 51)。このことも沖縄本島の地理的な特性によって軍事的価値が高めています。

さらに現在では米軍と自衛隊の部隊が沖縄の防空態勢を担っており、機雷が敷設された場合に備えるため掃海艇も配備されています(Ibid.)。このことで、本土から増援が到着するまで抵抗することが期待できます。
それだけではなく、2012年の北朝鮮による弾道ミサイル発射を受けて、日本は宮古島、石垣島にミサイル部隊を配備し、また水上艦艇も活動も強化する方針を採用しました(Ibid.: 52)。
しかし、このような防衛努力は中国の立場から見てどのように映っているのでしょうか。

中国政府は自国の戦略における沖縄の位置付けについて明確なことを述べていませんが、著者はこれまでの中国の戦略に関する研究を踏まえ、中国が沖縄について二つの理由から攻略の対象とする可能性があると指摘しています。
「第一に、中国軍の海上管制と着上陸作戦に対抗するために使用され得る島嶼のような戦略陣地の能力を低下させることに中国は注意を払っており、これは『遠方における島嶼部の制圧』のための『これら島嶼部の防衛システムに打撃を与えることができる、沿岸に配備した火力、対地攻撃機、小型の水上艦艇』を必要とする。第二に、統合打撃の狙いは敵の『偵察及び早期警戒システム、指揮統制、海上・航空基地、兵站基地』を攻撃することにあり、それは『中国海軍の海上管制作戦に対抗する敵の能力を壊滅させる目的で行われる』と考えられる」(Ibid.: 55)
ここでは沖縄はその地理的環境によって武力紛争で中国海軍が保持すべき戦略陣地と見なさ得る可能性が示唆されています。さらに、日本は自らのシーレーンを中国軍から防衛するためにも、南西諸島を中国に明け渡すわけにはいかず、その企図を挫くために防衛力の整備と日米同盟の強化に取り組んでいることはよく知られています(Ibid.: 57-8)。
海洋戦略の特徴はその戦域が広大であるにもかかわらず、部隊が占領可能な戦略陣地の数が限られており、一つひとつの陣地が持つ価値が大きいことです。
この論文で示されていることは、日本と米国にとって中国の勢力拡大を防ぐ上で南西諸島を欠かすことができないこと、そして南西諸島の中央に位置する沖縄は中国の立場から見て有事には攻撃目標となり得ることです。

沖縄の基地問題は必ずしも軍事的必要性だけで片付けるわけにはいかない問題です。しかし、だからといって軍事的側面を軽視されてもよいわけではありません。
東アジア地域の戦略的均衡、米国による台湾や朝鮮半島の防衛、日本のシーレーンの保全など、沖縄の基地が果たしている機能は広範かつ重要なのです。

KT

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2016年6月8日水曜日

論文紹介 核戦闘でのペントミック師団の戦術

戦争の歴史を学べば、武器の改良と戦術の改良は絶えず影響を及ぼし合ってきたことが分かります。
このことは核の時代においても基本的には変わっていません。核兵器が登場したことにより、戦術研究もまたそれに対応できるように発達してきたのです。

今回は、核の時代における戦術学の動向を知るために、ペントミック師団の教義を戦術研究の観点から解説した論文を取り上げ、その内容を紹介します。

論文情報
John H. Cushman. 1958. "Pentomic Infantry Division in Combat," Military Review, Vol. XXXVI, No. 10, pp. 19-30.

ペントミック師団はどのような部隊か
1952年、米国が史上初の水爆実験を成功させ、冷戦は新たな段階に入った(「軍事的観点から考える水爆の重要性」を参照)。
1953年に発足したアイゼンハワー政権は核戦略として大量報復を打ち出し、ヨーロッパ地域でソ連軍が侵攻してくれば、米軍としては核兵器の使用も辞さない意思を示し、ライン川の防衛線を固守する姿勢を明らかにした。この一連の軍事情勢が1957年にペントミック師団が導入される契機となった。
そもそもペントミック師団(pentomic division)は、核戦争での運用を想定し、米陸軍で1957年に編成された歩兵師団、空挺師団の総称であり、正式名称はそれぞれROTAD(Reorganization of the Current Infantry Division)とReorganization of the Airborne Division (ROTAD)でした。
1963年の改革でROAD師団へと改編されるまで、ペントミック師団は維持されましたが、これは核の時代におけるいかに地上戦を遂行すべきかを模索する米陸軍の組織的な挑戦でした。
この論文の著者も米陸軍で核兵器の使用を想定した戦術の研究に取り組み、新たな陸軍の教義を確立することで、ソ連軍に対する米軍の能力が低下しないように努めていたのです。

著者はペントミック師団の戦闘教義を考えるためには、戦争の形態が全面戦争、限定戦争等のようにさまざまな状況に対応できなければならないと考えました。
つまり、ペントミック師団は戦域を自在に移動できる機動力を欠かしてはならず、柔軟性、運動性を最大限に発揮できる編成を採用するべきである、と考えたのです(Cushman 1958: 19)。
ペントミック歩兵師団の編成表。
その最大の特徴は師団の下の連隊が廃止され、5個の歩兵戦闘団に置き換えられている点である。
核戦争において第一線に展開されるペントミック師団に求められたのは、核攻撃に対する脆弱性の軽減でした。従来の師団の編成では一撃で師団の兵力が完全に失われる恐れがあったため、より柔軟性に富んだ組織構造が必要だと判断されることになります。これがペントミック師団において連隊が廃止され、5個の歩兵戦闘郡(infantry battle group それぞれに4個小銃中隊、1個迫撃砲中隊、司令部、後方支援部隊)が置かれた理由でした(Ibid.: 20-1)。

さらに戦車大隊、騎兵大隊が1個ずつ置かれ、師団砲兵として105ミリ榴弾砲の射撃中隊が3個、155ミリ榴弾砲の射撃中隊が1個、203ミリ榴弾砲の射撃中隊が1個が置かれましたが、師団砲兵の指揮官については戦歩兵闘団の迫撃砲中隊の射撃を統制する権限を与えられることになりました(Ibid.: 21)。この権限を駆使すれば、師団砲兵は歩兵戦闘団に対して迅速かつ適切に火力支援を提供することが可能であると期待されました。

また工兵大隊、航空中隊を見ても歩兵戦闘団を直接支援するために注意が払われており、航空中隊に配備された航空機はヘリコプターを用いて短距離の部隊の移動を柔軟に支援できる体制もとられています(Ibid.: 22)。

核火力を活用した攻勢作戦

著者はこうしたペントミック師団で攻勢作戦を遂行するためには、その機動力を重視することが有効であると論じており、その具体的な攻撃の方法として浸透(penetration)を重視していました。その詳細について著者はペントミック師団の教義として以下のような提案を行っています。
「地形:組織化された航空機は障害としての高地の重要性を低下させる。核火力は地形から敵が設置した地上障害を一掃するために使用することが可能であり、それには機動を妨げることはできない」(Ibid.: 24)
「陣形:核火力は複数の地点で浸透することを可能にするため、敵は二方向以上から同時に加えられる攻撃に対して抵抗するために戦うことを強いられる。核兵器は攻撃開始線から直ちに戦果拡張の行動を開始することを可能にする可能性がある。核兵器の大規模な使用が可能であれば、助攻も主攻の活動に接近することが可能であるだろうし、その結果として敵を拘束し、欺瞞するための助攻に必要な兵力を除いた全兵力によって、戦果拡張の形態に近い作戦が行われるかもしれない」(Ibid.)
ここで述べられているのは陣地攻撃の実施要領に近いものですが、実際には防御陣地の施設やそこに配備された敵の部隊は戦術核兵器で一掃するため、攻撃開始と同時に戦果の拡張を行うという点が従来の戦術と異なっています。
ペントミック歩兵師団が攻勢作戦で陣地攻撃を行う場合の実施要領。
突撃準備として核火力を使用することで広範囲にわたり敵の防御施設を破壊する点が特徴。
左側が主攻であり、右側はあくまでも助攻であるため、可能な限り多くの敵の部隊を抑留することに主眼がある。
(Ibid.: 25)
このような攻撃要領において前提とされているのは、歩兵が自動車で移動できなければならないという点です。著者も述べている通り、核火力を使用する戦場で、部隊の運用に柔軟性を持たせるためには、それに応じた機動力を持たせることが必要です。
とはいえ、移動する距離が比較的近距離である場合に関しては徒歩での移動を想定していたことも著者の説明からは読み取れます。

核火力の下での防勢作戦

核火力が使用される環境で防御を研究するためには、そもそも戦術行動としての防御が成立する可能性があるのかどうかが問われなければなりません。
著者はこの難問を解決するために、縦深を大きく確保することで活路を見出そうとしています。
「核戦闘では縦深を持たせて防御陣地を構成することが重要となり、それは前方の陣地が敵の手に落ちても直ちに戦果を拡張することができないように防ぐものである。師団にとって偵察のための手段が増加しているため(例えば騎兵大隊、各戦闘群の偵察小隊、増強された航空機、戦闘地域の監視能力)、長距離偵察が可能であるだけでなく、組織化された防御陣地の間をより広く区切ることもできる」(Ibid.: 25-6)
理論的に言えば、この考え方は機動防御(mobile defense)の応用ですが、広域的に防御陣地を構成する場合についても想定はされたものです。
著者は防御陣地について次のように図を交えて説明しています。
「戦闘地域には要塞の守備兵力と予備を含む第一線の戦闘群が配備される。(中略)次の図は広正面における陣地防御を示しており、防御を変化させれば核兵器、通常兵器のどちが使用される状況にでも速やかに対応することができるであろう。それは陣地の縦深、強力な予備、そして協力は前方火力によって特徴付けられる。積極的な偵察と計画された火力は防御陣地の間隙を統制する上で極めて重要である」(Ibid.: 27)
ペントミック師団の防御陣地の一例を示した図。
この図の上方に対して警戒線を構成し、その下の戦闘地域では中隊が防御陣地に配備されている。
その背後には予備として拘置される部隊が配備されるが、正面はおよそ16,000ヤード(14キロ)、縦深は10から20マイル(16キロから32キロ)と記載されている。
(Ibid.: 29)
まとめると、敵の部隊が核火力を使用してくる状況が想定される場合には、師団として警戒線を可能な限り前方に位置させる工夫が大いに求められることになります。もし敵の偵察斥候がこの警戒線を通過し、後方の戦闘陣地の所在について把握してしまえば、敵は核火力でこれを一掃してくることでしょう。
核兵器が使用される戦場で部隊の所在を敵に捕捉されてしまうと、極めて不利な状態に置かれることになるため、味方の存在を秘匿し、かつ敵の状態を可能な限り探ることが重要であると考えられます。

むすびにかえて
核兵器の登場によって戦争は確かに以前よりも困難になりました。しかし、戦争が不可能になったとまで断定することはできません。少なくとも冷戦初期においては核兵器を戦術的に運用するための戦術はさまざまな形で模索されていました。その結果、世界各国の陸軍の編成や戦術に大きな影響を残しています。

特に歩兵師団は第二次世界大戦以前と異なり、可能な限り兵力の密集を避けることができるような運用が目指されるようになり、迅速かつ柔軟に部隊の移動のために装甲兵員輸送車等が積極的に開発されるきっかけとなりました。これもペントミック師団の編成や運用が、その後の陸軍のあり方に影響を与えたためだということができます。

KT

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2016年6月7日火曜日

事例研究 リンカーンの憲法違反と戦争権限

エイブラハム・リンカーン大統領とジョージ・マクレラン司令官。
南北戦争で北部を勝利に導いた歴史的功績でその名を知られている。
アメリカは成文化された憲法に基づいて建国された史上初の国家でした。憲法では大規模な常備軍の編成を妨げるため、戦争の準備と遂行に関する権限が大統領ではなく、議会に属していた歴史があります。しかし、このような憲法上の規定は南北戦争で大統領が国防のために行使すべき権限を制約し、結果として超法規的行動を余儀なくした側面もありました。

今回は、南北戦争が勃発した1861年にエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が発動した戦争権限の成り立ちについて説明してみたいと思います。

戦争勃発時の政治・軍事情勢
南北戦争に参戦した諸州の区分。
青色が北部、赤色が南部、水色は奴隷制でありながら北部に残留した州。
黒人奴隷制度の非人道性、アメリカの北部と南部の社会的・経済的な分断、連邦政府と州政府との関係に関する憲法論争等、南北戦争を引き起こしたとされる要因は多岐に渡り、研究者の間でも議論が分かれる複雑な問題です。
さまざまな思惑が入り乱れる中で、アメリカという連邦国家からの分離独立を図る勢力は、1861年4月12日、サウスカロライナ州チャールストンのサムター砦に対して攻撃を加え、これをもって北軍と南軍の本格的な軍事行動が開始されました(ミレット、マスロウスキー, 2011, p. 223)。

北軍を指揮するリンカーン大統領は南部諸州の反乱を平定できるだけの十分な経済力を活用することが可能でした。1861年に北部の白人人口は2000万であり、南部の600万に対して3倍以上の数値でした(Ibid. p. 224)。さらに北部には移民として流入する人口も多く、実際に南北戦争では全期間を通じて200万名以上の移民が軍隊に入隊したことが分かっています(Ibid. p. 226)。
さらに北部は財政構造でも南部に優越しており、歳入の21%は課税で、63%を国外からの借款によって調達しましたが、国力で劣る南部に対して外国政府が資金を融資することはありませんでした(Ibid. pp. 226-7)。

基礎的国力でこれほどの格差があるとすれば、北軍に対して南軍が優勢になることはほとんど絶望的かと思われます。
しかし、南北戦争は直ちに終結に向かうことはなく、1865年まで4年間にわたって続くことになりました。その理由の一つは、戦争が勃発した当時、リンカーンが直ちに動員できる軍隊が実態としてほとんど存在しないためでした。これは合衆国憲法が大統領の一存で大規模な常備軍を編成、運用することを妨げていたことの必然的な結果だったのです。

合衆国憲法における非常事態の問題
南部との戦争が迫る緊迫した政治情勢で行われた1861年の大統領就任式。
この時の演説でリンカーンは南部に奴隷制の撤廃を強制する意図がなく、戦争回避を求める意向を表明した。
1861年3月4日に大統領に就任したリンカーンは、もはや戦争が不可避な政治情勢に直面しており、一刻も早く軍隊を編成する必要がありました。しかし、この編成作業を進める上で妨げとなっていたのは合衆国憲法の規定でした。

合衆国憲法が規定した政治制度の特徴を一言で表すならば、それは徹底した権力分立です。
例えば、合衆国憲法の第一条は戦争を宣言する権限、陸軍を徴募及び維持する権限、海軍を建設し、維持する権限、陸海軍の統制及び規律のための規則を定める権限、そして連邦の法律を執行し、反乱を鎮圧し、侵入を鎮圧するため民兵の招請について定める権限、つまり軍隊を編成するために必要な各種権限が大統領ではなく、連邦議会に属するものと定められています。

大統領の権限について合衆国憲法の第二条は「合衆国の陸軍及び海軍及び合衆国の兵役のために招請された各州の民兵の最高司令官である」と規定しているに過ぎません。
憲法で大統領が「最高司令官」であると曖昧に規定されていながら、その具体的な権限が不明であることは、その後の大統領の権限の範囲をめぐって憲法上の論争を引き起こすものでした。この点について政治学者ハンチントン(Samuel P. Huntington)は次のようにその危険を説明しています。
「大統領は『陸軍・海軍を指揮する』機能を与えられていない。彼は『最高司令官』という官職を与えられているのである。このような形態上の差異は非常に重要である。憲法起草者たちは大統領の権限を官職として定義することによって、それが持つ特殊な権限や機能を未定義のままにしておいた。このことは、憲法批准会議での憲法の承認を容易にしたが、それは次の世代に思案し、議論させる要素を与えることになった。つまるところ、最高司令官の権限とはなんであるか。それらは戦争指導という極端に広範な権限から軍隊の指揮という狭い限られた権限に至るまでの範囲を持つのであろう。それらは明らかに議会や州に特別与えられたあらゆる権限を排除する」(ハンチントン, 2007. pp. 174-5, 「総司令官」を「最高司令官」に修正)
つまり、サムター砦の陥落という国家の非常事態を受けて、リンカーンが最初に直面したのは、南軍の脅威ではなく、憲法の問題でした。リンカーンは合衆国憲法を尊重しなければならない一方で、軍事的脅威に対処するために憲法が規定しない領域に踏み込んだ権力の発動を要求されたのです。

憲法違反の議会承認と「戦争権限」の創出
1861年、サムター砦の陥落をもって北部と南部は戦争状態となった。
しかし、当初は北部は本格的な作戦行動に必要な軍備を欠いていた。
サムター砦陥落の3日後に当たる4月15日以降、リンカーンは憲法上の規定の逸脱ともとれる行動を取り始めました。
15日に布告された執行宣言で、リンカーンは7月4日に特別議会を招集することを上下両院に要請し、同時に反乱を鎮圧する目的で7万5000名の民兵を動員することを宣言します(Richardson: 1897: Vol. 11, pp. 13-4)。
5月3日に布告された執行宣言では、三年間にわたって軍務に従事する4万2034名の志願兵を募集していますが、正規の陸軍2万3000名、海軍1万8000名の増員を、やはり大統領が議会の承認も得ずに決定しています。これは憲法に定められた連邦議会の権限を侵害する決定でした(Ibid., pp. 14-5)。

研究者もこの決定については「この驚くべき憲法規定の無視は不可避なものであったという多数意見はあったものの、誰も合憲的であるとは考えなかった」と評しています(ロシター, 2007. p. 339)
しかし、7月4日に開会された議会でリンカーンは一連の行動を「戦争権限(the war power of the government)」によって正当化する主張を展開し、連邦議会はこれを事後承認したのです(Ibid., p. 342)。この戦争権限は、合衆国憲法に曖昧にしか定義されていなかった大統領の権力を強化することに大いに役立ち、その後のリンカーンの戦争指導で活用されることになりました。

その後、最高裁判所はこの戦争権限に関して次のような判断を示しています。
「大統領が内乱を治安圧するため、軍最高司令官としての義務を遂行する際に、交戦国としての性格を与えざるを得ないような驚くべき規模の武力反乱や内戦にどのように対処するかは、大統領によって決定されるべき問題である。当裁判所はこの権力が付与されている政府の行政部局の決定および行動に拘束される。彼は危機が要請する武力の程度を決定しなければならない」(Ibid., p. 345)
言い換えれば、大統領は国家が脅威に晒されている緊急事態においては、その必要に応じて戦争遂行のための権限を行使できるということです。

むすびにかえて
古代ローマの「武力がものを言えば、法律は沈黙する」ということわざは、戦時と平時で国家のあるべき体制が大きく異なってくるという考え方を示すものです。
リンカーンはアメリカの大統領として南北戦争に対処するため、この考え方を適用することを決断しました。しかし、だからといってリンカーンが合衆国憲法を軽視していたというわけではなく、合衆国憲法に基づく国家体制を防衛するためには、合衆国憲法の規定を超えた権力を行使せざるを得ないというジレンマに直面し、それを解決するため彼は戦争権限を必要としたということです。

このことの是非は人によってさまざまでしょうが、少なくとも世界最古の成文憲法を持つ国家の歴史にこのような出来事があったことを知っておくことは、今の日本の憲法問題を考える上においても重要なことであると思います。

KT

参考文献
Huntington, Samuel P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Practice of Civil-Military Relations, Cambridge: Harvard University Press.(邦訳、ハンチントン『軍人と国家』市川良一訳、原書房、上下巻、2008年)
Millett, Allan R., and Maslowski, Peter. 1994(1984). For the Common Defense: A Military History of the United States of America, Rev. New York: Free Press.(邦訳、A・R・ミレット、P・マスロウスキー『アメリカ社会と戦争の歴史: 連邦防衛のために』防衛大学校戦争史研究会訳、彩流社、2011年)
Richardson, James D., ed. 1897. The Compilation of the Messages and Papers of the Presidents, Vol. 10, Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office.
Rossiter, Clinton L. 2007(1948). Constitutional Dictatorship: Crisis Government in the Modern Democracy, New York: Rossiter Press.(邦訳、クリントン・ロシター『立憲独裁 源田字民主主義諸国における危機政府』庄子圭吾訳、未知谷、2007年)

2016年6月4日土曜日

戦技研究 狙いを付ける前に正しい見出しを

以前の記事でも射撃術については取り上げ、それが姿勢、照準、撃発等に区別できることや、射撃姿勢にさまざまな種類があることを説明しましたが(「正しい銃の射ち方を理解するために」をご参照下さい)、今回は小銃射撃における照準(aiming)の要領や注意事項について米軍の教範を参考にしながら解説します。

交戦中の兵士がどのような技術を駆使して戦っているのかを理解する一助になればと思います。

照準で何が問題となるのか
小銃によって形状や配置はさまざまですが、小銃にはその射角と方向角を調整するための照準具(sight)が備わっています。(一般には照準器と呼ばれる場合もありますが、ここでは照準具で統一します)

小銃の照準具は基本的に大きく分けて二つの部分から構成されており、射手が小銃にほお付けした際に目の前にすぐ位置するのが照門部(rear sight)であり、銃口付近にあるのが照星部(front sight)です。
簡単に言えば、照準では照星の先端(以下、照星頂(front sightpost))を照門(rear sight aperture)の中心に見出し、かつ照星頂を照準点に一致させることである、と言えるでしょう。
射撃の際に射手は小銃の照門を覗き、その奥に照星を見ることになる。
照準の第一歩はこの照門の中央に正しく照星頂を見出すことであり、次に照準点を照星頂(照星の頂点)と重ねることである。(FM3-22.9: 4-19)
一般に私たちは照準と聞くと、射つ対象に向かって銃口を向けることだとイメージしますが、それは照準というプロセスの一部分に過ぎません。正しく狙うためには、正しい見出しが必要となるためです。
見出しとは、銃を構えた際に、射手の視界の中で照門の中心点と照星頂を重ねることをいいます。
見出しが射撃においてどれほど重要であるかという点について米軍の教範では次のように述べられています。
「武器は目標に狙いを付けなければならない。そのため、兵士は照星頂の端を照門の中心で保持する。照星と照門との一直線上にある誤差は弾丸が0.5メートル進むごとに増幅される。例えば、25メートルの射距離で小銃の見出しが不良であれば、その誤差は50倍にもなる。もし1インチ(2.54センチメートル)の10分の1見出しを誤れば、それは300メートル先で5フィート(152.4センチメートル)の誤差を生むことになる」(FM 3-22.9: 4-19)
要するに射距離が大きくなるほど照準誤差が弾着の偏差量に与える影響は増幅されるということです。見出し不良の射手だと、照星頂と射撃する的の中心を完璧に一致させても、集弾させることができなくなってしまいます。

一様ではない照準具の種類と照準の条件
さらに銃によって照準具の形状に相違があるため、異なる照準具で射撃する際には練習が必要となります。
米軍のM-16は穴照門を採用しており、照門の中心に照星頂を持ってくるように指示されていますが、AK-47の照門は谷照門という形となっています。谷照門にはさらにV型、U型、凹型などいくつかの種類があり、射手はその銃の照準具に応じた見出しを行わなければなりません。
(ちなみに、谷照門は射手が視界を広く保持できる利点が特徴であり、そのため英語ではopen rear sightと呼ばれます。穴照門にはaperture sightとpeep sightという二つの呼び方があります)

また、実際に自分の眼で照準具をのぞき込むとよく分かる事象ですが、その時の光の向きや強さ、さらには射手の体調等の条件によっても照準具の見え方は異なるということがあります。
いずれも見出しの誤差を増大させる危険がある要因であり、照準具に太陽光が照射されると、その光の入射角に対して照星頂が僅かに膨張して見える事象はその典型的な例です。
また日中とは反対に夜間における射撃の照準では周辺視を活用する等の注意が必要になります。

また照準を長時間にわたって続けていると、射手に疲労が蓄積するということも照準の問題としてあります。
射手の技量が低いと、照準を終えて撃発に移るまでの間にどうしても時間がかかってしまいます。しかし、照準にあまりに長い時間をかけてしまうと、それだけ射手の眼にかかる疲労も増大しやすくなり、視界がかすむ、焦点がぼやける、といった症状が表れることがあります。
当初は正しい見出しができていたとしても、射撃の過程で正しい狙いに意識が集中し、照準点に焦点が置かれて、正しい見出しが崩れてくるという事象も結果として射撃の結果に大きな影響を及ぼしてきます。

むすびにかえて
小銃射撃は多くの人にとって馴染みがないものですが、こうした照準の詳細を知って頂くと、スポーツでよく言われるところの精神性が深く関係してくることが分かると思います。
照準において射手はミリメートル以下の精度を出すために全神経を集中させ、自分の視界に移る照門の中心点に照星頂を完璧に一致させ、かつその先に射撃の目標を見据えていなければなりません。

一般的な小銃(M-16やAK-47)の射程は500メートル等と言われますが、この射距離で敵の散兵を射つとなれば、500メートル先の目標を射つと見出しの誤差は1000倍に増幅される計算です。これは照準における2.5ミリメートルの誤差が、照準点から着弾点が2500ミリメートル=2.5メートルも離れることを意味します。
どれだけ技術革新によって銃が進歩しても、その銃が本来の性能を発揮できるかどうかは、射手の能力によるのです。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2008. Field Manual 3-22.9, Rifle Marksmanship M16-/M4-Series Weapons, Washington, D.C.: Governmental Printing Office.

2016年6月3日金曜日

マキアヴェリから権力者への助言

政治家にとって権力を保持すること以上に重要なことなど存在するのでしょうか。
もし一旦権力を奪われれば、自分が望む政策を実行することも、自分を支持する人々を味方に繋ぎとめることも、政敵の合法的、非合法的な攻撃から身を護ることもできなくなります。
政治家にとって権力は重要な目標であるからこそ、古来より政治学者は権力を掌握する方法やそれを奪取する方法について考察してきたのです。

今回は、この問題を考えるために、政治家がその地位を守り通すための手法に関する政治哲学者ニッコロ・マキアヴェリの考察を紹介したいと思います。

味方を増やし、敵を封じ込める
1492年、グラナダは2年間にわたる攻囲を受けた末にスペインに降伏した。
左で騎乗した人物がグラナダ国王ボアブディル、中央で騎乗しているのがフェルディナント五世。
国家を統治する政治家の職務の基本は政策の立案、執行および評価であり、国民一般はその事業の成果によって利益を得ることが期待されます。
そのため、マキアヴェリも良い政策を遂行し、その事業で成果を上げることができれば、その政治家は名声を高め、支持を盤石なものにできると考えていました。
ただし、良い政策を行っていればそれでよいというわけではなく、マキアヴェリはその政策によって自分の政敵の動きを封じることが重要であることも示唆しています。

マキアヴェリはスペイン国王のフェルナンド五世(1452-1516)が当初はわずかな勢力しか持たないにもかかわらず、強大な権力を獲得できた理由について次のように説明しています。
フェルナンド五世はシチリア、カスティーリャの統治権を獲得すると、当時イベリア半島南部を領有していたイスラム王朝のグラナダ王国との戦争に踏み切りました。

英仏百年戦争で軍務の経験を積んでいたフェルナンド五世が戦争によって長年の国土回復を実現する見通しを持っていましたが、それだけでなくスペイン国内でしばしば国王に歯向かってくる地方貴族の注意を対外戦争へと向ける効果があったのです。
「当初はゆっくりと、そして疑念から邪魔が入らないようにフェルナンドは攻撃を続け、カスティーリャの封建領主の気持ちをそちらへと向けさせておいた。その戦争に気を取られて、彼らが反乱を起こすことなどを思いつかないようにしたのである。そして、その間にフェルディナント五世は彼らが気付かないうちに、自らの名声と彼らへの支配権を獲得したのだった」(Machiavelli 1532, 邦訳、163頁、訳文一部修正)
フェルナンド五世は、この戦争によって新たなスペインの領土を獲得するのと同時に、精強な軍隊を作り上げました。特にフェルナンド五世の下で活躍したゴンサロ・デ・コルドバを始めとするスペイン軍の軍人は小火器の技術革新を利用したスペイン方陣を考案し、17世紀にオランダが新たな教義を編み出すまで、スペインに大きな軍事的優位をもたらしました(この経緯に関しては「オランダの独立を可能にした軍事革命」で取り上げています)。

またフェルナンド五世は軍隊の規模も増強し、自身の権力基盤を支える味方を増やしていきました。これは脅威を及ぼす地方貴族の反乱を抑止するだけの力となりました。
これらの功績から、フェルナンド五世は15世紀初頭からカスティーリャで続いた内紛を平定するだけでなく、国際政治におけるスペインの地位を向上させることにも大きく寄与したと言えます。

対立の中で中立の立場を避けること
マキアヴェリは政治において味方を確保するために中立の立場を避けるように論じていますが、その際に自分よりも強い有力者に従属する状態とならないようにとも指摘している。第二次イタリア戦争(1499-1504)でイタリア半島のヴェネツィアは大国フランスと同盟関係を結んだが、マキアヴェリはこれがヴェネツィアを破滅に導いたと述べている。
権力掌握に関する興味深い考察としてもう一つ挙げられるのは、対立が発生した際にそれに積極的に介入すべきという議論です。
マキアヴェリの考えによると、自分自身の能力を世の中に誇示することだけでなく、何らかの党派間の対立において誰に味方し、誰と敵対するのかを明確にすることが政治的に非常に重要です。
「なぜなら、あなたの近くにいる有力者の二人が殴り合いになり、その一方が勝った時、勝利者に対して恐れを抱く必要があるかどうかが問題となるためである」(同上、165頁、訳文一部修正)
常識的に考えると、下手に権力闘争に介入することの方が政治的には危険と思えるかもしれません。
しかし、政争で勝ち残った人々から見れば、中立の勢力は不満分子となる可能性があり、攻撃すべき目標となりますし、敗退した側の勢力から見れば自分たちを見捨てたとして敵視される危険をマキアヴェリは強調しています。

決定的な対立の局面で決断力を欠き、中立の立場を取ることがあれば、どの勢力も頼りにできなくなる恐れが生じるのです。
「君主が毅然として一方の側に立つと態度を明らかにするとき、もしあなたが同盟した側が勝てば、たとえそれが有力者であって、その配下にあなたが置かれていても、相手はあなたに恩義を感じてしまい、そこに友愛の絆が結ばれることになる。そして人間というものは忘恩の徒の見本のようになって、あなたを抑圧するほどまで不誠実にはなれるものではない。それに加えて、勝利と言うものは買った方が何のはばかりもなく振る舞ったり、まして正義を軽んじるほどまでに完全無欠になれるものではない。しかし、もしあなたが同盟を結んだ側が負けたときには、あなたは必ずや彼に受け入れられる。そして可能な限り彼はあなたを助け、やがて運命が蘇ってきたときには、その運命を分かち合う仲になるであろう」(同上、166-7)
国内政治であれ、国際政治であれ、権力闘争の世界を単独で生き残ることは現実的な選択ではありません。たった一人で権力を維持することはどのような政治家にとっても不可能であり、もし実験を握ることがあっても他の勢力によって間もなく打倒されてしまうでしょう。

むすびにかえて
フィレンツェで行政官として政務にも携わった経験があるマキアヴェリは、政治家が持っている力量には人によって差があると考えていました。
ここで述べている一般的な助言は数あるマキアヴェリの考察の一部でしかありませんが、私たちが優れた力量を持つ政治家はどのように行動するものであるのかを判断するための基準を提示しています。

それは日常的に私たちが知っている判断基準とは大きく異なるものであり、権力をめぐる闘争という政治の本質に根差したものです。
すなわち、敵を封じ込め、味方をより強力にし、事に臨んでは中立の立場をとらず、進んでいずれかの党派に味方し、政局をコントロールすることにあります。
もちろん、権力の掌握は政治家の仕事のすべてというわけではありません。しかし、それは政治家の重要な専門的技術であり、その技術に劣るようであれば、どのような優れた政策も実行することはできないでしょう。

KT

参考文献
Machiavelli, Niccolo. 2003(1532). The Prince, trans. George Bull, New York: Penguin Classics.(邦訳、マキアヴェッリ『君主論』岩波書店、1998年)

2016年6月2日木曜日

論文紹介 敵地攻撃能力から考える日本の防衛

現在、日本が戦略として採用する基本的な考え方は専守防衛に依拠しています。
政府の公式見解によれば、専守防衛とは相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する自衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢と規定されます。
そして、戦略より下位の作戦、戦術はすべてこの戦略に基づいて組み立てられるのです。

今回は、この専守防衛を採用する日本が弾道ミサイルの脅威に対応する上で必要とする敵地攻撃能力の意義と限界を、戦略的観点から考察した論文を紹介したいと思います。

文献情報
高橋杉雄「専守防衛下の敵地攻撃能力をめぐって――弾道ミサイル脅威への1つの対応――」『防衛研究所紀要』第8巻第1号、2005年10月、105-121頁

敵地攻撃と国土防衛は矛盾しない
正規空母「ロナルド・レーガン」の飛行甲板。洋上から固定翼機を発進させることができる正規空母は、攻撃的能力を強化する代表的な装備と見なされていることから、現在の日本では整備されていない。
専守防衛のような受動的な防衛戦略を宣言しているのは、必ずしも日本だけではないのですが、著者は攻撃的能力の保持を厳格に自制してきた点に特異性があると見ており、「他国に対する攻撃性を極小化した防衛力を構築してきた」と述べています(高橋, 106頁)。

これは攻撃的能力に該当する装備として、射程や航続距離等から大陸間弾道ミサイル、戦略爆撃機、航空母艦等を保持しない方針を日本が堅持していることを意味しますが、これらの装備は必ずしも国土防衛の考え方に矛盾するわけではありません。
そもそも攻撃的能力を持つことが侵略的意図を持つことを必ずしも意味せず(同上)、現に多くの国家が侵略的意図を持つことなくこうした装備を運用しているためです(同上、107頁)。

純粋に自国の防衛だけを追求した戦略であっても、単に防御を固めるばかりではなく、状況によっては攻撃に移行する必要があることを、著者は次のように説明しています。
「相手が自国を攻撃するのを防ぐために、自ら敵地を攻撃して敵の軍事力を撃破することは、『攻勢防御』あるいは『積極防御』と呼ばれる防御的な軍事戦略の1つである。また、純粋に防御に徹しているだけでは、ある程度の打撃を侵攻側に与えたとしても、侵攻側はまた自らの策源地において戦力を回復し、再攻撃を行うことができるわけだから、純軍事的な観点から言えば、自国防衛の観点からも、何らかの形で攻撃力が必要となる局面を想定することもできる(3)。であるからこそ、多くの国が、侵略的意図を必ずしも伴うことなく、攻撃的軍事力を保持しているのである」(同上、106-7頁)
憲法との関係を考えても、この攻撃的能力の保持は可能であると従来から政府は一貫して主張してきたことを著者は指摘しています。
1956年に首相の鳩山一郎が、やむを得ない場合に一定の制約の下で敵地に攻撃を加えることは自衛の範囲に含まれると述べており、このような理解はその後の答弁でも繰り返されていることからも分かります(同上、107-8頁)。

つまるところ、攻撃的能力の不保持は憲法問題として制約されていたのではなく、政策判断として整備されなかったのです(同上、108頁)。

ただし、敵地攻撃の効果を過信すべきではない
湾岸戦争で米軍が直面した脅威の一つがイラクに配備されたソ連製の短距離弾道ミサイルであった。
1957年にソ連が最初に配備したR-11はその後も改良が重ねられながら、東側陣営に普及し、イラク軍にも導入された。
NATOではR-11を基礎に開発、配備されたミサイルを「スカッド」と識別していたため、その名称で知られている。
1998年8月に北朝鮮が行った弾道ミサイルの発射実験は日本に敵地攻撃の必要を突き付けるものでした。
2003年に衆議院では前原誠司議員が、参議院では山本一太議員が敵地攻撃に言及したことからも分かるように、専守防衛という日本の従来の戦略方針を残したまま、敵地攻撃能力の強化を進めるべきという主張が出されるようになったのです(同上、108-9頁)。

こうした議論の変化を踏まえて、著者は日本が攻撃的能力を保持したとしても、それによって弾道ミサイルの脅威が解消できると安易に考えるべきではないことを指摘しています。
現代の弾道ミサイルは発射装置が移動式が採用される場合があるため、これに航空攻撃を加えようとすると、目標の捕捉、撃滅にさまざまな技術的課題が生じてくるためです。

湾岸戦争は、移動式の発射装置を航空攻撃で撃破する難しさを示している興味深い事例です。
この戦争でイラク軍は弾道ミサイル「スカッド」を使用し、イスラエル、サウジアラビアに脅威を及ぼしてきました。
そこで米軍は迎撃ミサイルを配備してこれに迎撃に努めると同時に、敵地に配備されたミサイルを地上で破壊するための大規模な航空作戦を行っています。
しかし、その効果は限定的でした。イラク軍からの弾道ミサイル攻撃はほとんど間断なく続き、戦争の最後の1週間も1日平均で2基のミサイルが飛来してきたと報告されています(同上、111頁)。

この作戦で問題とされたのは出撃した航空機が移動目標の所在を確認できないことでした。
空爆を繰り返すことによる制圧効果は認められましたが、より戦果を拡大するためには、情報通信能力を強化する必要があることが認識されるようになったのです。
そこで2003年のイラク戦争では「軍事における革命(Revolution in Military Affairs)」に基づく情報化が推進されることになりました(113頁)。
この改革によってより短時間に移動目標を捕捉することが可能となり、攻撃的能力が大幅に向上しました。
依然としてミサイル発射自体を阻止することは困難でしたが、イラク戦争で米軍はイラク軍の弾道ミサイルの55%を破壊したとされています(同上、114頁)。

敵地攻撃で何を達成しようとしているのか
著者は専守防衛における敵地攻撃の意義と限界の両方を考察した上で、これを日本の戦略として検討するためには、敵地攻撃能力で達成すべき戦略的目標を明確にし、適切な組み合わせ方を模索することが重要であると論じています。

この論文では一般的に考えられる戦略的目標として次の三つが挙げられています。
(1)弾道ミサイル発射後に相手の政経中枢に報復を加える報復的抑止
(2)第一撃による相手の弾道ミサイル攻撃能力の破壊
(2)弾道ミサイルに対する防衛システムの一要素として発射前迎撃

著者は(1)に関しては相手国に対都市攻撃を加える選択肢であるため、少なくとも現行の専守防衛の解釈から最も大きく逸脱する恐れがあり、また実効性を確保するためには核兵器の整備が必要になると説明しています(同上、115頁)。
もし通常兵器で対都市攻撃が可能なだけの威力を確保できたとしても、結果として相手が核兵器を使用する危険が考えられるため、それを抑止するために核武装の必要が出てきます(同上)。

さらに(2)の選択肢においては、我が国が先制攻撃で相手国のミサイル発射装置を完全に破壊できなければ、残存したミサイルで攻撃を加えられる危険があること、もし完全に破壊できるだけの高度な攻撃的能力を保有することで、かえって相手国に先制第一撃を発動することを促進する恐れがあると考えられるため、結果として危機的状況における安定性を損なうことにも繋がりかねません(同上、116頁)。

最後の(3)は、敵地攻撃と迎撃を組み合わせて弾道ミサイルに対抗することであり、「制圧効果を発揮して相手の行動をせいやくして飛来する弾道ミサイルの数を減らすこと、攻撃作戦を反復することで相手のミサイルランチャーに消耗を強いることである」と述べられています(同上)。
こうして発射される前に弾道ミサイルの数を制限することができれば、より確実に迎撃することが期待されるのです。

もし日本が敵地攻撃能力を取得すれば、それだけ戦略上の選択肢は拡大します。しかし、ここで著者が示しているように、その能力を何のために使用するのかという問題が重要となります。
この論点に関しては、国民全体で十分に議論しておき、戦略上の考え方として整理しておくべきでしょう。

むすびにかえて
この論文で著者が目指しているのは、専守防衛の姿勢を維持した上で、敵地攻撃能力の問題に関する議論を発展させるための足掛かりとなる議論を提出することです。
つまり、どのような戦略が最も日本にとって適切なのかという判断を下しているわけでは必ずしもありません。

ただし、著者は日本が敵地攻撃にまで踏み込んだ戦力を整備するためには、米軍との連携についてより詳細な検討を進める必要があるという点に関しては強調しています。
「このような形で敵地攻撃を追求するには、これまでと比べてはるかに密接な日米防衛協力に基づいた役割分担を行う必要がある。ところが、これまでの憲法解釈上、敵地攻撃は「他に適当な手段がない場合」に限定されており、米軍は「他の適当な手段」に含まれるとされているわけだから、このような形で日米が協力して敵地攻撃に当たる場合にはこれまでの解釈との整合性を検討する必要があろう。それらの問題を整理できれば、日米が共同して対弾道ミサイル脅威に備えた敵地攻撃作戦の役割分担が定められていくことが可能になる」(同上、119頁)
また、著者はこのような敵地攻撃における日米防衛協力を推進する際には、弾道ミサイル脅威への対処だけに限らず、より広い協力関係に発展させることも視野に入れるべきとも論じています(同上)。

全般として著者は、日本が直ちに攻撃的能力の整備を加速させるべきとは考えておらず、より慎重な検討が求められるという立場に立っています(同上)。
しかし、安全保障で必要な能力はその時の状況によって刻々と変化するものです。従来の日本の防衛体制についても攻撃的能力の是非という基本問題にまで立ち戻って議論することも、今後はますます重要になってくることでしょう。

KT