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2017年4月27日木曜日

文献紹介 第一次世界大戦の心理戦と移民コミュニティーの宣伝活動

L'exécution des notables de Blégny, 1914
近年、欧米諸国では移民の流入が大きな問題となっており、安全保障に対する移民の影響を考察する研究も増加する傾向にあります。

そうした研究動向を受けて、移民コミュニティーが母国のために外国で活発な宣伝活動を展開していたことも検討されるようになり、これを心理作戦(psychological warfare)、特に宣伝(propaganda)の観点で考察する研究者も出てきました。

今回は、第一次世界大戦の最中に米国でドイツ系移民コミュニティーが民間レベルでどのような世論工作に取り組んでいたのかを心理戦の視点から検討した研究を紹介したいと思います。

文献紹介
Chad R. Fulwider. 2016. German Propaganda and US Neutrality in World War I. Columbus, MO: University of Missouri Press.

米国におけるドイツ系移民コミュニティー
1872年に実施された調査でドイツ系の移民が居住する地域の分布を示した米国東海岸の地図
The Statistics of the Population of the United States, Compiled from the Original Returns of the Ninth Census, 1872. Perry-Castañeda Library Map Collection.
本書は不特定多数の大衆に対する心理作戦の歴史を取り扱ったものであり、世論工作がその中心を占めています。

第一次世界大戦で米国の世論を操作するために、ドイツ系の移民コミュニティーがドイツ政府の情報戦略とどのように結びついていたのかという課題に著者は取り組みました。

当時の時代背景を説明しておくと、第一次世界大戦が勃発した時点で米国には大規模なドイツ系移民のコミュニティーがすでに形成されていました。

ドイツでは19世紀後半から国内で維持し切れない余剰人口がますます大きくなり、政府批判の傾向を強めていたため、米国に限らず外国にドイツ人が移り住むようになっていたためです。

ドイツからの移民は現地の社会に同化するより、独自の言語、宗教、文化を維持するためのコミュニティーを形成する道を選びました。

米国のドイツ人コミュニティーは特に人口規模が大きかったこともあり、何百ものドイツ語新聞を発行していただけでなく、ドイツ語を話すルター派教会で組織化されており、地方自治体の選挙で大きな影響力を持っていたのです。

ドイツ系メディアの心理作戦の始まり
「ベルギー強姦事件」をモチーフにした戦時国債の販売促進のために作成されたポスター
Ellsworth Young. 1918. Remember Belgium, buy Bonds fourth liberty loan.
ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ人の移民コミュニティーは情報発信に乗り出しました。

それまでドイツ語だけで発信していたドイツ系メディアが英語での情報発信を行うようになり、本格的な世論工作に乗り出したのです。

ドイツ系メディアがこうした世論工作に乗り出すきっかけとなったのは、ドイツと敵対していたイギリスが「残酷宣伝(atrocity propaganda)」を成功させ、多くの米国の主流派に影響を及ぼしていたためであった、と著者は考察しています。

当時、ドイツと敵対していたイギリスの宣伝で軸足が置かれていたのは、ドイツ軍の行動を道徳的に貶めることでした。

第一次世界大戦でドイツ軍が実施したベルギー侵攻において、多数の女性に対する性的暴行を受けたという疑惑、いわゆる「ベルギーの強姦事件」と呼ばれる疑惑をイギリス側は米国に向けて効果的に宣伝していました。(ちなみに、この事件については最近では単なるイギリス側の宣伝ではなく、本当にあった事件だったと見直す研究も出てきています)

事の真偽は別として、著者はイギリスの宣伝活動は、「残酷宣伝」という新たな情報戦略の領域を確立する意味において画期的なものであったと評価されています。

つまり敵国が道徳的に残酷な存在であると宣伝することによって、中立国を参戦させる方法がとられたということです。

こうしたイギリス側メディアの宣伝が米国で勢いを増す中、こうした主張の多くが間違ったものであると批判する目的で、ドイツ系の移民は英語で対抗宣伝を始める必要に直面しました。

ただし著者の調査によると、ドイツ系メディアは扇動的な大衆紙的コンテンツを発信することは避けようとしたため、宣伝が多くの国民に届きにくい問題があったと指摘されています。

心理作戦としての成功と失敗
ニューヨーク港から出港するルシタニア、ドイツ大使館は新聞広告で事前にイギリス籍の船舶は攻撃対象となり、その危険は各個人が負うことになる危険があることを述べていた。N. W. Penfield. 1907. RMS Lusitania at end of record voyage.
メディア戦略の問題から、ドイツ系の移民コミュニティーは所望の成果を上げることができずにいましたが、次第に米国国内のイギリスに対する反発を強める手法を見出していきます。

その一つの転機となったのが、イギリス海軍による海上封鎖でした。

イギリスがドイツに対して行った海上封鎖はイギリス海軍の対ドイツ戦略の一環でしたが、その法的根拠は曖昧なままになっていました。

また、ドイツに対する海上封鎖はオランダに対する米国の貿易も妨害していたため、米国はイギリスに対して不満を募らせていたのです。

当時の米国大統領ウッドロー・ウィルソンは、この問題について懸念を示し始めており、それに便乗してドイツ系メディアは米国国内の親英世論の減退を図る宣伝を展開していきました。

大きな反響があったドイツ側の宣伝の一例として著者が紹介したのが、ハーヴァード大学の心理学者ヒューゴー・ミュンスターバーグ(Hugo Münsterberg)が寄稿した記事です。

ミュンスターバーグは米国の心理学者ウィリアム・ジェームズ(William James)と交流があったドイツ人の研究者であり、1897年からハーヴァード大学の教授に就任し、米国心理学会会長も務める心理学の権威だったのですが、たびたび親ドイツ的な発言を行っていることでも知られていました。

ミュンスターバーグの記事では、イギリス政府が1,000万米ドルの寄付を行うこととの引き換えに、ハーヴァード大学がミュンスターバーグを解任するように要求し、これを大学側が拒否した経緯が明らかにされました。

これはイギリス政府がアメリカの大学人事に対して介入した事例として世論に受け止められ、イギリス人に対する幅広い反発が米国で高まることになったのです。

これはドイツ系メディアの成果でしたが、こうした宣伝努力も1915年5月に起きたイギリス船籍の客船ルシタニア撃沈事件によって決定的打撃を受けてしまいました。

著者はこの事件で多数の米国民間人が犠牲になったこと、そして何よりも撃沈の原因がドイツ海軍の潜水艦による無制限通商破壊作戦であった、米国における反ドイツ世論が多数派を占めることに繋がりました。

間もなくウィルソン大統領がこの事件に対してドイツ政府に正式の抗議を申し入れ、英独関係は悪化の方向に向かったのです。

この時点でドイツ政府は無制限潜水艦作戦を中止する選択肢もあったのですが、1917年には戦略上の必要から作戦が再開されてしまい、米国のドイツに対する反発はさらに強まる結果となりました。

ここで米国におけるドイツ側の世論工作の試みは完全に頓挫することになってしまいました。

むすびにかえて
この研究は必ずしもドイツ系アメリカ人全体の意見や発言を踏まえたものではなく、焦点はあくまでも第一次世界大戦で米国国内のドイツ系移民コミュニティーという民間レベルで遂行されていた世論工作を調査することにあります。

したがって、当時のドイツ系移民の誰もがこうした宣伝活動に関与していたわけではない点に注意する必要があるでしょう。

この研究で興味深いのはドイツによる通商破壊が米国国内における心理作戦に与えた負の影響です。

あらゆる軍事行動には心理的影響が付きまといますが、戦略の観点から心理的影響を適切に管理することができないと、思いがけない逆効果を引き起こしかねません。

米国のような大国の局外中立を維持するために、世論工作は重要な意味を持っていましたが、ドイツ本国の戦争指導では、米国におけるドイツ系メディアの宣伝努力を重視しておらず、あくまでも軍事的効果に力点を置いていたように思われます。

反対にイギリス政府は戦争指導における心理戦の重要性をよく認識しており、それを最大限に活用していました。「ベルギー強姦事件」をはじめとするイギリスの「残酷宣伝」は米国で世論を動かす上で重要なテクニックであり、その後の情報戦略、心理戦においても繰り返し使用されることになりました。

ただし、その手法があまりに強引なものだと、ハーヴァード大学に対するミュンスターバーグの解任要求が後に暴露されてドイツ系メディアに利用されたように、かえって悪印象を広めることにもなりかねないことも、情報戦略としての重要な教訓と言えるでしょう。

KT

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