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2017年7月27日木曜日

学説紹介 現存艦隊(fleet in being)とは何か

戦略はその達成目標の内容が積極的なものか、消極的なものかによって攻勢と防勢に分類できます。

海軍戦略においても攻勢的なものと防勢的なものがあると考えられていますが、海軍の研究者は防勢作戦について現存艦隊(fleet in being)という概念を中心に議論してきました。

今回は、イギリスの研究者ジュリアン・コーベットの解説に依拠しつつ、現存艦隊の原則がどのようなものであるかを紹介したいと思います。

現存艦隊は何を意味するのか
イギリスの研究者ジュリアン・コーベット(Julian Corbett 1854 - 1922)『海洋戦略の諸原則』等の業績で知られている。
そもそも海軍の作戦において防勢というものがどのようなものかという点から考えてみましょう。コーベットは次のように述べています。
「海上での主たる概念は、状況が私たちに有利に展開するまで艦隊を現存させておくよう、戦略的ないし戦術的活動によって決戦を避けることである。私たちの海軍の黄金時代には、海軍防衛の基本方針は機動性であって急速ではなかった。その考えは、攪乱作戦により管制を争うこと、私たちが好機だと思う時と場所で管制を行使するのを行使すること、そして敵の注意を常に引くことで優位に立っているにもかかわらず敵が管制を行使するのを阻止することだった」(コーベット『海洋戦略の諸原則』319頁)
要するに、海上作戦における防勢は陸上作戦の防勢とは異なり、陣地に立てこもって戦うことを意味しません。重要なのは敵主力との決戦を避ける機動であり、断続的に敵の海上交通を脅かすことです。

これはゲリラ戦の様相に似ているともいえるかもしれません。コーベット自身も「もちろん、陸上ではこうした防衛手段も良く知られているが、通常の作戦よりはゲリラ戦争に属している」と述べています(同上)。

したがって、「現存艦隊」とは単純に受け身に回る作戦として理解すべきではありません。現存艦隊はこうした海上での防勢を効果的に遂行するため、機動的かつ遊撃的に行動する戦略思想であり、イギリス人は古くからこれを実践してきました。

ウィリアム王戦争におけるイギリスの現存艦隊
初代トリントン伯爵ハーバート(Arthur Herbert, 1647 - 1716)の肖像画、「現存艦隊」の提唱者として知られている。Portrait by John Closterman of Arthur Herbert, 1st Earl of Torrington, British admiral and politician.
コーベットは海軍が戦略的防勢を実施することはできないとする見方が一部にあることを批判した上で、海軍が防勢戦略を成功させてきた歴史をよく研究すべきだと促しています(同上、316-7頁)。

その具体例として取り上げられているのはウィリアム王戦争(1689-97)ですが、ここではその要点だけを紹介しておきます(同上、321-324)。

1690年6月13日にフランス艦隊70隻がブレストから出撃し、イングランド南岸に位置するワイト島の沖合でイギリス艦隊56隻と接触しました(同上、323頁)。

当時、イギリス艦隊を指揮していたトリントン卿は、眼前に出現した敵艦隊の方が優勢だと判断すると予定を変更し、エセックス海岸の沖合まで後退してでも、戦闘を回避することを決心します(同上)。

当時の政府はトリントンの決定の意味が理解できず、閣僚の一人ノッティンガム伯は「それでは艦隊は維持できるかもしれないが、それ以外のすべてを破壊に晒すことになる」と不満を述べました(同上、325-6頁)。

しかし、当時の戦略環境をよく把握していたトリントンは、間もなく到着するであろうオランダ海軍の来援を待ってからフランス艦隊と交戦すべきだと判断し、当面の間はフランス艦隊の監視と追跡に徹したのです(同上、326-8頁)。
「船が扱いにくく艦隊戦術がまだ初期の段階だったトリントンとトゥールヴィルの時代には、覚悟を決めた敵が一度接触すると、退却する港が開かれていない限り、交戦を避けることの困難は間違いなく大きなものだった。しかし、海戦術が発展するにつれて、「現存艦隊」の可能性は、少なくともイギリス海軍では、ずっと大きいと見なされた」(同上、331頁)
ちなみに、海上戦闘の特性については現代においても「戦闘は即決戦となり、その結果は完全な勝利か壊滅的敗北化のAll or Nothingとなる特徴がある」と指摘されており、相応の勝算を持っていなければ海上戦闘は行うべきではないという原則は今でも変わっていません(平間、183頁)。

当時、トリントンがとった戦略は現存艦隊の原型として位置付けることができるものでした。
結局フランス艦隊はドーバーまで進撃しますが、決戦を避けるイギリス艦隊を捕捉することが難しく、思い描いた勝利を収めることができないまま退きました。

トリントンの戦略はフランス艦隊は優勢な戦力を有効に活用し、戦果を上げることを防ぐことに成功したといえます。

むすびにかえて
トリントンが定式化し、また実践してみせた現存艦隊という戦略思想は、その後のイギリス海軍にも受け継がれることになり、優勢な敵に対して制海権を渡すことを防ぐために活用されることになります。

現存艦隊の考え方はやや馴染みが薄いかもしれませんが、必ずしも完全に受け身の戦略ではなく、あくまでも時間的猶予を獲得したり、敵の戦闘力を消耗させる狙いで行われるものであり、その意味では弱者の戦略ともいえるかもしれません。

劣勢の戦力でもって優勢な戦力の企図を挫くという発想は、専守防衛を掲げる現在の日本の戦略にとっても参考になるところが少なくなく、例えば東アジア地域において潜水艦作戦や機雷戦、地対艦ミサイルなどの手段を駆使した場合、現存艦隊の構想はどのような中身を持ち得るのかなどは興味深い論点だと思います。

KT

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参考文献
ジュリアン・スタフォード・コーベット『海洋戦略の諸原則』矢吹啓訳、原書房、2016年
平間洋一「現代の海上戦力」防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』かや書房、1999年、176-94頁

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