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2017年9月15日金曜日

論文紹介 冷戦初期の米国の東アジア戦略と日本の防衛力

第二次世界大戦に敗れた日本は、東西冷戦の時代に入ると米国が指導する西側陣営の一員となり、また米軍の極東戦略の中に位置付けられるようになっていきました。

しかし1945年で軍備を全面的に失った日本にどのような軍備を持たせるべきか、米軍との役割分担をどのようにすべきかという点については、米国の内部でもさまざまな議論があり、それによってその後の日本の再軍備のあり方が大きく規定されることになったと言えます。

今回は、冷戦初期において米国が自らの戦略に日本の防衛力をどのように位置付けていたのかを歴史的に検討した研究を紹介したいと思います。

文献情報
石田京吾「戦後日本の海上防衛力整備(1948 ~ 52 年)―海上防衛における日米の役割分担の起源―」『戦史研究年報』第 9 号(2006 年 3月)97-110頁

西側の陣営に組み入れる対日政策の転換
月刊沖縄社「東京占領」GHQが置かれた第一生命館
占領統治が始まった直後、GHQは敵国だった日本を完全に武装解除し、軍事的に無力化することを重要な目標としていました。

しかし、米国とソ連との間で東西冷戦が本格化すると、米国で日本の利用価値を再評価する動きが出てきます。

つまり、軍事的に無力化するよりも、共産主義陣営の脅威に対抗する上で日本の経済的、軍事的能力を利用した方が米国の国益に適うと考えるようになっていったのです。
「1947年5月、国務相にPPS(Policy Planning Staff: 政策企画室)が新設され、その室長としてケナン(George F. Kennan)が就任し、冷戦政策の企画立案を担当した。(中略)ケナンは欧州や日本が経済的困難に起因する国内政治の不安定化により共産化していくことを危惧し、自由主義世界の政治的、経済的安定を重視した。そして日本を「封じ込め政策」の成否を決める重要な地域の一つと見なしていた」(石田 99-100頁)
さらに同時期に行われたCIAの情勢判断においても「極東におけるアメリカの現在の地位を保つためには、地域の重要なエリア、特に日本に対するソ連の覇権を拒否することが必要である」と著者は紹介しています(同上、100頁)。

こうして日本は米国の対ソ戦略の新たな要素として位置付けられるようになりました。

とはいっても、この時点での米国の懸念は極東ソ連軍による対日攻撃ではなく、日本国内で政治工作に従事する親ソ派の日本人の動きにありました。GHQはまずは現地で治安維持に当たる警察力を整えることを優先し、海上戦力に関しては沿岸警備能力程度に限定する方針を決定します(同上、101頁)。

このことは、米国が対ソ戦略における日本の重要性を認識した後でさえ、すぐには防衛力の本格的な整備に着手しようとしなかったことを表しています。しかし、このGHQの姿勢も1950年になると変わっていきました。

朝鮮戦争で促された日本の再軍備
朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮軍を圧迫して釜山に迫ったが、米軍の来援で退却を余儀なくされた。しかし、その後も中国軍の介入があり、朝鮮戦争は長期化の様相を呈することになる。
U.S. Navy. Seoul Battle, Korean War
1950年に勃発した朝鮮戦争で、最も大きな影響を受けたのは日本に駐留していた在日米軍部隊でした。

それまで日本の占領に当たっていた部隊が朝鮮半島に逐次投入されると、GHQは日本国内の治安維持に当たることが難しくなり、日本政府に警察予備隊の創設と海上保安庁の増員を命令します(同上、102-3頁)。韓国に米軍が到着した後も朝鮮戦争の戦局は一進一退が続き、東アジアの戦略環境は急激に不安定化していました。

1951年5月17日、米国は軍事的手段による封じ込めを東アジアにも適用する方針を決定することを正式に決定し、「日本に関して、国内治安と外部からの侵略に対する防衛能力を維持し、極東の安全及び安定に貢献できる能力を持つ、アメリカに友好的な自立した国家になることを支援する」という方針の下で日本の再軍備を促すことになりました(同上、105頁)。

再軍備を進めるためには憲法の問題があることは米国もよく承知していたのですが、それについては「日本の防衛のために軍事力の保有を認めるように憲法は改正されるであろう」と予測していました(同上、106頁)。
しかし、その後も長らく日本で憲法問題が議論されることになりました。

いずれにせよ、東アジア情勢が急速に展開していく中で、米国は対日政策の再検討を進め、やがて外敵の侵略に対して日本も米国と共同で対処させるという方針が現れてきます。

1951年末に統合戦略計画委員会が示した文書を踏まえて、著者は次のように論じています。
「JCS1380/127では、事態の対処について、それまでの海空兵力についてはアメリカと他の同盟国が提供するので、日本は海空兵力を考慮する必要はないという考え方に代わって、日本とアメリカが「共同および協力」して外部からの侵略に対処するという新たな考え方が提示されたのである。つまり、アメリカの政策文書に初めて日本の防衛力の任務が明示されたのであり、日米共同による外部侵略への対処、言い換えれば外部からの侵略に対処する際の、日米の「役割分担」の考え方が提示されたのである」(同上、107頁)
これは日米関係の歴史において画期的なことでした。
それまで日本に認められていたのは、治安維持に当たる警察力の延長に過ぎなかったのですが、この米国の役割分担の考え方は対外戦争への対処を想定するものに変化していたためです。

さらに統合戦略計画委員会は日本の軍備については「適正な海上・航空兵力と併せた陸上兵力19個師団」という整備目標が妥当だとも示しており、日本の防衛力の規模についても具体的な議論が始まることになります(同上、108頁)。

日本に攻撃能力を持たせない米国の思惑
ジョージ・ケナン、外交官としてソ連に対する封じ込めを主張し、冷戦期における米国の対外政策の指針に大きな影響を及ぼしたことで知られている。
しかし、日本海軍を復活させる恐れを米国の政策決定者は決して忘れてはいませんでした。日本の再軍備を促進するとしても、日本が米国に敵対できないような措置を講じておくことが必要だと考えられていたのです。

この点について著者は当時の国務長官代理と駐日大使とのやりとりを紹介しているのですが、そこでは新たな日本の海上防衛力は「対潜海軍が望ましい」と述べられており(同上)、その理由として「対潜戦を任務とするような、明らかに防衛的な艦艇は日本の潜在的な侵略能力の再現について日本国外の危惧を掻き立てることはありそうもないであろう」と説明されています(同上頁)

つまり、日本の海上戦力から攻撃機能を事前に除外しておけば、米国としては日本を無力化できるし、同時に米国の東アジア戦略のために日本を利用することもできると考えられていたのです。

むすびにかえて
著者がこの論文で明らかにしているように、日米関係の歴史は米国の占領行政の延長線上に発展し、日本の防衛力の規模や内容は米国の戦略によって強く規定されていました。

少なくとも朝鮮戦争前後の日本の防衛体制のあり方は、当時の米国の対日政策によって非常に大きな影響を受けていたということが言えるでしょう。

また第二次世界大戦の経験がまだ昨日のことのように思い出される時期において、米国政府がこうした対日政策をとったことは十分理解できることですし、ソ連を封じ込めるという米国の対外政策としても妥当性があったと思われます。

無論、日本も米国の援助を利用できたことには、少なからず利益がありました。
米国が自国の国益を追求するため日本を利用し、また日本も米国の支持を利用して防衛力を再構築していったのです。

KT

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資料
冒頭写真:毎日新聞社「昭和史第14巻 講和・独立」保安隊創立記念式典