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2018年1月24日水曜日

学説紹介 ラッツェルの政治地理学と空間運動(räumliche bewegung)

国家は成立すると同時に領土の占有を行い、そこに住む人々の生活を法令、課税などの方法で統制を加えます。
この地理的範囲は決して固定的なものではなく、時間の経過によって大きくなることもあれば、小さくなることもあります。

政治地理学の研究で国家の空間支配がどのように変化するかを考察することは重要な問題です。今回は地理学者ラッツェル(Friedrich Ratzel)がこの問題についてどのように考えていたのか、その見解に対して研究者からどのような批判が加えられたのかを簡単に紹介してみましょう。

国家とは空間運動を行う有機体である

ロシア(地図上部)と英領インド(地図下部)に挟まれた位置関係にあるアフガニスタンだが、ロシアが南に向かう空間運動を加え、それに対抗するイギリスと両国から圧力を加えられる位置関係にある。
(Ratzel 1897: 111)
ラッツェルは国家を有機体の一種として捉えるべきと主張したことで知られています。つまり、ラッツェルにとって国家は他の有機体と同じように増大し、成長し、移動する存在なのです。

この移動する国家という考え方から空間運動(räumliche bewegung)という概念が導かれているのですが、これは国家が空間的に支配を及ぼしている領土が拡大し、また縮小するプロセス全体のことを指しています。

ラッツェルはこの空間運動が歴史上、広く認められる事象であり、特に対抗となる国家は空間的拡大を志向することには法則性があると主張しました(Ratzel 1897: 154)。

さらにラッツェルは大国が空間運動を起こす際に選択する方向に地理的なパターンがあると考察し、自然障害が国境形成に与える影響にも規則性があるのではないかという議論を展開しています。

例えばラッツェルは河川のことを政治的方向線(politische richtungslinien)と呼んだのですが、これは河川が海上、内陸の両方を結ぶ重要な交通路であり、国家の歴史を振り返っても河川に沿って空間運動をとった事例が多く見られることが理由とされています(Ibid.: 529)。

また、ラッツェルは文献で地理的地平線(der geographische Horizont)という用語を使っているのですが(Ibid.: 159)、これは国家が空間運動で支配する地域の限界のことです。
平原のような地形であれば、地理的地平線は前に向かって推進しやすいのですが、山脈や沿岸に達すると推進力は弱まるため、山地は政治的に境界地帯となりやすい地域だと言えます(Ibid.)。

強い批判を受けたラッツェルの学説

ウィットフォーゲルはナチス・ドイツから米国に移り住んだ歴史学者であり、中国の研究で知られている。彼が提唱した征服王朝という概念は中国史における周辺民族の位置付けを見直すことに寄与した。政治地理学では環境決定論に反対したことでも知られている。
ラッツェルは各国がそれぞれ空間運動を展開し、それらが相互に干渉し合う地域で政治的境界が発生してくると考えました。
このラッツェルの観点から地図を眺めると、無数にある国境がいずれも各国の空間運動がぶつかり合った結果として形成されたものとして分析することができるようになります。

ただ、このラッツェルの見方は行き過ぎた環境決定論ではないかという疑問が出されることになりました。
有機体として国家を位置付け、その空間運動に一貫した法則性を見出そうとしたラッツェルの姿勢は、地理が政治に及ぼす影響をあまりにも直接的に関連付けているのではないかと疑問を持たれたのです。
ドイツ出身の歴史学者のウィットフォーゲル(Karl August Wittfogel)はラッツェルの学説が行き過ぎた決定論と見なして特に強く批判したことで知られています。

こうした批判が出たことで、法則性を強調する環境決定論から距離を置いた環境可能論と呼ばれる立場が登場しました。
これは自然環境が人間社会のあり方を一方的に規定するのではなく、あくまでも可能性を与えているに過ぎないという立場に基づく説であり、フランスの地理学者として有名なブラーシュ(Paul Vidal de la Blache)もこの潮流に属しています。

むすびにかえて

現代の研究ではラッツェルが空間運動の法則を文字通りの「法則」として分析するよりも、彼の思想の一部として分析することの方が一般的になっていると言えるでしょう。

しかし、政治地理学でラッツェルの業績が完全に忘れ去られたわけではありません。
少なくとも、政治地理学の学説史においてラッツェルが残した著作は古典的な地位を占めていると言えるでしょう。
アフガニスタンや朝鮮半島など、歴史の中で何度も戦争が繰り返される地域がある地理的理由を考える上で、ラッツェルの分析には参考になるところが多いと思います。

KT

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参考文献
Ratzel, F. Politische Geographie, München, R. Oldernbourg, 1897.