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2018年5月19日土曜日

学説紹介 攻勢を好まなかったフリードリヒ二世の戦略思想

フリードリヒ二世はプロイセン王国の国王であり、またナポレオンが軍人として最も高く評価した戦略家の一人でもあります。

18世紀のヨーロッパを揺るがす七年戦争でプロイセンがフランス、オーストリア、ロシアを同時に敵に回しながら、有利な講和を結ぶことができたのは、彼の采配によるところが大きいと言えます。

今回は、そんなフリードリヒが攻勢に慎重だったことに注目し、彼がどのような戦略思想の持主だったのかを考察したパーマーの研究を紹介したいと思います。

軍事学の著作を数多く残しているフリードリヒ二世

パーマーは長年にわたって近世ヨーロッパの戦争を研究してきた歴史学者ですが、フリードリは近代的戦争を研究することを迫られた最初の世代だったと位置付けています(邦訳、パーマー、85頁)。

つまり、18世紀までの戦争形態を踏まえつつも、新時代の戦争形態に適応する必要に直面したのがフリードリヒであり、その時の対応によって彼は軍事史に名を残すことになったのです。

フリードリヒは国王として政務をとるかたわら、学問に対して深い関心を持ち続け、広い知識をもって研究に取り組んでいました。

彼の軍事学の研究水準は驚くべきものがあり、日々の政務をこなしながら自らの研究成果を著作として残すことに力を尽くしています。

1746年に書かれた『戦争の一般原則』では、オーストリア継承戦争(1740-8)でフリードリヒがプロイセン軍を率いてオーストリア軍と戦った際の経験に基づき、戦争術の原則がまとめられています(同上、86頁)。

パーマーによれば、この著作を回覧することを通じてフリードリヒは部下の指揮能力の向上を目指していたようです(同上)。

当初、この著作はプロイセンの軍事秘密とされていましたが、フランス軍の捕虜になった一将軍の所持品にこの著作が含まれていたことで知られるようになりました。

フリードリヒは1752年に後継者に向けて書いた著作『政治的遺言』でこの『戦争の一般原則』を収録していますが、七年戦争(1756-1763)が終わった後の1768年に『軍事的遺言』を後継者のために書き、また将軍に向けて1771年に『布陣と戦術の基礎原理』を出版しています(同上)。

パーマーはこうした著作の特徴を全体的に判断すると、軍隊の組織や戦術に関する思想は一貫しているが、政策、戦略に関する思想は「明確な積極性から相対的に消極的な思想に変化している」として指摘しています(同上)。

つまり、もともと積極的に戦闘を挑む攻撃的な思想を持っていたフリードリヒは、戦争の経験をつみ、独自の研究を進める中で、戦闘に慎重な姿勢をとる防勢的な戦略思想に傾倒していったということです。

しかし、なぜこのような思想の変化が起きたのでしょうか。

18世紀の軍事情勢における「電撃戦」の限界

パーマーはフリードリヒが戦略問題に対する考え方を大きく変え、戦闘に消極的になった理由として、攻勢をとる戦略の限界を早期に認識していたことが背景にあると考えています。
「『戦争の一般原則』の中では、彼は電撃戦という言葉こそ使っていないが、電撃戦の戦略を求めていたことがわかる。(中略)しかし、この果敢な作戦を彼に取らせた理由と、後年しだいに用心深くなった理由がほとんど同じことは注目に値する。彼は長期戦がプロイセン軍の「誇るべき軍紀」を破壊するであろう、と述べた。迅速な短期戦を好むことと、戦争をまったくしないか、または人と物の消耗の少ない長期戦を好むこととの間にはあまり大きな違いはない」(同上、91頁)
つまり、フリードリヒは戦争による国力の消耗を最小限に抑制することを最優先に考えており、そのために攻勢から防勢を重んじるようになっていたったということです。

フリードリヒが統治するプロイセンの国家体制はまだ長期的な財政赤字に耐え得るほど近代化されていませんでした。
戦争の経費の多くは平時から積み立てられた予備金で賄われているに過ぎず、戦時国債を発行して国内から資金を調達できるメカニズムも整っていなかったのです。

とはいえ、戦費の調達の難しさだけを理由にすれば、速戦即決を目指す攻勢と犠牲の少ない防勢のどちらも同じ価値を持つことになります。
フリードリヒが防勢を志向したことには軍事的要因も関係していました。当時、戦場における砲兵の役割がこの時期に著しく増大していたのです。
「16世紀から20世紀に至る時期の中で18世紀の中頃は、砲兵の使用が他の兵科に比して著しく急速に増えた次期である。オーストリア軍は屈辱的にもシレジアを失った後、フリードリヒの機動縦隊の脅威に対応するため、とくに砲兵に頼った。フランスはヨーロッパ最も進んだ砲兵を擁していた。フリードリヒはしばしばこのような状況を残念がった。大国のなかではプロイセンが砲兵の増加競争を行う財力に最も欠けていた」(同上、90頁)
戦闘で使用される火力が増したことで、戦場における攻者の優位が低下するという事象は、第一次世界大戦の序盤に起きたことを我々に思い起こさせます。

もし当時のプロイセン軍が無暗に攻勢戦略を取り続け、積極的に敵との戦闘を欲すれば、勝利を収めることができたとしても、損害は国家財政に重くのしかかり、戦争の継続そのものが不可能となる危険がありました。

積極的防御に磨きをかけたプロイセン軍の戦略

七年戦争に参戦した交戦国が色分けされている世界地図。青色がプロイセンに加わった味方の陣営(イギリス、プロイセンなど)であり、緑色が敵対する敵対陣営(フランス、オーストリア、ロシア、スペインなど)である。ヨーロッパでプロイセンは孤立し、厳しい戦略環境に置かれていることが分かる。
フリードリヒの戦略思想が攻撃よりも防御を重視したことが、当時のプロイセンの置かれた軍事情勢にとってどれほど妥当性を持っていたのかを考えてみましょう。

フリードリヒは当初からオーストリア継承戦争、七年戦争でオーストリアから奪い取ったシュレジエンという地方の確保を政策目標として設定しました。

オーストリア継承戦争ではフランスが味方についてくれましたが、やがてオーストリアはフランス敵視の態度を改め、フランス、ロシアと手を結んでプロイセンをヨーロッパ大陸で外交的に孤立させています。

かろうじてイギリスだけはプロイセンの味方でしたが、ヨーロッパ大陸の中で政治的、戦略的に孤立し、三方から圧力を受けたプロイセンが軍事的に極めて劣勢なことは明らかでした。

フリードリヒは七年戦争に参戦すると同時に敵を先制しますが、その後は先ほど説明した戦略思想に基づいて防勢の姿勢に転じなければなりませんでした。

とはいえ、陣地に閉じこもり、敵に対して受動に回っているばかりでは、かえって危険であることもフリードリヒは経験からよく知っていました。パーマーは次のような彼の言葉を引用しています。
「指揮官がまったく先制しようとせず、会戦の間中何の活動もしなかったのに、防御戦を良く戦ったと考えたとしたら、それは自己欺瞞である。そのような防勢作戦では、結局は守ろうとしている国土から全軍が駆逐されることになるであろう」(同上、93頁)
フリードリヒは政治的、軍事的理由から防勢戦略を採用しましたが、専守防御の危険性を認識していたため、要塞を基地とする分遣隊が限定的な攻撃を仕掛ける必要があることを主張していたのです。

フリードリヒは一貫して戦争における奇襲の意義を強調し続け、七年戦争が終わってからもザクセンやボヘミアに対して迅速に軍事行動をとることができるように準備を行っていたことも興味深い点として指摘できます(同上)。

戦略レベルで防勢の姿勢をとるとしても、作戦レベル、戦術レベルにおいては攻撃の機会を最大限に活用すべきであり、この一件相反する両者を組み合わせることによって、フリードリヒはプロイセンの防衛を成し遂げていたのです。

むすびにかえて

まずフリードリヒは砲兵火力がますます大きくなる中で、ますます戦闘による消耗が拡大する可能性があると判断し、プロイセンにはその損害を回復させるだけの資金力が欠けている事情も考慮した上で、防勢戦略を発展させる道を選びました。

これは七年戦争で外交的に孤立したプロイセンが戦争を可能な限り長く継続する際に重要な意味を持つ選択でした。
プロイセン軍は状況が許す範囲で積極的、攻撃的な行動をとることもありましたが、一貫して堅固な陣地に依拠しながら防勢作戦を遂行することで長期間にわたる戦争に耐え抜いたのです。

フリードリヒは研究熱心な君主であり、次第に激しさが増してくる18世紀の戦争の形態をよく理解し、それがプロイセンの政治情勢、軍事情勢にどのような影響を及ぼすのか、その中でどのような戦略方針を重視すべきかをよく研究していました。

もしフリードリヒがそうした事柄に無関心で、当初の攻勢的戦略思想から脱却していなければ、プロイセン軍がどれほど精強であったとしても、当時の大国であるオーストリアとフランスを同時に敵に回しながら自国を防衛することは厳しかっただろうと思います。

KT

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参考文献
R. R. パーマー「王朝戦争から国民戦争へ:フリードリヒ二世、ギベール、ビューロー」ピーター・パレット『現代戦略思想の系譜 マキャヴェリから核時代まで』防衛大学校・「戦争・戦略の変遷」研究会訳、ダイヤモンド社、1989年、81-107頁

2018年5月18日金曜日

論文紹介 日本は日米同盟にどこまで頼るべきか―連合エアシー・バトル構想を考える―

中国の軍事的台頭に対して日本としては米国との同盟を強化することで対応しようとしていますが、米軍に依存するのではなく、必要な範囲で自衛隊の能力を高め、日米共同作戦を遂行する体制を整えることも重要だと論じられてきました。

しかし、中国軍の脅威に対して日米の防衛協力体制をどのように構築すべきかについては検討すべき課題が多く残されており、専門家の間でもさまざまな意見が分かれています。

今回は、こうした課題を考える一助として、日米防衛協力をさらに推し進めることを構想する連合エアシー・バトルの議論を取り上げ、その内容について若干の批判を付したいと思います。

文献情報
Takahashi, Sugio. 2012. "Counter A2/AD in Japan-US Defense Cooperation: Toward 'Allied AirSea Battle'," Project 2049 Institute, Washington, D.C., pp. 1-9.

中国軍の何が脅威なのか、何が必要なのか
中国が海洋進出を図る上で東シナ海は戦略的要域に当たる。この海域の東端には日本の領土である南西諸島が位置するが、中国の戦略として武力衝突も辞さず支配を奪うことは意図しているわけではない。その狙いは「漸進的拡大」にあり、時間をかけて好機を捕捉しながら段階的、漸進的に勢力を拡大することにあると著者は指摘する。
著者が構想する連合エアシー・バトルは、一貫して中国軍を脅威と想定しているものですが、この脅威には二つの異なる側面があるという判断によって基礎付けられています。

一つは接近阻止・領域拒否(A2/AD)と称される脅威であり、これは研究者によってよく議論されています。

もう一つは漸進的拡大(creeping expansion)と呼ばれる脅威であり、より厳密には「機会主義的漸進的拡大(opportunistic creeping expansion)」と呼ばれています(Takahashi 2012: 3)。

これは長い時間をかけて好機を捕捉しながら漸進的に勢力拡大を図る作戦であり、特に東シナ海で中国が小規模かつ局地的な活動を長期にわたって継続していることが念頭に置かれています。

著者はA2/ADの問題を考慮したとしても、この漸進的拡大の問題も軽視することができないものです。

日本は2010年に策定した「防衛計画の大綱」で動的防衛力という言葉を使い、東シナ海における洋上監視の体制を強化する姿勢を明らかにしたことは、こうした問題意識に基づく措置でした(Ibid.)。

しかし、中国軍のA2/ADと漸進的拡大に対して同時に備えることはできません。これらは性質が異なる脅威であり、軍事的な対応に異なる装備や能力が必要となるためです。

こうした問題に対して著者が提案しているのが日米防衛協力の枠組みを発展させた連合エアシー・バトルであり、これは自衛隊と米軍を有機的に連携させることを目指しています。

連合エアシー・バトルの構想

連合エアシー・バトルの概念図、米軍と自衛隊の能力を航空作戦、海上作戦でそれぞれ組み合わせることが構想されている。さまざまな分野において日米が協力できる機能があり、それらを組み合わせることで全体の防衛態勢を強化することが期待できる(Ibid.: 7)
連合エアシー・バトルの基本構想は自衛隊と米軍の任務を分担させることにあります。
著者自身はこの構想を次のように説明しています。
「つまり『動的抑止(dynamic deterrence)』とは、東シナ海における自衛隊の活動を増加させることによって、『抑止の窓』を閉じるために構想されるものである。この文脈において米国の日本における軍事的プレゼンスは、自衛隊と米軍の部隊の共同配置、共同・合同演習、協働ISR活動を通じて、その『窓』を閉じるように自衛隊の活動を強化し、また『動的日米防衛協力(U.S.-Japan defense coorporation)』を拡大する」(Ibid.: 6)
ここで著者が述べる日米防衛協力の狙いは、漸進的拡大が低烈度紛争を経て大規模紛争にエスカレートしていく際の軍事的対応を切れ目なく実施することであり、これが脆弱性の窓を閉じることに寄与すると著者は考えています。

つまり、自衛隊だけでA2/ADの脅威を及ぼす中国との大規模紛争に対応しないという前提の上で、日米防衛協力の強化が目指されており、具体的な内容としては米軍による対中作戦を自衛隊として支援することが構想されているのです。

著者の見解によれば、前方基地の強靭性(resiliency)を高めることが自衛隊として特に重要なことだと考えられており、中国軍のA2/ADの射程圏内に位置する基地施設について次のように述べています(Ibid.: 8)。
「戦域内の地上基地から発信する航空部隊の強靭性はさまざまな方法で改善することができる。戦闘機に基づく防空に加えて、ミサイル防衛のような積極的防空、施設の耐久力強化や戦域内の基地にまたがる分散配置のような消極的防空は、強靭性を高める上で取り得る措置である。日米防衛協力の文脈において、ミサイル防衛のより緊密な協力、空自の防空作戦と米空軍の航空打撃作戦の連携、両国の戦闘機部隊による空軍基地の共同使用は、より強靭な抑止態勢の構築に寄与するだろう」(Ibid.)
つまり、米軍が対中作戦を遂行する上で重要な基地機能を日本の防衛力で掩護するという著者の連合エアシー・バトル構想は、日本が従来から掲げてきた路線と本質的に変わっていないという印象があります。

日米同盟をさらに強化することにより、より多元的な中国軍の脅威に対応しやすくなることは理解できますが、自衛隊の任務を漸進的拡大への対応に特化させることの利点が示されているものの、欠点について十分に考慮されているとは言えません。

米軍を過度に期待せず、独力対処を基本とすべき

連合エアシー・バトルの内容を理解すれば、自衛隊が楯となり、米軍が矛となるという冷戦期依頼の日米同盟の基本構想が維持されています。

そして、東シナ海を中心に洋上監視活動をさらに強化し、米軍の対中作戦のために基地機能の防衛に注力すべきという方針が導かれます。

しかし、これが果たして日本の戦略として適切なものかどうかについては慎重に検討する必要があるところです。

この研究で気になるのは、複数の国家が参加して遂行される連合作戦が、実際にどれほど外交的、軍事的な障害に直面することになるのかほとんど言及されていないことです。

連合作戦にもいくつかの形態がありますが、共通の戦闘正面を持つ連合作戦を考える場合、作戦遂行で高度な指揮の統一が通常求められます。

指揮系統が未統一のまま烈度が高い戦闘状況に入ると円滑な作戦行動に支障を来すだけでなく、火力運用、兵站支援、情報作戦など幅広い分野で調整が必要になり、作戦の進展を妨げます。

日米で指揮系統の統一問題が政治の力で完全に解決されない限り、自衛隊は独力で作戦を遂行することを準備すべきであり、特に日本の防衛に不可欠な海上優勢と航空優勢の獲得においては、この方針を安易に動かすべきではありません。

ところが、著者は連合エアシー・バトルの構想によって、中国軍のA2/AD能力に対抗する際に「乗数効果」が得られるとして、次のように述べています。
「『連合エアシー・バトル』の構想は日米防衛協力を前進させる上で重要である。航空と海上作戦の両方の領域において、日米協力は大きな乗数効果(force multipler)をもたらし得る。A2/AD能力への対抗手段はこれら二つの側面から構築されるべきである」(Ibid.: 9)
確かに、軍事バランスにおいて部隊の規模や装備の性能だけでなく、作戦運用の巧拙が影響を及ぼすことは理論上あり得ることです。

しかし、日米防衛協力を前進させたからといって、自衛隊と米軍の戦闘効率が向上できると考えることは明らかに間違っており、少なくとも軍事理論で考えられる乗数効果の意味で理解することができません。

これは結局、自衛隊の弱点を米軍の能力で補完しているに過ぎないため、軍事バランスを維持する上で必要な戦力を日米のいずれかが増強しなければ、いずれ中国にとって優勢な軍事バランスに移行していくことが予測されます。

むすびにかえて

この研究が出てから5年が経過しているため、日本を取り巻く安全保障環境にも変化がありました。

しかし、その事情を差し引いたとしても、連合エアシー・バトル構想は米軍に頼るところが過大であり、また日本が本来であれば取り組むべき軍事バランスの安定化という問題をあまりにも米国に押し付けている側面が否めないのではないかという疑問が持たれます。

最近のA2/ADに関する研究で米軍が対中作戦として構想してきたエアシー・バトルには技術的理由から実行可能性の面で問題があるという研究も紹介されています(武内 2018: Ch. 1)。

この見解が正しいとすれば、米軍の対中作戦能力にも限界があり、日米防衛協力の強化で中国軍に対する必要な抑止力が得られるわけではないことになります。

結局、日本の防衛に対して責任を負う自衛隊に必要な能力を持たせることが必要な対策なのだと思います。

日米同盟の強化は進めながらも、軍事的に米軍の能力を頼りにする度合いは可能な限り小さくなるように必要な予算を確保すべきであり、その水準は自衛隊が遂行すべき任務と、直面する脅威の形態、規模を反映すべきでしょう。

KT

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参考文献
武内和人『軍事学を学ぶ 2018年4月号: 中国軍のA2/ADをめぐる研究の最前線』(Kindle版)国家政策研究会、2018年4月

2018年5月11日金曜日

学説紹介 戦略情報が劣化しやすい理由

情報(インテリジェンス、intelligence)とは、国内外の政策、戦略、作戦、戦術の立案、実施、評価を改善することを目的として作成された知識のことです。

情報は軍事学の歴史において最も長い歴史を持つ研究領域でもあり、情報の優劣は戦争の勝敗を左右するほど重要だと考えられています。

今回は、情報を提供する側と、それを利用する側との関係を考察したケントの古典的学説を紹介し、戦略情報が陥りがちな問題について考えてみましょう。

消費者を無視した情報は無益である

シャーマン・ケント(Sherman Kent, 1903-86)もともとイェール大学で歴史学を教えていたが、第二次世界大戦が勃発してから米国の情報機関に入り、戦後も中央情報局で勤務した。
シャーマン・ケント(Sherman Kent, 1903-86)は第二次世界大戦で情報調整局(後の戦略事務局)に入り、戦後には中央情報局で勤務した情報分析の専門家です。
彼の著作は情報作戦の研究において評価が高く、現代においても基本文献として大きな価値があります。

ケントの議論で特に注目すべきは、情報の生産者(つまり情報分析官)と消費者(政策決定者など)との関係を処理する方法に関するものです。
そこで著者は生産者が消費者のニーズを的確に把握することに最大限の注意を払うように促しています。
「本書の主要命題の一つは次のように要約できるだろう。すなわち、ここで議論される類の知識が完全、正確かつ時宜を得たものでないとしたら、また、顕在化した問題や顕在化するであろう問題に適用し得るものでないとしたら、そのような知識は役に立たない、ということである。この命題において認識されるのが、インテリジェンスとは知識のための知識ではなく、行動を起こすための実務的な知識であるという事実である」(ケント、邦訳、235頁)
情報は本質的に知識のための知識ではなく、行動を起こすための知識であるというケントの議論に従うなら、当然のこととして情報の生産者と消費者との間に緊密な関係を築くべきでしょう。

ケントはこの望ましい関係を説明するために「指南」を受けることが重要だと論じています。

指南を通じて情報要求を把握することの意義

ケントが述べる「指南」とは、目標の選定や計画の立案といった活動を担う担当者からの要請を受け取り、それを吟味することです。

この「指南」によって情報機関ははじめて適切な情報を提供することが可能となるものとケントは考えています。
「指南の必要性は明白である。なぜなら、行動が計画実行される場からインテリジェンス要員が隔絶されるようなことがあれば、その職員が生産する知識は相手のニーズを満たすことがないからである」(同上)
もし、何が重要で、何が重要でないのかという優先順位が誤っていれば、情報機関は肝心の意思決定を改善できる情報を提示できなくなります。

ケントは指南が不適切な場合に起きる二つの弊害について次のように論じています。
「決まった形式と質を伴ったインテリジェンスを配布するには、世界中の知識のほぼすべてを体系化し、その更新を行えるほど多数の調査職員を要するだろう。それほど多数の調査職員を擁したとしても、インテリジェンスが次の業務について何らかの事前通告を受けられなければ、所定の成果を達成できるかどうかは疑わしいのである。
 第二に、迅速で時宜性ある指南が欠乏することは、インテリジェンスを苦しめ得る最悪の病へと導く主要因である。それは無責任という病である。インテリジェンスは達成すべき物事に参画する意欲を喪失し、強力に対する至極当然の貢献をなす意欲も失ってしまう」(同上、238頁)
前者の弊害は短期的なものですが、後者の弊害は長期的であり、しかも致命的なものです。

高い品質の情報を供給し続けるために顧客と絶えず接触し、そのニーズを知るための指南を受けることは、情報分析の重要な一部として考えることが重要です。

消費者から離れるほど、情報は劣化する傾向にある

1941年の真珠湾攻撃は戦略的奇襲の事例としてよく知られている。当時の米軍はいくつかの兆候を示す情報資料を把握していたものの、それを戦略情報として活用し、適切な対応をとることができなかった。
ケントは実務の経験を踏まえ、この適切な指南を受けることができなくなる場所で情報が劣化する傾向があることを理解していました。
「戦時には前線に近ければ近いほど、部隊などの行動単位が小規模であればあるほど、生産者と消費者の関係は良好となり、指南も鋭敏になる。他方、前線から遠ければ遠いほど、行動単位が大規模であればあるほど、指南は劣化してしまう。平時には前線に匹敵するような状況はほとんどない。あったとしても、こちら側の人間をすべて味方や仲間にしてしまうような共通の物理的危険要素がないのである」(同上、251頁)
つまり、戦術情報や作戦情報に比べると、戦略情報にはそもそも劣化しやすい傾向性があるということです。
しかも、それは人員や予算の拡充といった方法で解決できない性質の問題であり、指南を受けることが難しいという状況に原因があるのです。

ケントが懸念しているのは、指南が不十分な情報分析官にありがちな無気力な態度であり、それは命をかけるのが自分自身ではないにもかかわらず、どうして完璧な仕事をする必要があるのだろうかという他人まかせな言動に繋がります。

当然、このような仕事に対する姿勢は、情報の生産者と消費者の関係を悪化させることになり、指南のための接触はますます減少します。これが劣悪な戦略情報が生み出される要因だというのがケントの指摘です。

むすびにかえて

戦争において情報の重要性を知らない人はほとんどいません。しかし、適切な情報を得るためにどのような資源、組織、方法が必要なのか、何に気を付ければよいのかを知っている人はそれほど多くないのが実情です。

ケントの情報に関する考察はこうした空白を埋めるためのものであり、情報分析に関する人だけでなく、情報分析を求める人にも知られる価値があるものです。

ケントの議論は、情報機関が任務を遂行する最初の段階から適切な「指南」を受けることで情報要求をはっきりさせておかなければならないことを明らかにしています。

しかし、現場不在の人物が総合的、長期的な観点から戦略情報を作成しなければならない場合、適切な「指南」を受けることは困難になります。
前線で戦う人々からすると、そのような人物に信頼を置くことは難しく、実情を話すことはためらわれるものです。

戦略情報は作戦情報や戦術情報よりもはるかに大きな重要性を持っており、その内容を改善することは極めて大事なことです。だからこそ、その内容が諸事情によって劣化しやすいことを理解しておかなければならないでしょう。

KT

2018年5月1日火曜日

学説紹介 対外政策としての帝国主義―武力攻撃だけが現状打破の手段ではない―

帝国主義(imperialism)の定義は論者によってさまざまですが、ここでは国際政治において現状打破を目論む国家の対外政策のことを表しています。
道義的な意味合いを取り除き、対外行動の一形態として帝国主義を捉える見方は政治学者のモーゲンソーによって提案されたものです。

今回は、モーゲンソーが帝国主義をどのように考察していたのかを取り上げ、特に軍事的手段によらずに現状を打破する方法について考えたいと思います。

権力闘争の典型的なパターン

モーゲンソーは政治の本質を権力闘争と考え、国際政治、国内政治のいずれの場合も原理は変わらないと考え、次のように述べています。
「国内政治と国際政治は、権力闘争という同一の現象が二つの異なった領域にあらわれたものにすぎない。そのあらわれ方は、それぞれの領域で優勢な道徳的、政治的、社会的な諸条件がことなっているためにちがったものになる」(邦訳、モーゲンソー、43頁)
その上でモーゲンソーは権力闘争としての政治には、基本となる3種類の行動パターンが見られると論じます。すなわち、勢力を維持しようとする行動パターン、勢力を増大しようとする行動パターン、そして勢力を誇示しようとする行動パターンです(同上、43頁)。

国際社会における各国の政策はこの3種類のいずれかに含まれるというのがモーゲンソーの議論であり、帝国主義と一般に呼ばれる対外政策は勢力を増大しようとする行動パターンのことなのです。
「これら三つの典型的な政治のパターンには、三つの典型的な国際政策が対応している。ある国家は現状維持政策を追求する。その場合、この国の対外政策は力を保持しようとする傾向をもつが、それは決して力の配分を自分の有利になるように変えるものではない。これに対し、現存の力関係を逆転させることにより、現にもっている以上の力を獲得すること―いいかえれば、対外政策によって力の状況のなかで自国に有利な変更を求めること―をその対外政策の目的とする国家は、帝国主義政策を追求する。また現に有する力を対外政策によって誇示しようとする国家は、カの維持あるいは増大のために威信政策を追求する」(同上、43-44頁)
したがって、モーゲンソーは帝国主義を道義的、法的に否定することなく、権力闘争を生き残る上で国家がとり得る政策の一つだと捉えます。このような視点で考察を進めると、帝国主義にも複数の方法があり、それぞれに利害と得失があることが分かってきます。

武力攻撃だけではない帝国主義の方法

モーゲンソーは帝国主義を分析する際には、その具体的な手段の相違が重要だと指摘しており、具体的には軍事的、経済的、文化的手段のどれが選択されているかについて注目すべきだと論じています。
「帝国主義の目的はつねに現状の打破にある。すなわち、帝国主義国とその犠牲者として想定されている国家との間の力関係の逆転がそれである。これは不変の目的であり、軍事的・経済的・文化的手段のいずれかひとつによって、あるいはそれらの結合によって実現される。ここでわれわれが関心を抱くのは、これらの方法に関してなのである」(同上、62頁)
軍事的征服は恐らく帝国主義の方法として最も典型的、古典的なものでしょう。それは軍事力で他国の領土を占領し、軍隊を破壊することで支配関係を確立する方法と特徴付けることができます。
「最もあからさまで古くから存在し、しかも最も粗野な形の帝国主義は、軍事的征服である。いつの時代にせよ偉大な征服者は、同時に偉大な帝国主義者であった。帝国主義的な国家からみた場合、この方法の利点は次の事実のなかにみいだされよう。すなわち、軍事的征服の結果生まれた新しい力関係の変化は、一般には勝ち目がないにもかかわらず敗戦国の方から再度戦いを挑むことによってしか起こりえない、という事実である」(同上、62頁)
軍事的帝国主義は、成功した場合に確立できる支配関係が強固で、滅多に覆すことができません。ただし、不確実性を伴うために実施の際には慎重さが求められることもモーゲンソーは指摘します(同上、63頁)。
軍事的手段と比べた場合の経済的手段の利点は戦争ほどの不確実性がないことであり、相手に対して確立できる支配関係の強さがやや劣ることだけを心配すれば済みます。
「われわれが経済帝国主義と呼んでいる政策に共通の特徴は、一方で帝国主義国と他の国家との間の力関係を変更することによって現状を打破しようとしつつ、他方では領土の征服によってではなく経済的統制によってそうしようとする傾向があることである。ある国家が他の国家に対し支配権を確立しようとする場合に、もしその国家の領土を征服することができないとしても、あるいはそうするつもりがないにしても、この領土を統治しているものに対する規制を確立し、それによって、結局は同一の目的を達成しようとすることができよう」(同上、63頁)
近代のイギリス、フランスが確立した植民地帝国は、まさに経済的帝国主義の事例であり、対外貿易を通じた経済的依存を通じて政治的影響力を行使できる体制が目指されています。モーゲンソーは軍事的手段ほど決定的ではないとしても、経済的手段は帝国主義の重要な一側面だと論じています。

モーゲンソーは最後の文化的手段については単独で成果を上げることが難しいと述べていますが、「最も巧妙なものである」とも指摘し、帝国主義の方法として研究される必要があるとの考えを示しています(同上、64頁)。
「文化帝国主義は、領土の征服や経済生活の統制を目的とはしない。その目的は、二国間の力関係を変えるための手段として、人間の心を征服し制御することにある。もしわれわれがA国の文化、とくにその具体的なすべての帝国主義的目標を伴う政治的イデオロギーが、B国の政策を決定する全市民の心を征服すると想像するならば、A国はより完全な勝利を獲得したことになろうし、またどんな軍事的征服者や経済的支配者にもまして、安定した地盤の上にその覇権を築いたということになろう」(同上、64頁)
モーゲンソーの見解によれば、他国に自国の文化を浸透させることは、経済的浸透や軍事的征服の準備段階として有効です(同上、65頁)。
国際交流、文化交流といった形で宗教、言語、思想、芸術、学問などを普及させ、現地において自国に対する外国住民の支持を広げれば、軍事的、経済的支配によりスムーズに移行できると考えられています。

むすびにかえて

モーゲンソーの帝国主義に関する考察は、より詳細な研究に進むための準備と言えます。
それは新興国が勢力を拡大しようとする際に採り得る手段を一通り網羅しておくことで、分析者に幅広い事象に対して注意するように促しているのです。

平時に行われる国家間の経済連携や文化交流も、モーゲンソーの見方を踏まえれば権力闘争の一環であり、その本当の狙いが現状打破にあり得ることを考慮する必要があるでしょう。
仮に一見すると無害にしか見えない文化事業であっても、軍事戦略や貿易政策を通じた勢力拡大の予備段階かもしれないという認識は、直感的に受け入れがたいところかもしれませんが、国際政治学の観点から見た一つの可能性として知っておくべきことだと思います。

KT

参考文献
ハンス・モーゲンソー『国際政治:権力と平和』現代平和研究会訳、福村出版、1998年   

2018年4月27日金曜日

学説紹介 21世紀のドイツの国家戦略―ブレジンスキーの地政学的考察とトッドの批判―

第二次世界大戦で東西に分裂されたことにより、ドイツの影響力は大幅に減退し、アメリカの勢力圏に組み込まれていきました。

ところが、冷戦終結によって東西統一が果たされてから、ドイツは次第に勢力を拡大し、21世紀にはヨーロッパ地域で最も重要なプレイヤーとして活発な外交を展開しています。

今回は21世紀のドイツ外交を理解する一助として、アメリカの政治学者ブレジンスキーの分析と、フランスの人類学者イマヌエル・トッドの反論を紹介してみたいと思います。

ドイツの統一はフランスとロシアにとって不利に

ヨーロッパは東西に長い大陸であり、ドイツという国家はその中央に位置しています。
その西側にフランスが、東側にロシアが位置しており、これら3カ国はヨーロッパ大陸の勢力均衡を左右する重要なプレイヤーでした。

ブレジンスキーの見解によれば、冷戦期の東西ドイツ分断はフランスとロシア(ソ連)の安全保障環境を改善する効果がありましたが、冷戦が終わって東西統一が果たされてしまい、再びドイツの脅威に頭を悩ませることになります。
「地政上、ドイツ統一はロシア、フランスにとって敗北を意味していた。統一ドイツが政治的地位でみて、もはやフランスに追従する同盟国ではなくなり、西欧を代表する大国となったことは、異論の余地がなかった。さらに、ある意味では世界大国になり、とくに主要な国際機関を財政面で支える柱になった」(邦訳、ブレジンスキー、115-6頁)
フランスとロシアにとってさらに厄介な問題だったのは、ドイツの台頭がアメリカの支援の下で進んでいた、ということです。

ブレジンスキーはアメリカの後ろ盾があったため、ドイツはますます独自の政策を推進しやすくなっていることを指摘しています。
「ソ連が崩壊し東西統一を達成した後のドイツにとって、アメリカとの同盟関係は、近隣諸国に脅威を与えずに中欧で公然と主動的な役割を果たすための基盤になった。アメリカとの同盟関係は、アメリカがドイツの行動をしっかりと監督しているという以上の意味を持っている。近隣諸国にとっては、対米関係も緊密化することになる。こうしたことから、ドイツは独自の地政戦略を打ち出しやすい状況になっている」(同上、120頁)
ここで述べられている「地政戦略」とは、東ヨーロッパに対するドイツの勢力拡大であり、これが冷戦後のドイツにおいて一貫した国家戦略となっているのです。

ポーランドを突破口に東方拡大を続けるドイツ

ドイツ・ポーランド国境条約(1990年に署名)は、1945年以来未確定だったドイツとポーランドの国境を画定した条約。ドイツはこの条約によってオーデル・ナイセ線以東に対する領土要求を完全に放棄することで、ポーランドとの友好関係を強化することを選んだ。
ブレジンスキーは東ヨーロッパでドイツが勢力を拡大するための突破口になった国としてポーランドを挙げています。

第二次世界大戦が終結した後でもドイツ人とポーランド人の間では国境をめぐって意見の相違があったのですが、統一されたドイツはアメリカの支援を受けながら、この問題を解決することに成功しました。
「ドイツが中欧での役割を積極的に拡大するうえで、1990年代半ばに実現したポーランドとの和解が突破口になった。統一ドイツは当初消極的だったが、オーデル・ナイセ川をドイツ・ポーランド国境として画定することを正式に認めた(アメリカの働き掛けもあった)。その結果、ポーランドにとって、ドイツとの関係正常化の障害となっていた最大の懸案が解決された。(中略)1990年代半ばには、両国の和解は中央にとって、かつて独仏和解が西欧に与えた影響に匹敵する地政上の重要性をもつようになったといっても過言ではない」(同上、121-2頁)
ポーランドとの和解を踏まえ、ドイツはバルト三国、ウクライナやベラルーシといった諸国に対する影響力の強化にも取り組むようになり(同上、122頁)、その勢力圏を東ヨーロッパに向けて拡大します。

ブレジンスキーが注目しているのは、こうした外交的手段で東ヨーロッパに勢力圏を拡大することがドイツの対外政策として自覚的に遂行されているという点です。

ドイツの政界で行われている議論は、北大西洋条約機構(NATO)とヨーロッパ連合(EU)のどちらの同盟関係を東方に拡大すべきかという問題をめぐって展開されており、右派と左派のいずれの方面にも東ヨーロッパに向かって勢力圏の拡張を図るという点で強い合意があるということがブレジンスキーの記述でも認められています(同上、123頁、127頁)。

ドイツの東方拡大に対する二つの見解

2014年2月、ウクライナでロシア寄りの姿勢を示す大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチに対し、EU加盟を主張す大規模な暴動が発生し、ヤヌコーヴィチは国外避難を余儀なくされた。
ブレジンスキーは地政学の観点から見て、ドイツの国家戦略はいずれ東ヨーロッパで勢力圏を保持する必要があるロシアと対立を引き起こす恐れがあり、特にウクライナの独立は重大な問題に発展すると予測しています(同上、144頁)。

そうした重大な懸念を示しているにもかかわらず、ブレジンスキーは全体として東方拡大に対して反対の立場をとっておらず、むしろ推進のための具体的な計画まで提案しています。

ブレジンスキーがこのような立場をとっているのは、ドイツがいくら東ヨーロッパに対する勢力の拡大を図ったとしても、それはアメリカの対外政策で管理下に置かれているため、完全な単独行動は不可能だと想定されているためです(同上、135-6頁)。

東方拡大を目指すドイツの国家戦略はアメリカの世界戦略の一部として機能しているので、それはアメリカの国益にも適うというのがブレジンスキーの見方です。

この判断に真向から反対する見解があります。フランスの人類学者イマヌエル・トッドはインタビューの中でブレジンスキーの議論を批判し、ドイツは東方拡大で勢力を増すにつれ、アメリカに対しても独自の立場を主張するようになると論じました。
「ズビグネフ・ブレジンスキーによれば、アメリカシステムとは、ユーラシア大陸の二つの大きな産業国家、すなわち、日本とドイツをアメリカがコントロールすることだ。ただしそれは、アメリカ自身が産業規模において明確に優越しているという仮定の下でのみ機能する。
 早くも1928年にアメリカの工業生産高は世界の工業生産高の45%を占めていた。戦後、1945年には、アメリカは相変わらず45%を占めている。ところが、それが今では17.5%にまで落ちたのである」(トッド、61頁)
つまり、アメリカの国力が低下すれば、ドイツとしてはアメリカに従うよりも、政治的、外交的、経済的、軍事的優位を拡大するため、独自の行動を起こした方が有利になるので、ドイツの勢力が拡大することはアメリカの国益に適うものとは限らないということです。

トッドはブレジンスキーがロシアの脅威を重視しすぎるあまり、ドイツの台頭がもたらす危険性を見落としているとも説明しています(同上、37頁)。

むすびにかえて

世界でアメリカがどの程度の勢力を保持し、ドイツを管理し続けるのかという問いに対して、ブレジンスキーはアメリカがドイツを管理し続けることができると答えますが、トッドは否定的に答えます。
どちらが正しいのかを判断するためには、さらなる研究が必要でしょう。

現段階ではっきりと言えることは、ドイツがアメリカとの同盟を攻撃的な国家戦略のために活用し、東ヨーロッパで勢力を拡大しているということです。
これは日米同盟の強化によって東アジアで中国の海洋進出に対応しようとする日本の国家戦略と対照的であり、その特性を把握することは日本の国家戦略の特性を把握することにも繋がると思います。

ドイツの国家戦略を考えることを通じて、今の日本の国家戦略を考えることも大事なことではないでしょうか。

(捕捉:ブレジンスキーの著作は1996年に初版が出ていますが、2016年に第2版が出ており、エピローグとして新しい議論が追加されています。邦訳の都合上、ここでは取り上げませんでした。詳細は新版を直接ご確認ください)

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学説紹介 米国の覇権はいつまで続くのか

参考文献
Brezinski, Zbigniew. 1998. The Grand Chessboad: American Primacy and Its Geostrategic Imperatives.  Basic Books.(ブレジンスキー『地政学で世界を読む 21世紀のユーラシア覇権ゲーム』山岡洋一訳、日本経済新聞社、2003年)
エマニュエル・トッド『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告』文藝春秋、2015年

2018年4月19日木曜日

学説紹介 ミサイル・チェス―巡航ミサイルの登場と海軍戦術の再考―

戦術の研究が興味深い理由の一つは、ある時期で有効性が確認された原則であっても、条件が少し変わっただけで、それが通用しなくなることがしばしば起こるためです。
これは海軍戦術の分野においても当てはまることであり、海軍の戦術思想は時代とともに変化を続けてきました。

最近の変化で見過ごせないのが1970年代以降に本格的な使用が始まった巡航ミサイルの影響であり、その戦術的な意義に関する議論は1980年代まで続き、現代における海軍戦術にも影響を与えています。
今回は、当時の議論を知ることができる論文を取り上げ、その内容を紹介することで、戦術に対する理解を深めたいと思います。

論文情報
Hughes, Wayne P. 1981. "Missile Chess: A Parable," Proceedings, Vol. 107/7/941, pp. 26-30.

巡航ミサイルが海軍戦術の前提を変えた

この論文の著者は米海軍の士官としての経歴を持つだけでなく、海軍戦術に関する学術研究でも数多くの業績があります。
主著『艦隊戦術(Fleet Tactics)』は近代の海軍戦術の概観した文献であり、最近になって改訂版(『艦隊戦術と沿岸戦闘(Fleet Tactics and Coastal Combat)』)が出されるほど評価されている名著です。
その著者が1980年代に海軍戦術を考察したのがこの論文であり、1981年に米海軍協会で受賞しました。

著者の議論は1980年前後の米海軍で実施された機動演習や図上演習で判明した教訓を指摘するところから始まっています。
その教訓とは、可能な限り多くのミサイルを艦艇に搭載させることこそが、海戦の勝敗を決する傾向にあるということであり、1973年の戦争でエジプト海軍とイスラエル海軍が地中海で実際に交戦した際にもその影響が確認できます。

こうした戦術の変化を受けて著者は大胆に空母を中心とする米海軍の戦術思想を批判しました。
著者にとって空母から発信する航空機の機能のいくつかは巡航ミサイルで代替可能になっており、見方によっては巡航ミサイルの方が優れている面もあると論じています。
このことを説明するため、著者はチェスの類似を使って、ミサイルを使用した海戦の様相について解説しています。

ミサイル・チェスのルールと展開

著者が述べるミサイル・チェスは通常のチェスのルールを少し変えたゲームですが、異なるのはそれぞれの駒が2回までミサイルで攻撃できる、ということだけです。
いずれの駒も2回にわたってミサイルを発射すると、残弾はゼロになってしまいます。つまり、盤上に残っているものの、敵を倒す能力はなくなってしまうということです。
(ちなみに、ポーンが敵陣地の一番奥まで到達して他の駒に昇進すれば、再び2回の攻撃が可能な状態に戻るとされています)

このルール変更だけを覚えておけば、残りの駒は通常のチェスの移動ルールを適用するだけで遊ぶことができます。この特別ルールで遊ぶチェスは通常のチェスとかなり異なった展開を見せます。
攻撃の回数が制限されているものの、ポーンが持つ攻撃力は飛躍的に高まります。ポーンは大きく移動できないものの、ミサイルで攻撃する際にはクイーンと同じ範囲の敵を攻撃できます。
機動力に優れたクイーン、ルーク、ビショップ、ナイトを攻撃に投入するタイミングは、より慎重に決定しなければならず、しかも終盤に敵のキングを追い詰めるためにポーンの攻撃力を温存することも考えなければなりません。

チェスの駒はそれぞれ16個あるので、初期の配置から攻撃が可能な回数は32回しかありません。つまり、残弾に注意を払い、慎重に一連の攻撃を組み立てなければならないのです。

もちろん、著者はミサイル・チェスの論文を書いているというわけではありません。このミサイル・チェスは、現代の巡航ミサイルを前提とした海戦の抽象化です。
この変則的なチェスで著者が説明したいのは、巡航ミサイルが登場したことで、小型の艦艇が持つ戦術的機能は飛躍的に高まり、今後の海戦で空母のような大型の艦艇が活躍できる場面は小さくなる恐れがあることです。

空母を守りながら戦うことの限界を認識せよ

チェスの世界から現実の海戦に視点を戻した著者は、今後の海戦の動向を見据えた場合、空母のような大型の艦艇が脆弱になることは避けられず、本来なら小型の空母を多数整備した方が戦術的には有利だと主張します。
とはいえ、空母を建造するコストの重さを考えれば、やはり大型の空母を運用することが現実的な選択肢であることは著者は認めています。

そうなると、巡航ミサイル、特にイージス・システムを備えた艦艇で艦隊防空の能力を高めることが重要な課題ということになります。
「クイーン」である空母を敵のミサイル攻撃から守るための「ナイト」や「ビショップ」が必要ということです。

とはいえ、艦隊の攻撃力を少数の艦艇に集中させることは戦術的に適切なことではないという立場を著者は崩していません。
過去の戦術の延命措置に努めるよりも、新しい戦闘環境に適用していくことが重要であると著者は考えており、技術の向上で攻撃と防御の優劣がさらに変化することになれば、防御に手間のかかる「クイーン」の出番はますます少なくなる可能性もあります。

むすびにかえて

著者は現代の海戦をチェスに見立てながら、正規空母の中心に位置付ける米海軍の戦術思想に反省を求めました。
その議論には過度な単純化も含まれていますが、海軍戦術に対する著者の興味深い考察が論文の欠点をよく補っています。

実際にプレイしてみると分かりますが、ミサイル・チェスは普通のチェスの序盤で見られる中央の支配権を奪い合う展開はまずありません。戦闘が開始されると同時にポーン間でミサイルの応酬が始まるためです。
防御のために若干の小移動がある程度で、盤上からどの駒を取り除くのか、どの駒を温存するのかをプレイヤーは判断しなければなりません。

一通りミサイルを射ち終わってからは本格的な移動が始まるのですが、この段階に入るとどちらが先に一連の攻撃準備を完成させるかが重要になります。
先攻が優位なのは普通のチェスと同じですが、ミサイル・チェスは先攻の優位がさらに強化されているという印象で、いったん防御に回ると主導権を取り戻すことが非常に難しいという印象を持ちます。

最後に、当時の著者の議論の妥当性について考えてみると、巡航ミサイルは海戦の形態を大きく変えたという指摘は正しかったように思われます。
しかし、戦術の観点から空母の価値をどのように判断すべきかという論点について著者の議論は必ずしも満足できるものではないと思います。
空母の意義が低下しているという議論は現在も続いていますが、艦隊防空のシステムについても研究開発が進んでいるため、より詳細な研究が必要な問題だと思います。

KT

参考文献
Hughes, W. P. 1986. Fleet Tactics: Theory and Practice. Annapolis: Naval Institute Press. 旧版、巡航ミサイルを用いた海軍戦術に関する分析などが含まれていない。
Hughes, W. P. 2014(1999). Fleet Tactics and Coastal Combat. 2nd edition. Annapolis: Naval Institute Press. 新版

2018年4月13日金曜日

学説紹介 なぜ防勢戦略に海上封鎖が有効なのか―イギリス海軍による海上封鎖の活用例―

長らく海軍の戦略研究では作戦行動として攻勢が防勢よりも優れている、または有利であるなどと論じられてきました。
このような議論が出されてきたのは、海上作戦が陸上作戦のように地形、地物を戦闘で利用できる程度が小さく、防御の優位が相対的に小さくなると考えられてきたためです。

しかし、だからといって無暗に攻勢の戦略を採用し、無条件に敵艦隊の撃滅を目指すというわけにもいきません。より現実的な案は、海上作戦の特性を踏まえた合理的な防勢戦略を見つけることであり、海軍の戦略を研究していたマハンも海上封鎖の重要性を論じたことがあります。今回は、この説を紹介したいと思います。

19世紀におけるイギリス海軍の戦略問題

アルフレッド・セイヤー・マハン(1840年9月27日 - 1914年12月1日)米海軍士官であり、退役後は著述家として海軍戦略に関する著作、論文を書き残した。
近代海軍の戦略思想において大きな影響を及ぼしたマハンですが、彼は戦略原則として戦力集中を重視したことで知られています。
つまり、敵に対しては基本的に攻勢をとるべきであり、適時適所に戦力を集中し、有利な条件で決戦を挑み、これを撃滅することによって制海権(the command of the sea)を確立すべきという思想を持っていました。

しかし、マハンは無条件にそのような構想が可能だと論じていたわけではなく、こうした原則の適用の仕方は状況によって変わるとも考えていました。
実際、マハンが海軍戦略の研究で参照しているイギリス海軍の歴史を見ても、敵国に対して常に攻勢をとれたわけではなく、むしろ防勢の姿勢で作戦を遂行した事例が多くあり、それにもかかわらず成功を収めています。

マハンはそのような事例の一つとして、ナポレオン戦争が起きた19世紀初頭のイギリス海軍の対フランス戦略に注目しています。
当時、イギリスは海上勢力でフランスに対して優勢でしたが、世界各地に伸びるシーレーン防衛のため、イギリス海軍として戦力集中が思うようにできない状況があり、対フランス戦でも防勢作戦を強いられていたのです。
「つまり英国側にとっては、参戦理由がなんであれ、かの戦争は防御作戦であったこと、またフランス側は、戦力劣勢の海軍を擁していながら、攻勢の利を得ていたということです。フランス海岸沖の英国艦隊は防御の第一線にありました」(マハン『海軍戦略』166-7頁)
イギリス海軍はフランス海軍に対して優勢でしたが、長大なシーレーンを防衛するために戦力の分散を強いられる事情があり、戦略的に防勢の立場に立たされやすかったためです。

マハンは海上における支配権は敵の艦隊を積極的に捕捉し、これを撃滅することによって獲得できると考えていたので、これは深刻な問題でした。

敵国の港湾を海上戦力で封鎖する

19世紀フランスの主要な海軍基地の分布。北海にはアンヴェル基地が、イギリス海峡にはブレスト基地が、ピスケー湾にはロシュフォール基地が、地中海にはトゥーロン基地がそれぞれ配置されている。筆者作図。
マハンが注目しているのは、イギリス海軍はこの問題に対処するため、海上封鎖を大規模に行っているということです。

つまり、敵の海軍基地の沖合に小さな艦隊を送り込み、交代しながら継続的に敵の港内の動向を洋上で監視し、出撃の兆候があればすぐに主力の艦隊が駆け付けるという態勢をとったのです。
「かつて英国が好んで用い、成果を上げた海軍戦略の要点は、敵の海軍工廠の所在海域に強力な分艦隊を配置することでした。アンヴェルやブレスト、ロシュフォール、トゥーロンといった港は、スペインと交戦した際に介在したスペインの諸港とともに、英国海軍の戦略的作戦行動線をなしており、英国はこの線をおさえることで二重の成果を得ました」(168頁)
ここでマハンが述べているアンヴェル(現在のアントワープ)、ブレスト、ロシュフォール、トゥーロンはいずれもフランスの主要海軍基地です。
陸軍と異なり海軍は戦力の維持、造成のために特殊な生産設備、技能労働者を必要とするため、新たな地点に次々と造成することができません。
したがって、各地のフランス艦隊としては封鎖線を突破しなければならなくなりません。

ところが、そのような行動をとれば封鎖網を突破された部隊はフランス艦隊の追跡を始め、その情報をより大規模な主力艦隊に伝達します。
フランス海軍はイギリス海軍に対して全体としての戦力では劣るため、イギリス艦隊が分散している内に各個に撃破する必要があるのですが、こうした状態ではむしろフランス艦隊の方が各個に撃破される危険があり、攻勢をとること自体に大きな不利益が生じて来ることになります。
「まず、分散配置されていた敵の分艦隊の集結を妨げたこれはすなわち戦勝の一大要素たる部隊の集中を防いだということであり、防御的成果に分類されます。本国ばかりか大英帝国そのものが守られました。攻撃面の成果としては、右のアンヴェルなど主要拠点が敵の海岸全体の封鎖に貢献しえた点が挙げられます」(168頁)
全世界的に見れば、フランス海軍はイギリス海軍よりも狭い範囲で戦力の集中を考えればよいため、攻勢の時期、方向を主動的に選べる有利な立場にあったはずです。
しかし、イギリス海軍は海上封鎖という戦略を活用することによって、防勢の立場に立ちながらも戦力分散のリスクを最小限に抑制できたとマハンは論じています。

むすびにかえて

フランス革命戦争・ナポレオン戦争を通じてフランス陸軍は地上戦で大きな戦果を上げていましたが、1805年のトラファルガー海戦で大きな損害を被ったことからも分かるように、フランス海軍は最後までイギリス海軍に対して優勢を確立することができませんでした。
それどころか、敗北によって失われた人員や装備を回復するために、フランスは多額の海軍予算を計上することを強いられたのです。

マハンの解説は海上封鎖が防勢の立場に置かれた海軍にとって重要な戦略であることを示しています。
敵の基地を封鎖し、洋上監視を続けていれば、いざという時の戦力集中が可能となり、しかも敵の戦力集中を妨げることもできます。

KT

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参考文献
アルフレッド・T・マハン『海軍戦略』井伊順彦訳、 戸高一成訳、中央公論新社、2005年